さよならの手①
徐々に夜に浸食されていく夕焼けを眺めながら、ゆっくりとお寺に向かって歩いていく。ライブを終えた私たちは、三人並んで帰ることになった。
遠くでは烏の鳴き声が聞こえて、人々は両手をこすり合わせながら帰路を急いでいた。
「なんか、結構良かったわ。歌とかダンスとか」
ぽつりと遠岸楽が呟く。「エェ〜? 上からすぎません!?」とつっかかろうとする縁川天晴を押さえつつ、私は二人にお礼を伝える。
「今日はありがとう」
「全然! 最高でした!」
「おー」
遠岸楽は、どこかぼんやりしていた。何か話題を変えたほうがいいかと、私は縁川天晴に声をかけた。
「結局、先生のことどうやって説得したの」
「秘密です。男同士の約束なので」
「なら、遠岸も知ってるの?」
彼に問いかけると、遠岸楽は得意げに「まあな」と返した。
私だけが知らないのか。
わずかに寂しさを覚え、「そっか」と目を細める。
「でも、本当にありがとう。ライブさせてくれて。さくらちゃん、手術受ける気になってくれたし、本当によかった」
でも、出来ない約束をしてしまったことが、心残りだ。
気を落としていることを悟られないよう、私は夕日を眺める。
「はい。あっ、俺も次のライブ、楽しみにしてますからね!」
追い打ちをかけられ、今度は声も出せずにうなずいた。さくらちゃんも、縁川天晴も、遠岸楽も、私を生き返ると思っている。そのことが心苦しい。
死のうとしたことは、間違っていたのかもしれないと思ってしまうから。
「俺さ」
誰も言葉を発さず寺に向かって歩いていると、遠岸楽が呟いた。さらさらと風が吹いて、遠岸楽の身体が透けて見えた。目を凝らす前に、彼が続ける。
「たぶんそのうち、消えるっぽいんだよな」
「え……」
突然の告白に、時が止まったような錯覚を受けた。どうしてと考えて、ここ最近の、彼のらしくない言動を思い出す。
「最近、ちょっと透けててさ。指とか。なんとなく分かるんだよ。そのうち消えるって」
遠岸楽の焦りは、こちらに踏み込んでくる態度は、自分に残された時間が少ないから。
縁川天晴は、黙ったまま、言葉を紡がない。
「だから、お前ら二人に礼を言っておこうと思って。いつ消えるか、分かんねえからさ。俺、お前らと違って完全に死んでるから」
完全に、死んでいる。
確かに、もう彼の身体は焼かれ、骨になっておさめられている。
でも、目の前にいる遠岸楽は。
今ここに、いるのに。
「ありがとな。色々、お前らのおかげで、ただその辺りうろつくんじゃなくて、すげえ色々考える時間が出来た」
「……」
夕焼けを背に、屈託のない笑みが視界に映った。彼は、こんな風に笑うのか。いつも彼は、平然としながらも悲しみの気配を纏っていた。
物言いは粗暴ながら落ち着いていて、夏が終わった秋の日差しのような人だった。
「お礼を言うのは、僕らだけでいいんですか?」
それまでずっと黙っていた縁川天晴が、口を開いた。
含みをもたせた声音に、私も遠岸楽も縁川天晴を見る。
「まだ、いるでしょう」
縁川天晴はそっと墓地の中、遠岸楽のお墓へ指をさす。そこには、七十歳くらいの柔らかい色のセーターを着た女性が立っていた。
「貴方は、あかりちゃんを助けてくれた」
縁川天晴の言葉を受けながら、遠岸楽は、女性へ視線を向けた。
「ばあちゃん」
答え合わせをするように、遠岸楽が呟く。女性は彼が見えていないようで、視線を彷徨わせながらも必死に何かを探していた。
「いるのかい。楽」
切なげな声色は、遠岸楽に憎しみなんて抱いていないことをはっきりと示していた。
女性はもがくような足取りで、私たちの立つ方向へ視線を向ける。大切なひとを探す瞳をしていた。
「なんで……」
「歩積さんが、墓参りしないかって会いに行ったらしいです。見知らぬ男子高校生も会いに行って、楽がお婆さんのこと心配してるって言って、ついてくるほどには、貴方のことを想っているようですよ」
縁川天晴の返答に、遠岸楽は声を震わせる。
「どうしてそんなことを……」
しかし、「楽」と呼ぶ女性の声に、すぐそちらへ顔を向けた。
「わたしなぁ、絶対おかしいって、ずっと思ってたんだよ。本当は、あのひとが殺したんだろう。お前、なぁ、お前、お父さんの罪を被ったんだろう。虫一匹殺せないお前が、出来るわけないって、だからあんな、今まで聞いたことないような言葉で俺たちのこと、守ろうとしたんだろう! なぁ!」
女性は、とめどなく涙を溢れさせながら、ぺたぺたとお墓に触れる。墓石を通じて、彼に触れているみたいだ。
遠岸楽はそんな様子を眺めながら、目に涙をためている。
「ばあさんいいんだよ。俺は、いいんだ。もう。そんな泣かないでくれよ」
「お前、未来あったろう。いくらでもやり直せただろう。なんで死刑なんか。なんで、若かったのに。何でも、何でも戻れた。間違ったってよかったのにお前、私たちのことなんて守って死んじまうなんて、おかしいだろ。何でお前、生きててくれなかったんか」
「ばあちゃん……」
「わたしも父さんもどんな形であれ、お前に生きてて欲しかった……! 死んでほしくなんてなかった……! どんなお前でも……! 私たちはお前を、お前が好きだったのに……」
お婆さんは腰を丸め、墓石の前でうずくまる。
震える手を合わせながら、祈るように目を閉じている。遠岸楽は、そっとお婆さんに近づいて、目の前にしゃがんだ。
「ごめん……死んで、ごめん」
遠岸楽は、頭を下げる。親に叱られた子供のあどけなさを残しながら、静かに、何度も。
「ごめんな」
そうして、そっとお婆さんの手に触れた。すると、お婆さんが、ふっと顔を上げる。
「いるのかい」
「え……」
お婆さんの瞳は、遠岸楽を捉えていない。けれど気配は感じ取っているらしい。「いるんだろう」と、優しい声で呼びかける。
「お前、とんでもないことして……馬鹿な子だ……」
「ばあちゃん」
「役に立てなくて、ごめんね……」
弱弱しい声に、遠岸楽は首を何度も横に振った。そんなことない。そんなわけあるかと繰り返しながら、お婆さんの手を取る。
「そんなことない。じいちゃんもばあちゃんも、すごい良くしてくれた。役に立てなかったのは俺のほうだ。何にも恩返しが出来なかった。何にも、俺は返せなかった」
「あの世で、幸せになってくれ。頼む。次生まれ変わるとき、幸せでいてくれ。誰よりも、何よりも、自分の幸せだけ考えて、生きてくれ」
言葉もなにも、かみ合っていない。
一方通行だ。
お互いそのもどかしさを堪えながら、お互いに別れを告げる。
「私も、あとどれくらい生きられるか分からないけど、そっちに行くからな」
「ばあさん、長生きしてくれ。幸せでいてくれ。頼む。こっちには来ないでくれ」
「さみしい思いはしないでくれよ、また、会いに来るから」
「元気で、地獄になんて来ないでくれ。さよなら、ばあちゃん」
女性は別れの言葉を告げると、しばらくその場にうずくまっていた。やがて夜が近づくと、自分の目元を掌で拭いながら、力強く立ち上がる。
そのまま女性は、墓場から遠のいていく。
残された形になった遠岸楽は、ただただ涙を流している。私と縁川天晴はそっと彼の隣に立ち、その背中に触れる。そうして気付いた。
遠岸楽の背中は、わずかに発光して透けている。本人も分かっているらしい。口に出す前に、首を横に振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます