遠き安楽①

 アイドルとしてステージに立っているときは、無敵だと思っていた。だってファンのみんながいる。ライブをするために尽力してくれたスタッフの人たちがいる。


 そんな人たちの期待を背負ってステージに立てるのだ、怖いものなんて何もない。


 けれど、ステージを降りたら違う。


 何もかもが怖い。期待を裏切ることも、自分の行動が誰かの人生に影響する可能性もすべて怖かった。


 そして今、自分の命を手放して、ある程度の行動に躊躇いは消えた。だから行き先を告げない縁川天晴にたいして、特に詮索をすることもなかった。


「推しと推しのCDが売られているショップに行けるなんて夢のようです! 俺神にでもなったんですかね」


 私は、CDショップに入った瞬間後悔した。


 縁川天晴えんがわあまはるに、私を推すのをやめてもらいたい。ほかにもこの世界には、彼のように私を推す稀有な人がいる可能性は否定できない。


 けれどこうして出会ったのだから、せめて彼には私を卒業してもらいたい。なのに。


「ほらここデビューから最新曲まで全部揃ってるんですよ。もうそれだけで大好きになっちゃって……僕とあかりちゃんの聖地に任命してるんです」


「そう」


「俺、 あかりちゃんのこと応援してくれる人、皆好きです。バイトオッケーだったら絶対この店でバイトするのに……」


 そう言って縁川天晴は、私のデビューシングルが並ぶ棚で嬉しそうに視聴機をいじり始める。


「それ持ってるんじゃないの」


「はい。今日ほかにお客さんいるなら、布教阻害にならないようじっと見つめるにおさめるんですけど、せっかくなので」


 縁川天晴は、視聴機の隣にあるヘッドホンを手に取った。スピーカー部分が回転するもので、わざわざ私にも聴かせてくる。


「推しの隣で推しの曲聴けるの、マジでヤバくないですか? ゲロ吐きそう」


 握手会のとき、目の前で吐かれたことはある。


 長きにわたる待機により気分が悪くなった人と、嬉しさや感動の反応がすべて内臓にいってしまった人、二人だ。どちらもすぐ介抱して医務室に誘導したけど、ここは普通のCDショップで医務室はない。トイレに行ってほしい。


「店汚さないで。営業妨害だから」


「やばい!」


 縁川天晴は声を荒げる。限界かと身構えれば、彼は口元を抑えた。


「推しの前で吐しゃ物とか言っちゃった! ごめんなさい忘れてください!」


「忘れるからおとなしくして。もうこの店出よう。吐かずとも営業妨害になってるから」


 私は縁川天晴の腕を引っ張った。私は、彼になら触れることが出来る。でも不思議とその服に触れることはできない。だから自然に肌が露出してる部分──手首をつかんだ。


「あっおてて……」


 手首を掴むと彼は急激に大人しくなった。初めからどこか掴んでおけば良かったと後悔しつつ、私は出口へ向かって歩いていく。


 今は夏だから縁川天晴は半袖で、特に掴む場所に困らない。でも冬で彼が長袖だったらどうだろう。指とか手を掴むことになるのだろうか。


 思えば誰かの手を自分から掴むなんて、身内以外なかった。ぼんやりもう片方の自分の手のひらを見つめていれば、縁川天晴は不自然に立ち止まり、つないだ手が離れた。


 彼は、じっと一か所を見つめている。そこには心霊特集とうたわれ、ホラー系の映画が所狭しと並んでいた。


「俺、幽霊は信じてないんですよね」


 縁川天晴は、静かに映画のパッケージを見据えている。


「隣に浮遊霊みたいなのいるけど」


「貴女は、ただ幽体離脱してるだけです。魂の休暇かなにかなんですよ。いずれ元に戻ります」


「意味が分からない」


「分かりますよきっと。貴女はこれからも、人を笑顔にし続けます。こういう人を怯えさせる存在にはなりません。俺が死んだら、たぶん大怨霊になりますけど。気に入らない奴ら、皆殺しにしちゃいます」


 縁川天晴は、今度は私の手を掴んですたすた歩いていく。人は未練があると幽霊になると言うけれど、私は一体どんな状態なんだろう。ホラーに出てくる幽霊は、惨い死に方をして誰かを道連れにしようとしたりするけど、私は別に誰かを道連れにしたいなんて思ってなかった。


 ただただ、この世界から消えたいだけだ。


 だというのに、私は今この世界で彷徨ってしまっている。死にぞこない、ここから離れた病院では身体に管を通して、延命している。


「いつかあかりちゃんは、俺のことなんて忘れて武道館に立ちます」


 そうして向けられた意思のある瞳は、わずかに寂しげだった。絵空事を語っているというのにやけに根拠を持っているように感じて、私は返事ができなかった。

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