遙かな夢①

 遠岸楽とおぎしがくは、歩積ほづみさんが完全に去ったのを見届けると、雨の始まりとともに墓地の奥へと消えていった。成仏したかはわからない。降り出した雨が窓を撫でるのを眺めたあと、常夜灯に照らされた寝台へ視線を移す。


「起きてる?」


「当然ですよ!」


 それまでかけぶとんにくるまっていた塊がぐるりと回転して、ぎょろりとした目が二つこちらに向く。


 あれから私と縁川天晴えんがわあまはるは部屋へ戻ってきて寝ることになった。彼はいつも通りの調子で、「あかりちゃん寝ないと! もう夜遅いですよ!」と私のために丁寧に客人用の布団を床に敷き、自分はベッドに飛び乗り寝に入っていたところだった。


「遠岸さん、成仏したのかな」


「どうだか。でも、わりと普通に墓地のほうに戻って言った感じありますよね」


 幽体の存在は、なにか心に一区切り付いたら消えるのだろうか。仕組みがわからない。幽霊は、私はいつこの世界から消えることが出来るんだろう。


 自分が消える瞬間を想像してから、私は縁川天晴に顔を向ける。


「かっこよかったよ」


「あいつがですか?」


「貴方が」


 縁川天晴は、遠岸楽の想いを代わりに伝えていた。言葉を聞いたことで、確かに歩積さんは救われていた。


 人を救える人は、すごいと思う。


「ヒョァァァァ」


 しかし、縁川天晴は、笛みたいな声を出す。


 私は呆れながらも付け足した。


「貴方が遠岸楽の気持ちを伝えてなかったら、たぶん歩積さんずっともやもやしていたんじゃないかな。貴方のおかげで、前が向けるようになったと思う。希望が入ってるかもしれないけど」


「なるほど……俺なんかでも誰かを助けることが出来るものなんですね……」


 まるで他人事のような返答に、少し呆れた。


 いじめられて、自己評価が低くなってしまったのだろうか。それともただの謙遜か。


「私も、救われてるところがあるよ」


 救われては、いけない。本当は私が を救わなきゃいけない。


「全然救えてないですよ。ずっと僕が、貴女に救われてます」


 縁川天晴が、ぽつりと呟く。返事が出来ない。


 私はもう歌で元気づけることも、アイドルとして彼の背中を押すこともできない。


 だからこそ手遅れになる前に、果崎あかりへの信仰を、羨望を私から逸らさないと。


「どこまででも、応援します。ついていきますから」


 かけられた声にハッとした。縁川天晴のほうを見ると、暗がりの中こちらを見つめている。黒い瞳は常夜灯に反射して、猫みたいだった。ただ猫だと茶化せる隙間はどこにもない、真剣なまなざしだ。


 だからこそ、果崎あかりを忘れてほしい。


●●●


 引きこもりに週休二日は厳しい。


 その言葉通り、縁川天晴は学校に行こうとしなかった。不登校であることを否定するために向かった一回目と、イメージチェンジをして学校へと向かった二回目は、彼の心に大きな負担をかけたようで、縁川天晴は木曜日を境に通学することはなかった。


 両親は、そんな彼を責めることなくそっとしている。食卓に集えば笑って会話をし、踏み込まないようにしていた。


 そして──、


「蝉うるせえなぁ。全部燃えちまえばいいのに」


 辟易した顔で遠岸楽が空をにらむ。


 彼は成仏することなく、墓地にいた。自分についても弁護士さんについても話をしない。歩積さんは、雨の日に墓参りに来るようになった。遠岸楽はその様子を遠くで見届けることを習慣としていた。


 私はまだ死に至ってない。


 晴れて私の心臓が止まれば、きっとこの存在は消えると信じていた。


 でも、遠岸楽は違う。死に、炎によって骨となりしかるべき場所へ弔われてもなおこの世界にいる。おそらく、私を追いかけてきたあの女性も。


 私は、縁川天晴が私を推さなくなるよう尽力すると決めた。ある程度親しくしていれば、身近に感じて夢が覚め、私を推すまではしなくなるんじゃないかと期待していた。


 なのに縁川天晴は放っておけば、私の公演映像を見たり、CDを聴く。さりげなくほかの映画を見たいとか、ほかのアーティストを勧めても、「最後にあかりちゃんを見ないと締まりませんね」なんて、私の出演作を出す。


 これから、どうすればいいんだろう。


 ただ単に離れてしまえばいいのか。


 縁側で悶々と考えていれば、ばたばたと足音が聞こえてきた。


「今から、一緒に病院に行きませんか」


 縁川天晴が、私の出演映画のDVDを片手に隣に立った。


「病院……?」


 彼と、初めて出会った場所だ。あの日彼は兄のお見舞いに来たと言っていたけれど、家族は彼のお兄さんの話をしていない。何かしら、重い事情があると想像して、病院に関することについて触れなかった。


「お見舞い?」


「はい。それに……あかりちゃんのお身体の様子も気になりますし」


 縁川天晴は意味ありげに私を見つめた後、躊躇いがちに視線を落とした。お兄さんのお見舞いではない?


 なにか、病院で──私に何かあったのだろうか。居間のテレビでワイドショーが映ることはなく、彼の祖父母が教育チャンネルか朝のドラマ、家庭菜園、料理などを放映するひとつのチャンネルが流れている。


「うん。行く」


「俺も行く」


 縁川天晴の提案に、遠岸楽が立ち上がった。


「病院なら、死人も出るだろ。このままじゃ怠いし、やってられねえから」


「えぇ、来るんですかぁ……?」


 縁川天晴は露骨に嫌がる。遠岸楽は、「うるせえな」と悪態をついた。


「ずっとここにいても飽きるんだよ」


 ここにいると飽きる。


 なのに留まっているのはきっと、歩積さんの様子が気になるから。


 遠岸楽は、夜に病院へ行くという話になっていたら、ついて来ようとしなかったはずだ。


 縁川天晴はそのことに追及しない。


 私は縁川天晴の兄について触れない。


 遠岸楽は、私の炎上に興味を示さない。


 私たちは、一定の境界線を保ちながら、縁川天晴の部屋を後にしたのだった。

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