雨が止む⑤

「俺の父親が事件起こしたのは、俺が小2の頃だった。その時は親父のしたことよくわからなかったからさ、家に訳わかんねえ張り紙がされんのも、悪いやつやっつけてやるって出会い頭に殴られたりするのも、全部貧乏なのがいけないって思ってた」


 彼は、地面を睨む。


 芸能人で調子にのっているからというだけで、その実家に嫌がらせをしていた人がいた。


 そんな些細な理由ですら、度を越したことを行う人がいる。


 その理由が、悪い人間を退治することに変われば、きっともっと、酷いことが出来る。


「でも、歳食うにつれて分かるじゃん。あいつが何やったかって。でもそれでも生きていかなきゃって仕事探しても、普通に切られてさ。そんな俺を助けてくれたのが、工場長とおばさんだった。俺のこと雇ってくれて、飯まで食わせてくれて、絶対恩返ししなきゃって思ってたんだ」


「じゃあ、やっぱり、貴方は……」


 人を殺してない。


 直接的否定されずとも、痛いほどわかる。


 だって、殺意が感じられない。


「優しすぎたのかな。おじさん。人を疑うこと知らなくてさ、やばい取引先と契約しちゃって、工場明け渡す、それが嫌なら女の社員売り飛ばすみたいなふうに脅されて、相手、刺したんだよ……いや、人殺す相手が優しいとか、ないかもだけど、俺にとっては、神様みたいな人だった」


「遠岸さん……」


「おじさん男殺したあと自殺しちゃってて、遺書とか置いてあるの。おばさん宛に。それでさ……家族でも何でもない俺にも、頑張って、こんなことになってごめんって謝ってんの。謝る必要なんてないのに。俺さぁ、俺に、俺に言ってくれたら、俺がさ、おじさんの代わり、どんな仕事でもやった。どっか国出て、出稼ぎでもなんでもしたのに。おじさん、おじさんそんなこと一言も俺に言わなかったんだよな。俺まだ何にも、恩返しできてないのに。なにひとつ、なにひとつできてないのに」


 遠岸楽は口元をおさえ、涙を流す。身体を揺らして、今もなおここにいない彼の恩人へと向かって、問いかけているようだった。


 彼はきっとおじさんを尊敬していた。恩返しがしたいと思っただろう。


 でもおじさんは、人を殺した。そして自分の命を絶った。手紙を残して。


 事件を起こした人間の家族がどうなるか、その身を持って知っている遠岸楽だ。残されたおばさんがどうなるか、想像したのだ。鮮明に。


「おじさんの周りでこれから何が起きるか、手に取るようにわかるんだよ。だから俺はおじさんを刺した。何度も、何度も、何度も。俺が刺せば、おじさんは加害者じゃなくなる。少なくとも世間からは被害者として扱われる。人を見る目がないって思われるかもだけど、おじさんの家に落書きされたり、無言電話でおばさんが攻撃されたりは、絶対されなくなる。あとは、警察が来るのを待って、恩知らずの化け物を演じるだけで良かった。捕まるまでおばさんに見られなかったことだけが救いだった。死刑になることだけが望みだった。おばさんにとっては俺が仇なわけだし……でも、裁判ってどんな極悪人で、嫌がられるような人間にも弁護士つくようにできてんだよ。国が勝手に決めちまうの。冤罪とかも、あるわけだから」


「だから、法廷で何度も暴れて……」


「可哀想だろ。俺なんか弁護するの。真面目に仕事したらした分だけ、あいつはディスられるだろ」


 遠岸楽は、笑った。笑いながら、自分を殺す過程を話す。


「弁護士には申し訳ないなって、ずっと思ってた。俺なんか弁護してディスられるのなんか目に見えてるし……。すっげえ酷いこといっぱい言った。不細工とか、見た目のこととかも言ったし、裁判官に何回注意されたか分からない。退場を命じられるたび、ほっとした。これで酷いこと言わずに済むって」


 俺のことを無罪に出来ないなら殺す。


 死刑囚はそう言って、退廷を──法廷から出ることを命じられたらしい。弁護士、そして被害者家族への罵詈雑言により退廷を命じられた数は、最も多かったと報じられていた。


 さっさと死刑にしろ。そんな声で溢れていた。まさかそうなることを、自分から望んでいたなんて。


 救われて──間違いを犯してしまった恩人を、守ろうとしていた。


 死後の世界があるのなら、彼のおじさんは、一体どんな気持ちで、彼を見ているのだろう。なにか言葉をかけたほうがいいのに、何も言えなかった。簡単に彼を図れない。


 縁川天晴も、私も、ただ黙って遠岸楽の隣にいた。やがて話をしていたらしい歩積さんが、寺からそっと出ていくのが見えた。


 遠岸楽は、祈りを捧げる眼差しで、 姿が消えていくのを待っている。


「……どうして雨の日だけ、面会に応じたんですか」


 私は遠岸楽の祈りの邪魔にならないように、訊ねた。


 彼はずっと弁護士を守ろうとしていた。秘密を暴かれることを拒んでいた。それなら、ずっと会わないほうが目的は達成できていたはず。


「雨、すげえ寒いじゃん。靴濡れるし、靴下気持ち悪いし、絶対片手塞がるし。足元悪いのに、来てもらって悪いなーって。硝子隔てても、人殺しと対面するなんて怖いだろうし、話す気なんてさらさらないから、黙ってそっぽ向いてたらいいかなって。それが間違いだった」


 間違いじゃない。


 間違いだとしても、いいはずじゃないか。


 そう口にして、果たして遠岸楽は救われるのだろうか。今歩積さんが墓参りをしていることは、彼の望みとは遠い。私たちはそれから、遠岸楽が墓を出て、弔いの場所から立ち去っていくのを縁川天晴と一緒に見届ける。


 僅かに土と冷たさが滲む雨の気配がしていた。

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