遠き安楽②


 夕焼けを背に、帰り道を歩いていく。縁川天晴の家の周りは、都内にあるのが疑わしいほど、自然に恵まれている。最寄駅を降りた時点で、わずかに空気が澄んで涼しく感じられた。


「山の向こうには海があるんですよ」


 ほとんど車の通らない大通りを歩きながら、縁川天晴は、赤い夕陽に照らされ黒い影を残す木々を指す。


 鴉たちがオレンジ色の光に吸い寄せられるように飛ぶ光景を見るのなんて、いつぶりだろう。送電線が続く空を横目にあたりを眺めていれば、ふいに白い人影を見つけた。


「あれ……」


「どうしましたか?」


 立ち止まると、縁川天晴がすぐ声をかけてくる。一瞬だったけれど、反対側の道路、電柱の向こうに昼に会った女の人がいた気がした。


「今、知り合いがいた気がして……」


「エッご挨拶しなきゃ!」


「でも、気のせいかもしれない。本当に一瞬、ぱって消えるみたいに見えたから」


 本当に、ぱっと花火みたいな散り方で消えた。普通、そんなふうに人は消えない。


 どこか引っかかるものを感じながら歩いていると、すぐに縁川天晴の家に辿り着いた。けれど表には車が停まっていて、通りづらい。彼はじっと見た後私に振り返った。


「無縁仏の納骨だと思います。裏から入りましょう」


「無縁仏?」


「ええ。引き取り手のない人のことです。この辺りには刑務所があって、そこの受刑者の人で遺骨の引き取り手がない場合は、うちに納骨するんですよ」


 淡々と話す縁川天晴の隣を歩きながら、裏手から彼の家へ向かっていく。赤い空はなんとも禍々しく、まるで異界の様相を醸し出していた。


「死刑になった方が近々納骨予定だと父が言っていました。ニュースでよく取り上げられていた方で、変な人を見つけたらすぐ言うようにと」


 死刑になった人。私は縁川天晴の家で見た、憎悪の瞳を思い出す。あの人も、私も、死んだら火葬され、骨になってどこかに埋まるのだろう。


 この世への、未練は──、


「みつけた」


 冷ややかで無邪気な声に振り返る。


 裏手に広がる空地の向こうに、真っ白なワンピースを着た女性が立っていた。揺れる黒髪に浮世だった雰囲気を持つ彼女は、遠目からでも昼間会った彼女だとわかった。


 女性と私たちの間には車道がある。だというのに、女性は左右の確認もせずふらふらとこちらへ歩き出した。このままだと轢かれてしまう。制止しようと声をかけようとすれば、横すぐにワゴンが飛び出してきて、女性をすり抜け走り去っていった。


「車が……すり抜けたんですか、いま」


「違う。あのひと死んでるんだ。私と、同じ」


 私は慌てて縁川天晴の腕を掴んで、引き返そうとする。なのに女性は倍の速さでこちらに近づいてきた。


「ねぇ、私、さみしいの。でも今日の、お昼はさみしくなかったの。ねぇ、一緒にいましょう? まだ貴女はこちら側じゃないみたいだけど、一緒にいたらきっと楽しいわ。ねぇ」


 女性はふらふら、ふらふらと足を引きずりながら近づいてくる。縁川天晴は私を庇うように前に出た。


「もしかして除霊とかする気?」


「出来るわけないでしょう。寺生まれがみんな除霊できると思ったら大間違いですよ」


「じゃあなんで前に出てきたの」


「貴女を守るためです」


 縁川天晴はきっぱり言うけれど、死にぞこないの私を守ろうとするなんて間違っている。なんとか彼を引っ張り逃げようとするけど、彼は微動だにしない。


「寂しい。一人で、ずっと一人で寂しい。誰かに見てもらいたい。相手にしてもらいたい。つまらない。たすけて」


 女性は両手を前に出し、すがるようにこちらへ向かってきている。私は縁川天晴を引っ張った。


「ねぇ逃げてよ。なんか憑りつかれたりとかされるんじゃないの、こっちはもう死んでるし」


「何を言ってるんですか。あかりちゃんは生きてますし、それに僕は十六という短い生涯で貴女を守れるなら本望です。誇りです」


 そんなの全然誇っていいことじゃない。そんなこと望んでほしくない。


 もういっそ私が女性に飛び込めばいいのか。さっきの口ぶりからして、狙いは私だ。


 私は思い切って、女性へ向かって飛び込もうとする。けれど私の背後から、私より速く女性へ向かっていった人影が見えた。


「どけよ悪霊、ガキに群がってねえで寝てろっ!」


 ばしゃん! と凄まじい音がして、真っ白な粉が右方向から女性にかけられる。


 キラキラと光を纏って輝くそれは──塩だ。女性はさっと人魚の泡のようにさっと消え、見えなくなる。塩を飛ばした人影をよく見れば、灰色の作業着を着た、二十歳くらいの黒髪の青年が不機嫌そうに立っていた。さらさらした短めの髪からのぞく険しい瞳やその姿に、私は茫然と立ち尽くす。隣にいた縁川天晴も同じだ。


「何見てんだよてめえ」


 女性に塩を飛ばした青年──遠岸とおぎしがくは、こちらを睨みながら近づいてきた。しかしその剣幕も一瞬のことで、彼は私の目の前に立ち止まり、つま先から頭の先までじっくり観察した後、首を傾げた。


「……もしかして、俺のことも見えてる?」


「はい……」


 私はおそるおそる返事をした。相手は死刑囚、さらに犯行は猟奇的で短絡的、きわめて犯罪的な思想が強いと報道されていた、遠岸楽だ。


「そっちの男も」


 遠岸楽は、今度は縁川天晴に問いかける。


「見えてますよ」


 縁川天晴は、先ほどの女性への警戒からうって変わって淡々と返事をする。さきほどまで緊張した様子で私の腕をつかんでいた手も、いつの間にか離れていた。


「なら、俺がここにいるとか言いふらしたら、もう二度と外歩けねえようにしてやるからな。余計な事しなきゃ、手は出さない。覚えとけよ」


 遠岸楽は私に忠告すると、女性が消えていった方角へ歩いていく。何がなんだかわからないまま、私たちは家へと戻ったのだった。

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