雨が止む③

「でも、あかりちゃんは悪くないですよ。実際そんな風に書かれたらお店なんてたまったもんじゃないですし……でも、それが原因……なんですかね」


「わからない。遥はもう一切関係なくて、本当に偶然、連続で炎上してるだけかもしれない」


「たしかに、あいつら、探偵ゲームしてるだけですもん。外れてもデメリットはないですからね。探偵とか警察なら、必ずデメリットが発生するのに、なにもない。ただ記事の感想書いてるだけだって建前もあるし」


 ぎりぎりと歯を食いしばりながら呪詛を吐く縁川天晴に、首を横に振る。そんな風にとらえてほしくない。私が悪いから、妄信をやめてほしい。


「……だから、私にも原因があるよ。あの動画は」


 もう少し、言い方があったはずだ。


 そんなことを書いたら、遥が危ないよとか。今後の仕事に響くかもしれないとか。もっと具体的に遥自身を思った言葉をかけるべきだった。あのとき私は、お店についてしか考えていなかった。


「ないですよ。あかりちゃんはストイックすぎて自分に原因がないか探るのが癖なだけです。僕は貴女のブログ2000記事を網羅し呟きはバックアップ保存、インタビューをすべて読み込み有料動画は約半分、無料動画はすべて20周はしています。絶対そうです」


 どん、と縁川天晴は自分の胸を叩く。叩きすぎたのか「いてて」と胸を押さえた。


「大丈夫?」


「大丈夫ですよ。それよりほら! 雨がやみましたよ!」


 明るい声色に、空を見上げる。確かに忌々しい雨は止んでいて、遠くの空は明るくなっている。


「そういえば、あかりちゃん夜中、ごそごそしてませんでしたか……?」


 雨上がりを感じさせる空とは対照的に、じろりと湿った視線を向けられ、私は「何も」と淡々と返した。


「本当に? お墓で見張りとか行ってませんか?」


「行ってないよ」


 本当は、行っている。


 でも通路が荒らされたあの日以降、なにか起きた様子は見られない。


 衝動的に嫌がらせをしてきたということなのか、烏か何かがお墓のお供えを食べ、放り落とした可能性も考えられる。


 でも、お饅頭もお花も手でわざわざ押し潰したような、すり潰したような跡があった。人影があったというお弟子さんの言葉からも、熊や猪、烏の可能性は低いと思う。


 となると、生きた人間か、そうじゃない人間だ。


 遠岸楽は塩に触れたとき、「バケモノがいるから何とかしなきゃ」という気持ちだったらしい。私が机を動かしたとき、縁川天晴を助けたいと思った。


 そして思い返せば、あの白いワンピースの女性も、出会った当初、私を助けてくれた。そして女性は大学生らしき男の人たちに向かって物を投げていた。


 もし「助ける」という意思によって、幽体が物へと干渉できるなら。


 考えていると、縁川天晴の足取りが止まっていることに気付いた。振り返れば彼は険しい顔つきで前を見据えている。視線を追うと、道の先に遠岸楽が立っていた。


「助けろ」


 遠岸楽はそう言って、鋭くこちらを睨み付けた。


「不審者が、毎日来てんだよ」


「え……でも、 も、 私が見張ってるときはみませんでしたけど……一体どこに」


 私が思わず口にすると、後ろで縁川天晴が「やっぱり見張ってたんじゃないですか! 嘘つき!」と大声を出した。


 「ひどいひどい」とわめく縁川天晴を一瞥してから、遠岸楽は私の前に立つ。


「不審者、とにかく薄気味悪い動きすんだよ。裏門から入ろうとしたり、周りうろついて帰ったり。この二日は墓地には入ってねえけど寺の周りの木の陰とかにいて、坊主たちも警備してるから坊主の気配悟るとどっか消えるんだよ」


 声色には、もどかしさややるせなさが含まれていた。


「街灯もろくにねえせえで、顔が拝めねえ。この手は懐中電灯も掴めねえ。助けろ」


 そして遠岸楽は意を決した様子で、言葉を振り絞る。


「お前らの力が、いる」


●●●



「蝉うるせえな。夜だろ? なんでこんな煩いんだよ」


 遠岸楽と協力して不審者の正体を掴むことになった日の夜。


 遠岸楽、縁川天晴、私の三人はさっそく墓地に集まった。


 作戦は簡単だった。私と遠岸楽が二手に分かれ不審者を探し、縁川天春に伝え、電話でお弟子さんに連絡してもらうという算段だ。


 でも。


「つうか、三人一緒に歩くってなんだよ。舐めてんだろ。効率悪いだろうが」


 遠岸楽は不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。三人で墓地をパトロールすることを提案した縁川天晴は、ふんと鼻を鳴らした。


「夜に推しと男を二人きりにするオタクなんてどこ探したっていませんよ。貴方には助けてもらった恩もありますが、僕がお風呂に入っている隙にあかりちゃんを暗がりに連れ込んで話しかけたという蛮行に関しては別問題です」


「意味わかんねえ気持ち悪いな」


「オタクが気持ち悪いなんて氷河期の発想ですよ」


「オタクじゃねえよ、お前が気持ち悪いんだよ」


 二人の問答を聞きながら、私は墓地を探りながら歩いていく。


 生きていたとき、なるべく周囲に気をつけて歩いていた。行き過ぎたファンの中には何としてでも自宅を突き止めようと、出待ちして私の乗るタクシーを追ったり、おおよそ検討をつけて家を総当たりで探す、なんて人もいた。


 人に住所がばれるということは、自分の住んでいる周りの人に迷惑をかけてしまうことになる。人が隠れる場所は、大体決まっている。自分の役にしか立たないと思っていたことが、役に立つことは、少しだけ気が晴れる。


 私はじっと墓地の陰ひとつひとつを見つめた。月明りはないけれど、生きている人間なら僅かに残像のようなシルエットは動くし、目をこらせば気付く。


「あ」


 やがて私は、少し先のほうで、じっとこちらの様子をうかがう人影を見つけた。


「いた」


 呟くと、さっと二人が問答を止めた。


「そのままにして、貴方は──、もう仕方ないから、一人でしゃべってる感じでいて」


 私はそっと人影へと向かっていく。「危ないですよ」と後ろから声がかかるけど、縁川天晴が一人で話をしているようにしか見えないらしい人影は、戸惑いがちに身を乗り出した。


 その瞬間、縁川天晴が持っていた懐中電灯をつけ、思い切り人影に向ける。


「きゃっ」


 人影は──墓地に身を潜めていた女性は、突然まばゆい光源をあてられたことでしりもちをついた。二十代後半くらいだろうか。フォーマルなスーツ姿で髪をひとつにまとめた女性は、仕事帰りに見えても、墓荒らしには到底見えなかった。


「え……」


 私は、彼女の胸元に光るバッジを見つけて、愕然とした。


 この女性は、本来不審者とは対局の位置にいる。


 副業は出来ないはずだから、記者でもない。好奇心で死刑囚の墓を荒らせば最後、その人は間違いなく職を失うだろう。


 だってこの人は──。


「この人、弁護士だ!」


「弁護士!?」


 私の声に、縁川天晴は驚きながらこちらに駆けてくる。そして、私たちに協力を申し出るほど犯人を探していた遠岸楽の反応がないことに気付いた。遠岸楽を探せば、彼は愕然としながら、立ち尽くしている。


「そいつ、不審者じゃない。絶対に」


 ただ弁護士さんを見つめていた遠岸楽は、そこでようやく声を発した。


「え……」


「俺の、弁護をしてたやつだ」


 今すぐ消えてしまいそうなほど儚い声を発した遠岸楽は、それきり何かを口にすることなく、ずっと弁護士さんを見つめていた。

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