愛追①
学校から帰ったあと、
「何で自分で髪を切ろうとしていらっしゃる……?」
私はビニールシートをかぶり、鏡を机の上にセッティングする縁川天晴に声をかける。床には新聞紙が敷かれ、セルフカットの準備としか言えない様子だった。
「え……だって髪切るのお金かかるじゃないですか。CDもう一枚買える……」
「いやもうその長さはセルフケア出来るレベルじゃないって。美容院に行こう。プロになんとかしてもらおう。っていうか、お母さんとかお父さんは何も言わないの?」
「美容院代別に出すから美容院に行けって、他人事みたいに言いますよ」
困った様子で、縁川天晴は目を細めた。困っているのは彼の両親だ。
「心配されてるよ。他人事じゃないじゃん」
「父と母は知らないんですよ。美容院が恐ろしいところだと……」
縁川天晴の髪型は、伸びっぱなしだった。もはやおかっぱに近い。今まで美容室へ行って怖い目にでもあったかと問えば、彼は複雑そうに呟いた。
「初めてですよ。近所の床屋さんが潰れて、散髪の場所は奪われました。美容院なんかに行けば、きったねえ田舎もんが来たなぁってぼったくられるにきまってます」
酷すぎる偏見にびっくりして言葉が出ない。
しかも完全に被害妄想だ。きったねえの部分に力が籠っているあたり、あたかも被害を受けたように聞こえたけど、ぼったくられ
「僕なんか裏でせせら笑われるんですよ。陽キャが陽キャの剪定する場なんですよ。あそこは」
「完全な偏見だから。髪切るのが仕事だし普通に考えてお客さん笑わないでしょ」
「迷惑になりませんかね。営業妨害! って、鋏持って追いかけられたらどうしよう。相手刃物持ちですよ、勝てませんよ」
「そんな事件、ニュースで見たことある?」
「ないですけど……えぇ……どうしようかな……推しのお願いでも……だってカット代貢いだほうがあかりちゃんの為になるし」
縁川天晴は自分の髪の毛をひっぱりながらぶつぶつ言っている。絶対切ったほうがいい。
「美容室で髪切りな。切ったほうがいいよ。そのほうが私は嬉しいよ。私もついていくから」
「ハイっ」
お願いすれば、さっきまでの嫌がりが嘘のように、彼はセルフカットのフィールドを撤去し始めた。先ほどまでの抵抗は一体何だったのか。彼はてきぱきと新聞紙を畳み、鋏を片付けて財布をポケットにしまい始める。
「その切り替えの早さはなに……?」
「推しのお願いならばオタクはなんでも叶えて見せますよ。推しは絶対ですから。昨日も言ったでしょう? 一生を推しに捧げて、オタクは死んでいくんです」
推しは絶対。
妄信的な応援に、申し訳ない気持ちになる。全力で応援してもらっても、もう一生その気持ちに応えることなんて出来ないのに。
推し、変えてくれないかな。
どこかほかのアイドルに。
今まで応援してくれたファンが、別のアイドルを応援する。推し変と言われるそれは、名称がつくくらいポピュラーなことなんだと思う。
寂しいし、パフォーマンスが足りなかったのかと反省もする。強制できないし、応援はあくまで好意であって自由であるべきだけど……やっぱり悲しいものだった。
でも今は、推しを変えてほしい。それか私を推すのを辞めて、髪も服も整えて自分を犠牲にするのはやめてほしい。
「推しと美容院行けるなんて、チェキ何枚……いやCD何枚分だろう」
うっとりした眼差しに、私は視線を逸らす。
「CD換算しようとしないで。ほら、準備が終わったら外出て」
「ハイッ……なんか、ライブのレスみたいですね」
ライブの、コールアンドレスポンス。観客席の皆に向かってマイクを向ける。返事をしてもらえるか、最初はいつも不安だった。いつの日か、きっと返してくれるに変わって、絶対返してもらえると思うようになった。
ライブはいつだって後悔無いよう、全力を出してる。全力を出しすぎて最終日に声が出ないなんてことが無いように、喉を鍛えて普段は喉を傷めないよう加湿器をつけたり、冷房をつけたまま寝なかったり。多少寝苦しくても、じめじめしても我慢。
気を遣っていつだって張り詰めた気持ちでいたけど、ファンレターを読んだりライブをして、自分たちを応援してくれているファンの皆だけを前にしているときは唯一自由でいられた。
今が一番輝いていると、心から思った。
「はやく、行くよ」
私は、
「ひええ。あかりちゃんが腕を……」
一昨日は強引に腕を引っ張ってきたのに。
戸惑いを見せる縁川天晴の腕を引きながら、私は外へと出たのだった。
●●●
休みの日に街を出歩くことは、デビューしたての頃も今もあまりなかった。
ライブやその準備は、歌や踊りの練習のほかに衣装合わせや全体での打ち合わせもあるし、雑誌のインタビューに写真撮影、ブロマイドや缶バッジの撮影、ライブに関係ない、普段から行うダンスレッスンやボイストレーニング、喉や腰を傷めないようメンテナンスもしていたし、空いた時間があれば演技の練習をしていた。
後学のため先輩のライブやほかのアーティストのライブに行ったりDVDを見たり、時間が空いたとしても家で過ごすことが多かった。芸能人の趣味がゲームだったり、恋人が共演者になりがちなのは、そもそもあまりにも時間がないからというのもあると思う。
「いやぁ推しと街中を歩く日が来るなんて……夢のようです。どうしよう、記者とかいませんかね。隠れないと」
「多分その前に警察に捕まる可能性が高いと思う」
お店の看板に隠れようとする不審な縁川天晴を止めながら、ゆっくりと歩いていく。縁川天晴は、外に出ても普通に私と話をしようとする。だからなるべく裏通りを歩くことにした。
ただ、休日ということもあってか、フラペチーノやスイーツを食べ歩きしてるグループや、手をつなぐカップルと、人通りがないわけじゃない。
だというのに彼は平然と私に話しかけてくるし、奇行も目立つ。
「髪を切るって、どうすればいいんですかね。個人的に坊主ヘアは似合わないと思うので避けたいんですけど。いるんですようちのお寺に。すごい似合う美坊主が。真似してると思われそうで……」
「坊主にしてくださいって言わない限り美容師さんもそこまで切らないから」
「だってオシャレな美容師さんって普段何してるとかどこ住んでるとか聞いてくるんですよね? 寺生まれって知られたら、えーそうなんですかー? バリバリバリバリ〜ってされそうで怖くて」
縁川天晴は、わざわざ身振り手振りを交えて美容室への恐怖をあらわにしている。
「でも、どこまで切ればいいんでしょう。お任せにして坊主になったら泣いちゃいますよ」
「ならないよ」
美容室からどうしてすぐ坊主が連想されるんだろう。多分五分刈りとか言い出さない限り、バリカンすら出されれないと思う。
「私が言おうか。注文。それをそのまま真似して復唱すれば、坊主にはならないはずだから」
思わず提案すると、彼は大きく目を見開いた。
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