遙かな夢③


 縁川天晴は、「週休二日は引きこもりにはきつい」と言ったその口で、「さくらちゃんがさみしがっているし英才教育が必要だから」なんて言って病院へ向かうようになった。遠岸楽も、「さくらちゃんが喜ぶから」と連れられている。


 私はなんとなく、彼らと別れ、自分の病室にいた。私の身体は相変わらず、起きる気配も死ぬ気配もない。


 しばらくしていると、マネージャーがやってきて、そばにあった水差しを手に取った。そのままぼんやりと窓を開くと、ひとりでにうなずいた。


「よし、記者もいないな」


 マネージャーは水差しを片手にその場を後にする。前より儚い背中を見送っていれば、こちらに向かってくる男の人が視界に入る。


 友人でも、事務所の人でもない。


 古びたジャケットに靴底が減り切ったブーツを履いた男の人──伏見さんは、辺りを伺いながら私の病室に滑り込んできた。


「よう。おじさんが来たぞう〜」


 彼は眠る私の身体を一瞥して、目を細める。


「お前さん……なんで自分で死のうとなんか……親御さんだって浮かばれねえだろうに……」


 苦々しく言って、頭をばりばりと掻いた。マネージャーが戻ってこないか、緊張感に襲われる。


 この人が病室に来てくれたことは、問題がない。でも彼の職業上、間違いなく問題にされる。


 早く帰ってほしいと祈っていれば、伏見さんは探し物を始めた。「カメラとか取り付けられてねえか」なんて、引き出しを音を立てながら乱雑に開ける。


 ベットの器具や裏を触り、靴を脱いでそばにあった椅子にのり天井に触れようとしたところで、病室の扉がガラリと開く。


「な、なにしてるんですか!?」


 入ってきた縁川天晴は素早くナースコールに飛びついた。伏見さんは「いっけね」と慌てて椅子から飛び降り、靴を両手に病室を出ていく。縁川天晴は、すぐに私のほうへ飛んできた。


「大丈夫でしたか? なにもされませんでしたか?」


「あっち、私のこと見えてないよ」


「じゃ、じゃあお身体は?」


「何もない」


 縁川天晴は、ほっとした様子で「良かったあ」としゃがみこんだ。


 伏見さんは、洋服にお金はかけたくないと言っていた。服装だって同じだった。


 リークの写真を縁川天晴が見てないはずがない。


 それに伏見さんはカメラだって提げていたのだ。気づかないはずがないだろう。


 あの日、私と一緒に撮られた記者だって。


「なんで聞かないの」


「何がですか?」


 思えば縁川天晴は一度も私に問いかけなかった。本当のところはどうなのか。リークしたのかしてないのか。


 それが救いと感じる反面、縁川天晴が実際のところ私をどう思っているのか、知らないままだった。


「聞かないの。記者がどうして、病室に来たかとか」


「はい。僕は貴女を信じていますから」


 明るく返され、どんな顔をしていいかわからなくなる。


「でも、遥のこと報じた出版社の人間だよ。しかも、芸能部門の」


 言わなくていいことまで、伝えてしまう。


 縁川天晴には揃っているのだ。私を測る材料が。


 悪意ある切り抜き動画に、根拠のないコメントの数々なんて関係ない。大元の私のスクープ画像は、何一つ加工はされていなかった。


 加工はされていないからこそ、ここまでの騒動になっている。そして私と一緒に喫茶店でお茶をしていた記者が、病室に現れた。


「はい。僕は貴女を信じています。心の悪い僕を、貴女だけが救ってくれたから」


 なのに、縁川天晴は屈託なく笑う。


「根拠のない信頼が、信じられないなら、僕の稚拙な推理を聞いてもらっていいですか」


「なに」


「僕は貴女の、ブログ、つぶやき、インタビュー、全部網羅してます。網羅してるからこそ分かることがあるんです。記者が、貴女の何を気にしていたか」


 そういわれた瞬間、最初から全部縁川天晴は知っていと悟った。


 隠しきれたつもりだった。すべて、誰かに読んでもらえていることを想定していた。言えないことがあるぶん、嘘はつきたくなかった。


 完全だと思っていたのに。


「親御さんの話を、僕は貴女から聞いたことがない」


 判決を告げられるような思いがした。


 縁川天晴は、静かに話す。きっと彼自身、問いかけるつもりなどなかったのだろう。私は彼を暴こうとして、逆に今、暴かれる。


「みんな知らないことを、記者さんはスクープとして取り上げます。だから、そうなんじゃないかなって思ってました」


 何から説明しようか、考える。


 いつか縁川天晴に話すときがくる気はしていた。


 とぼけ続けるには 一緒にいすぎた。


「私は自分の顔が、分からない。親は、ずっと褒めてた」


 でも、それでもまだ躊躇いがあるのか、覚悟が足りなかったのか、不鮮明な導入を選んでしまう。


「自分の顔、最初からどう見えるか分からなかったんだ。両親は可愛いって言ってくれる。その言葉は信じられたけど、可愛いけど何考えてるか分からないから嫌いって言う男子もいれば、ブスじゃんって叩いてくる女子もいる。小さいころも、今も」


「それは、嫉妬じゃ……」


「でも、親だけはずっと可愛いって言ってて、私小さいころから何しても下手くそでさ、絵も描けないし、足も遅いし」


 小さいころ、本当に何もできなかった。言われたことの、半分くらいしか出来なくて、出来たと思ったら前提から違う、なんてことがいくつもあった。


「お父さんとお母さんは褒めてくれたけど、たぶん親だから、私が何してても嬉しいっていうのがあったんだと思う。だから、可愛いだけとか、何にもできないくせにって言われることが増えていった」


 いわゆる、親バカというやつなのかもしれない。


 それでもなお、両親は「あかりはすごい」「才能にあふれてる」なんて、ずっと言っていた。親戚が呆れるくらい、何度も。


「だからお母さんとお父さんの言う、あかりはすごいって言葉を、本物にしたくて、勉強したり走ったりしてた。でも、あんまりいい結果は出なかった」


 私は、家族が生きていたころを思い出す。地元のカラオケ大会で賞を取ったり、小学校の合唱祭で、ソロパートを歌わせてもらった。両親は嬉しそうに私の姿をビデオカメラに収めていた。


 だんだんお父さんとお母さんは、アイドルできるんじゃない? なんて私に言うようになった。


 事務所に履歴書送ってみようかなんて話をしていて、どの事務所がいいか選んでいた。


 でも、二人とも死んでしまった。大雨だった。


 学校にいた私だけ、生き残った。二人とも、それぞれ別の職場で働いていたのに、一緒に死んでしまった。


「だから、アイドルを目指したの。お父さんもお母さんも、目、きらきらさせてたから。それが生き残った理由なんじゃないかって。そう考えないと、生きていけなかった」


 そうして、ただひたすら両親の期待に応えたくて頑張っていた私を、応援してくれたファンの人たちに、だんだんと恩返しがしたい気持ちが芽生えた。


 私たちの間には推しという感情が入る。


 芸能事務所に所属した以上、こちらが受けて、ファンの人の時間もお金も貰うばかりだ。


 だから、みんなが見れるCМに出て、みんなに結果を見せたかった。


 貴方たちのおかげでこうなれたと伝えたかった。


 でもそれは言わない。


「記者の人は、たぶん私と遥を、二手に分かれて調べてた。あっちは、ドラマが内定してたから。私は付き合ってる人もいないし、付き合ってると思われるような人もいなかった。何か他にスクープはないか調べて、行き着いた先が私の両親のことだったんだと思う。それで、私単独に連絡が来た。警戒したけど、その記者さん、私と地元が一緒だったって聞いて、会うことにした」


 記者さんは、本当にまともな人だった。


 私の素性を調べて、家族について隠していることを察したらしい。


「記者さんも、同じ日に家族がいなくなったらしい」


 私の素性を調べ上げたことは許せない。


 でも、人の道を踏み外しても仕事に打ち込みたい気持ちも、どうしても理解できてしまう。


 それはあちらも同じだった。


 どうして公表しないのか、聞かれなかった。


 それだけで、信頼してもいいと思った。


「私は何かの象徴になりたくなかった。元気がない、つらい時を忘れさせてくれるものでいたかった。尊敬も、同情もいらない。何も考えずに見ることのできる存在でいたかった」


 そう伝えると、記者さんは記事にしないと約束してくれた。


 だから、安心していた。


 気も緩んでいたと思う。


 その写真が、同期をリークしているなんて扱い方をされるなんて、微塵も思っていなかった。


「リークはしてない。でも私は、両親のためにアイドルになった。皆を笑顔にさせるためとか、元気づけたいとか、そんな高尚な理由でアイドルになったわけじゃない」


 もう夢への道はぐちゃぐちゃに壊れた。


 足場なんて消えて、私は地の底にいる。


 なのに縁川天晴は私を照らそうとしてくれた。だからこそ、彼は彼の人生を歩んでほしい。


「俺は……オタクは、どんな推しでも受け止めますよ」


「天晴」


「俺は、貴女を推しているんです。他でもない果崎あかりを推しているんです。代わりなんていないし、いらない。貴女の目的も過去も未来も、すべて受け止めます。貴女が辛いぶんも受け止めます。きっと苦しいことがあるんだろうなって知ったかぶりもします。ちゃんと食べてるかなって、健康でいてほしいなって、おせっかいも焼きます」


 縁川天晴は、私の手に自分の手をかざした。


「そうやって、死ぬまで、死んでも、推していきます」


 眩しい、と思った。


 アイドルは、スポットライトを浴びて舞台で輝く。でも、私にとっての光は、彼らだ。


 推してくれてるみんなが、私の光だ。


 元気を与えたいと言いながら、元気をもらっていたのは私のほうだ。


 私は、見ないふりをした。


 ファンの人を信じることが、途中で出来なくなった。もう私には誰もいない。ステージに立てない。どこにも居場所がない。そう思って、死のうとした。


 裏切った。


 それでもまだ、生きていたいとはどうしても思えない。


 それでも確かにあのステージへ戻りたいと、思ってしまっている。


 戻る場所なんてどこにもないのに。


 なんて言葉を返せばいいか分からない。ありがとうという事すら、言っていい資格があるのか迷うのに、縁川天晴はいつだってすぐ、真っすぐに気持ちを伝えてくる。


「でも、匂わせたりされたら、ちょっと心がちくちくするかもしれません……」


 縁川天晴は唇を尖らせる。震えるほど軽口に救われる。


「そんなことしないよ」


 ようやく声に出せた言葉は、なんの意味もないような約束だった。


 そもそもしようと思ってもできない。もう私は生きてない。


 強く雨が窓をたたいている。不思議と息苦しさは消えていた。

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