遙かな夢⑤

 ライブをするまで、することは山積みだった。喉の調子を整えることに、発声練習に。この身体は半透明で、いわば私は幽霊でしかない。なのに少し歌っただけで簡単に声は掠れて、息も続かなくなっていた。


 手首を切って身体にダメージを与えたから、なんて可能性に逃げるよりも、ずっとアイドルとして切磋琢磨していた日々から離れていた実感のほうが強くて、焦りを覚えた。


 だから、私は皆が寝静まってから、ボイストレーニングをすることにした。場所はお墓だ。


 私が見えてしまったら誰かを怖がらせてしまうから、なるべく奥まったところを選んだ。


 音程を確認しながら、当日歌う曲の音程を確認する。歌える音域がかなり狭まってしまった。曲に関係ない音程は、一旦置いておかなければ間に合わない。


 ひやりとした空気に包まれ、月を見上げながら歌う。


 木々と土と、お線香のにおいがする。夜、寝る前に窓を開けてぼんやり外を見上げるのが好きだった。月明かりに部屋が照らされると、なんとなく安心した。


 強い光は好きじゃなかったはずなのに、アイドルの仕事を初めて光というものが好きになった。青空というだけで救われるような気持ちがして、私をあの雨音から遠ざけてくれていた。


「お前怨霊みたいなことすんなよ。いざ復帰したら、休止中墓地で徘徊してたなんてクソみたいなゴシップじゃねえの」


 振り返ると、墓地の隙間に遠岸楽が佇んでいた。そう言うけれど、気だるげな視線も相まって遠岸楽のほうが怨霊に見える。本質は真逆だけど。


「歌の練習だから見逃してほしい」


「そもそも捕まえには来てねえよ。俺はお前オタクに頼まれて来ただけ」


 お前オタク。


 その言葉だけで、遠岸楽が誰に頼まれたか分かった。


 起こしてしまったり、睡眠を妨害するのが嫌だから黙っていたのに。


「そっか……」


 オタクなら、歌の練習の場に来ないのか。邪魔をしないよう、気を遣ってくれたのかと納得して、私は明かりの消えた母屋に視線を向ける。


「アイドルって共演者の男と連絡先交換したりすんの」


 突然話題が変わり、私は戸惑った。


「え」


「ほかに男いないなら、あいつと今のうちに連絡先交換しておけばって思って」


 ぱっと投げかけられた言葉に、返事ができない。誰を指しているかは明白で答えを選んでいれば、遠岸楽が追撃をかける。


「意識戻って、早々会えたり出来ねえだろ。芸能人と一般人が」


 それは、よく分かっている。


 でも私は、あの身体に戻らない。


 私はこの世から離れることを選んだ。選択をして、後を決めるのはもう私じゃない。


「でも、戻るか分からないし」


「戻らねえとおかしいだろ。お前何もしてねえのに」


 焦りを伴いながら、遠岸楽は言う。


 何もしてない。


 今まで遠岸楽は、私の炎上に関して口にしなかった。知らないはずだった。何かで、知ったのか。縁川天晴が言った? 突然私の内情を言うようには、とても思えない。


「なんで、突然」


「病院で、芸能新聞読んでるジジイ見た。でも、お前が誰かのこといじめるようには見えない。どう見てもされて泣く側だろ」


 遠岸楽は、私に指を指す。


「お前と会って、たいして日も経ってない俺が分かるんだから、ほかの奴らも黙ってるだけでお前がそんなことしてねえってわかってんだろ。浅い馬鹿みたいな噂話で分かった気になってる奴らのことばっか、耳傾けてんじゃねえよ。お前のこと好きな奴らだっているだろ。お前のオタクが最もな例だろ」


「……」


「世界中を敵に回してもなんて言うけど、どんなゴミカスだって好きだっていう奴は絶対一人はいるんだよ。そもそも世界中敵にするなんてありもしねえことだから、誰でも彼でも使う言葉になってんだよ。こんな俺だって、おじさん、おばさんに、確かに好きだって思ってもらえてたんだよ。まぁ、おばさんは今俺のこと、大嫌いだろうけど──」


 遠岸楽は視線を落とした。


「うまいこと一つも言えねえな。もっと、生きてるうちにおじさんとかおばさんだけじゃなく、ちゃんと人付き合いしておけば良かった」


「そんなことないよ。遠岸さんは、私よりずっと人として出来てる」


「人として出来てるやつが恩人の死体ぐちゃぐちゃにしねえよ」


 声色に揺らぎを感じる。


 もしかしたら彼は、自分の選びとった方法に、後悔が生じ始めているのかもしれない。


 自分がなにかを話すときも、こんな風に人に知られてしまうものなのかと、怖くなる。


「俺は、もっと頭いい方法で、じいさんとばあさん守る方法があったんじゃねえかって、最近は思ってる」


 綺麗に、ちゃんと。


 そう続けて、遠岸楽は黙った。


 私は歌の練習を再開して、さくらちゃんを生かすライブに思いを馳せる。


 後悔。


 縁川天晴に関わるたびに、思い浮かぶ言葉だった。




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