遠き安楽④



「じゃあ、俺はお風呂に入ってくるので、居間にいてください! お墓とか絶対行っちゃだめですよ!」


「うん。あと美容師さんにも言われただろうけど、今日染めたんだからシャンプー気を付けてね」


 縁川天晴えんがわあまはるは、お風呂に入っている間私をそばに寄せ付けない。


 高らかな宣言に相槌を打ちながら、タオルや着替えをもってお風呂場を目指す彼の背中を見送り、私は縁側にぺたりと座った。


 遠くに、墓地が見える。


 手前には枯山水や鹿威しが並ぶ雰囲気ある庭園で、湿った土や、瑞々しい緑の香りがする。


 私はふらふらと、何をするでもなく縁側で足をぶらつかせる。うしろの居間では、おじいさんとおばあさんがぼんやりテレビを眺めていた。二人とも耳が遠いらしく、大きめの音量で相撲番付が流れている。


 窓枠のふちには風鈴が飾られているけれど、無風だから音はしない。そばには蚊取り線香がくゆり、ただただ灰色の煙が夜空へとのびている。


 のどかだ。信じられないくらい。


「おい」


 ぼんやりとしていれば、後ろからおどろおどろしい声がした。振りかえれば、居間でテレビを眺める老夫婦の前に、遠岸楽とおぎしがくが立っていた。息をのむ私へと、彼は乱雑な足取りで近づいてくる。


「驚くな。じいさんとばあさんが気付くだろ。ちょっと面かせよ」


 居間にいれば、安全じゃなかったのか。


 私はおそるおそる立ち上がった。


「こっちに来い。じいさんとばあさんに気付かれなきゃ、それでいいから」


 遠岸楽はしきりにおじいさんとおばあさんを気にしながら、今いる縁側から地続きのまま、少しだけ身を隠すような位置で立ち止まる。


 どうやら私が幽霊状態であることに気付いてないみたいだ。女の人は私について、「もうすぐこちら側に来る」と言っていた。


 私の位置づけは、曖昧なのかもしれない。


「な、何ですか……」


 遠岸楽は、助けてくれた……と思う。


 ネットニュースならまだしも全国放映された彼の裁判のニュースは、彼を警戒するには十分すぎる内容だった。


 暴れだして、弁護士を脅迫する。


 法廷画家と呼ばれる人の絵を見たけれど、踊り狂っているとしか思えないほどだった。


 鬼気迫る表情に、皆彼が出所することになれば、またやると確信する目を向けていた。


「おまえ、俺のニュース見てたよな」


「確かに、見てましたけど……」


「なんてやってた? 被害者の奴らで知ってることあるなら、全部教えろ」


 そんなの、ニュースで見ていた私より自分のほうがよっぽど知っているんじゃないか。


 少なくとも被害者と遠岸楽は関わりあっていたはずでは。


 わざわざ殺した人間について無関係の他人に問う猟奇性に、自然と後ずさる。


 もう死にぞこなっている。死ぬことなんて怖くない。


 けれど質問の意図が読めず、不気味で離れたい気持ちになった。


「どうして……そんなこと……」


「あ?」


 じりじりと後ずさると、ふいに遠岸楽が眉間にしわを寄せた。彼の視線を追えば、廊下の途中の棚に、私がめりこむかたちで後ずさっていた。


「お前、死んでんの? 完全に生きてるもんだと思ってたけど……なんなんだよお前……は?」


 遠岸楽は不思議そうにしている。やはり、私が生きているように見えていたらしい。


「違います。私は死んで──」


「死んでないですよ。あかりちゃんは素晴らしいアイドルですが訳あって意識不明になってます。握手券もチケットも無い一般人がそれ以上近づかないでください」


 しゅっと、お風呂上がりのが縁川天晴が私の前に立った。タオルを武器にしようと構えている。遠岸楽はさらに目を丸くした。


「アイドルだぁ? じゃあお前も芸能人かなんかか?」


「貴方が納骨されたこの寺の息子です。今は生きています」


 遠岸楽は、疑うように私と縁川天晴を交互に見た。そして縁川天晴に狙いを定める。何かする気じゃないかと思わずかばおうとすれば、遠岸楽は私の予想に反してただ仁王立ちしただけだった。


「寺の息子なら、骨になって何日で俺は地獄に行くのか教えろ」


「はい?」


 突拍子もない質問に、私も縁川天晴も目を丸くした。遠岸楽だけがまじめに、当然だと言わんばかりに視線を鋭くする。 


「お前寺の息子なんだろ。死人に詳しいだろ」


「死人に詳しいのは解剖医の管轄では」


「じゃあお前解剖医に幽霊見えるかって聞くのかよ、ちげえだろ。勿体ぶってねえでさっさと教えろ、殺すぞ」


 さあ言えと、答えを欲しているのは明らかだった。縁川天晴の顔を見れば、やや疲れ気味に考え込んでいる。


「ふつうは、四十九日といいますが……もうそれを終えて」


「じゃあ、こうしてここにいるのが地獄ってことかよ」


「それはまた違うと思います。ここは現世ですし。もし教えが本当なら貴方は賽の河原を通るはずです。通りましたか?」


「通ってねえ。首つって気付いたらここにいた。水ものは畑しか見てねえ」


「じゃあ違うんじゃないですかね」


 あっけらかんと縁川天晴は切り捨てる。


「じゃあどうしろっていうんだろ。言え」


 遠岸楽は凄む。助けてもらったとはいえ、危険な人間だとただ判断することと同じくらい、彼を安全な人間と判断するには早い。


 でも、こうして死後の世界を寺の息子だからと年下の縁川天晴に問いかけたり、自分の望む答えが得られず困惑する様子は、裁判記録の凶暴性や邪悪さからは離れている。


「どうもなにも、まだ僕は生きてるんでわかりません」


「ハァ? つうかさっきから感じ悪いなお前」  


「貴方がアイドルに近づく不審な男だからですよ。どんな人間であろうと仕事でもないのにあかりちゃんを無粋に呼び出す輩は許せません」


「ハァ?」


「ハァハァ何なんですか、凄めば望むものが手に入ると思ったら大間違いですよ」


 縁川天晴はきっぱりと言い切ってしまう。やがて遠岸楽はばつが悪そうに縁側の奥へすっと消えていった。


「追い返した……?」


「でも、また来そうですよ、彼。そんな感じがします」


 私は遠岸楽が消えていった廊下を見つめる。すぅっと吸い込まれそうな暗闇が広がる。


 地獄に落ちるのはいつか。


 被害者についてのニュース。


 遠岸楽はしきりに気にしていた。被害者についてなんて、こうして死ぬ前から調べることもできたはずなのに。


 それとも、死んでから償いたい気持ちが芽生えた……?


 どうして、被害者のことをを知りたいんだろう。


「盛り塩しておきましょうか! 盛り塩! あとお札!」


 考えていると、縁川天晴は台所から袋いっぱいの塩を持ってきた。お寺についても仏教についても詳しくないけど、たぶん違うと思う。


「食用でもいいの?」


「分かりません! でも同じ塩化ナトリウムですし! こういうのはすぐ対処したほうがいいですから」


「いや、多分アリ避けにしかならないと思う」


 私は遠岸楽の質問の意図が掴めないまま、ひとまず塩を撒き散らそうとする縁川天晴を止めに入ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る