愛追②
「え! いいんですか?」
「うん。なんていうか、そのほうがいいんじゃないかって……」
「ぜひ! ぜひともお願いします! うわぁ、推しに推し色に染められるぅ……」
「意味が分からない」
「ペンライトもこの心も勿論あかりちゃんのカラーですけど、身も推し色に染められるんですよ! 最高じゃないですか!」
縁川天晴は先ほどまでの美容室行きたくないオーラが嘘だったかのように、浮き立った足取りで進んでいく。
「やめな。通報されるよ」
「俺は貴女しか見えてないのでおっけーです! って言いたいところですけど……俺のせいであかりちゃんが悪く言われるのは避けたいですからね……自粛します」
そう言われ、胸のあたりに痛みが走った。
「あかりちゃん?」
「なんでもない。美容室ここでしょ? 入ろ」
私は美容室のドアを開くように促す。彼は緊張した面持ちで扉を開いた。その背中を見て、形容しがたい感情に襲われる。
果崎あかりを推す。今の時世にその選択をすることは、リスクが付きまとう。なのに縁川天晴はどこまでも私にアイドルとしてのこれからがある前提でものを話すし行動するから、苦しい。
だってその期待に応えることなんて、一生できないのだから。
●●●
美容室で
初めての美容室で緊張しているだろうけれど、だからこそより最悪の状況を生み出すのは避けたかった。
「
突然名前を口にされたことでドキッとする。振り返ると大学生っぽいグループがスマホを片手に話をしているところだった。
「お前好きって言ってたよな」
「匂わせするほうもするほうだけどさ、リークするとか萎えた。無理だわ」
「あ、確かにコメ欄も似たようなこと言ってるわ。好きだったけど心がクズなんてモニョる……だって。なにモニョるって。検索しよ」
二人はスマホを片手に、私について話をしている。私に気付いたわけではなく、あくまで記事を見ているようだった。
「でもリークしてディスられて炎上ってすげえな。ソッコー天罰下ってんじゃん」
「結構世界ってちゃんと出来てるんだな?」
彼らにとっては、他愛もない話をするのと同じだ。私がそばにいるから話をしているわけではないし、そこまで悪意もない。ただ感想を言ってるだけ。
なのに息が詰まりそうになる。
「くだらない。バカみたい!」
そっと今いる場所から離れようとしたとき、快活な声とともにバン! と鈍い音が響いた。私と大学生たちのグループの間には、真っ白なレトロワンピースを着ている女性が立っていて、どうやら女性が大学生の一人を突き飛ばしたようだった。
「コソコソ悪口言って、なんなの? 気持ち悪いんだけど!」
女性は学生たちを睨む。学生たちはお互い顔を見合わせ、走り出していった。
呆気にとられていると、女性はこちらを振り返り、ぱっと微笑む。
「大丈夫だった?」
「はい……あ、ありがとうございます」
「あはは。見ていたら、何かとても貴女が悲しそうな顔をしていたから、飛び出してきちゃった」
柔らかく目じりを下げる女性は、作り物みたいに美しい顔立ちで、つい見入ってしまう。どことなく浮世離れした雰囲気を纏う彼女は、「誰かと待ち合わせ?」と、無邪気に訊ねてきた。
「いえ……私は、えっと、今知り合いがそこの美容室で髪を切っていて、それを待っていて……」
この人は、私が見えている。
縁川天晴も私がはじめ生きているか死んでいるか分かっていなかったし、そもそもアイドルの私を知らないようだ。
縁川天晴は、なるべく私にテレビを見せないようにしていた。報道はされているだろうけど……。
「なら、少しそこのベンチで座っていましょう? 美容室の前で待ちぼうけなんてつまらないし、ああいう奴らがまた来るかもしれないし、なにより一人で待っているのは寂しいでしょう?」
軽やかな提案に、躊躇いを覚えた。
私と話をしていれば、彼女は一人で話をしている人だと思われてしまう。悩んでいると、「ほら」と彼女は手を引っ張っていく。
「今日はこんなに天気がいいのだから、木陰にいなきゃ駄目よ。熱中症で死んでしまうわ」
彼女は私をそばのベンチに座らせ、自分も隣に座った。彼女は、「んー!」と伸びをする。純白のワンピースから伸びるほっそりとした白い足を見ていると、今にも太陽に焼かれてしまいそうで不安になった。
「学生?」
「えっと」
真っ白な肌を見つめすぎたせいで反応が遅れてしまった。彼女は「学校に行けていないの?」と不安そうに眉を下げる。
「いえ、えっと、高校生です」
「そうなの? なら同じね」
彼女のあっけらかんとした答えに、目を見開いた。
てっきり、大学生くらいだと思っていた。彼女があまりに大人びた雰囲気を持っていたから、誤解をしてしまった。
「夏休み、どこかへ行った?」
夏休みは、ずっと仕事をしていた。でも、流石に言いづらい。私は「宿題が大変で」と言葉を濁した。
「宿題! なんだか毎年増えてくる気がするのよねえ! 小学校のころ朝顔の観察も途中途中で抜けがあったりして……」
「懐かしいですね……読書感想文も、大変でした」
「読書感想文、私とても苦手なのよね……満足いくものが書けたって思えたこと、一度もないわ」
彼女は、顔をゆがめる。読書感想文は、難しい。小学校のころから、夏休みの宿題の中で一番苦手だった。
「私ね、先生に読書感想文が苦手だって言ったときに、もらった言葉があるの。どういうところが良くて、何を感じているか、誰かが私の感想を読んでその本を手に取ってみたくなる感想文を書いてみてって」
誰かがその本を手に取ってみたくなる。
そういう風に書いていけばいいのか。納得していると彼女は顔を暗くした。
「でも、私はその話を聞いて余計書けなくなったわ」
「えぇ……」
「だって、どきどきして好きとか、悲しい場面でガーンってなったとか、漫画みたいな表現で感想文を書いたら駄目でしょう? 語彙が少ないのよね。私。だから辞書を引いたりして書いてみると、これは果たし状? それとも脅迫状なの? ってくらい、支離滅裂な文章になっているの。まるで錯乱した恋文よ」
「恋文……」
彼女は、「恋文って書いたこと、ある?」と問いかけてきた。
「一度もないです」
手紙を書く機会は、ファンレターを返信するときだけだ。SNSにいいねを押してくれる人は何万といても、ファンレターを送ってくれる人はすごく少なくて、とても貴重な存在だった。
だからそんな想いにこたえたくて全部手書きで返事をしていた。傷つく表現がないか、読み辛くないか一回鉛筆で下書きをして、ボールペンで清書する。大変だけど、レターセットを選ぶのも楽しかった。
「ええ、好きな人はいないの?」
「いません」
「そうなの……」
悲しそうな眼差しに、私は戸惑った。アイドルという職業をしていた以上、ある程度厳しい言葉をかけられるのも、恋をしないのも日常だ。
でも今の彼女は、私を男子たちにからかわれ、恋をしない一般人だと考えている。寂しさの究極体だととらえているのかもしれない。
「自由恋愛の時代ではあるし、恋をしないのも自由だけど、したほうがいいわよ。とても素敵だから。苦しみも倍だけどね」
私の話を聞かれるより、話題を彼女に移したほうがいいだろう。「好きな人がいるんですか?」と問いかければ、彼女は頬を染めながらはにかんだ。
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