果てなき淵③
『あかりの出てるCМなんて見たくない』
『見てるだけで吐き気がする。やめてどうぞ』
『顔だけのゴミカスが大手製菓のCМとか普通に相応しくないでしょ』
その言葉が積み重なって、CМは放映中止になった。
私から、全部消えた。
「原因はただいま調査中でして……」
長い沈黙を経て、看護師さんの問いかけにマネージャーは俯いた。お医者さんは「すみません、彼はまだ新人でして……」と頭を下げる。
『面会終了、十五分前をお知らせいたします』
重苦しい空気を切り取るように、柔らかなピアノのメロディーが響いた。病室内にアナウンスが流れる。
患者の負担にならないよう、けれど面会時間を延長することもないよう調整された音色に、マネージャーはほっとした顔をした。
「あの、上司と相談してきますのでっ」
そう言って、踵を返しマネージャーは去っていった。
難しい役割を背負わせてしまった。
私が完遂していれば炎上もすぐ納まり、会社への風当たりだって弱まっただろうに。
死ねなかったせいで、かけたくなかった迷惑がどんどん積み重なっていく。
病室に横たわる身体は、今も心臓を動かしながらこんこんと眠りについている。
生きていれば、眠っていても瞼は動くなんて聞いたことがある。眼球を包んだまろいそれは石のように固まり、手首には包帯が巻かれ、確かに死のうとしていた証明があった。
でも死ねなかった。
口元には酸素を人工的に送り込む器具が取り付けられ、左腕にはいくつもの点滴の管がつながっている。
どの繋がりを絶てば、私は死ねるのだろう。
触れてみても感覚が無く、通り抜けてしまう。軽いチューブ一つ持ち上げられない。
まるで、プロジェクションマッピングとして投影されているみたいだ。今や私は、真っ白な寝台に影すら落とすこともできない。
これからどうしよう。
ずっとこのままだったら、どうしよう。私が生きていることは、事務所にもにもデメリットだ。
「どうして、自分から死のうとなんて……」
看護師さんは静かに息を吐いた。私はその場にいることができず、病室を後にする。
どうにか、死にしたい。
私は立ち止まっていることも出来ず、ふらふらと歩いていく。
土砂降りだった空にはオレンジ色が滲んで、薬品の漂う廊下を染めていた。
面会を終えた患者の家族や知人たちが、ぽつぽつと五月雨のように病室を抜け、出入り口へと向かっていく。
「ごめん。さくらちゃん……でも、僕の代わりの先生もいい先生だから」
すぐ横の病室から、五十代くらいのお医者さんが出てきた。ぶつかりそうになるも、すり抜けたことで自分にはもう身体がないと実感する。
部屋の中をちらりとのぞくと、唇をとらせた水色のパジャマの女の子がいた。
すぐ後ろに人の気配を感じて振り返れば、さっき私を診ていた人とは別のお医者さんと看護師さんが話をしている。
「先生、どうでした?」
「僕じゃないと、手術受けたくないって……手術をしなければ、あの子は助からないのに……」
助からない。
あの水色のパジャマの女の子は、手術をしないと助からないのか。
でも、生きたくても生きられない人がいても、私は死にたい。
「え……、あ、あかりちゃん……?」
聞こえてきた呟きに、振り返る。
私から三メートルほど離れた廊下のむこう、ぼさぼさの髪に、季節感がまるでないパーカー姿の冴えない男が立っていた。童顔で華奢だからか、目を丸くしていると、幼く感じる。
背は高いけど年は同い年くらい……もしくは相手のほうが年下かもしれない。
長すぎる前髪から僅かにのぞく瞳は爛々として、肌は白く陰気さをより一層引き立たせている。
「あかりちゃんだ!」
男は声を上げ、興奮した様子で駆けてきた。線香の香りを強く感じる。
もしかして、幽霊か何か……?
でも、周りの人は「声大きい」と顔をしかめているから、多分生きているはずだ。
男は私の目の前に立つと、その瞳をキラキラさせながら私を見つめてくる。
背後には壁しかないことも手伝って、私を認識しているのだと確信するには十分だ。でも、当然他の人は男が壁に向かって声を荒げ、ただ目を輝かせているようにしか見えない。
周りにいる人たちはみな、看護師や警備員を呼ぼうと動き出し、男を警戒していた。
「お、俺ずっとファンで、え、えっと最初からCDも買ってます。さ、最初のホールのライブ、行きました! えっと……」
彼は私のファンらしい。
感激した様子で手をあわあわと動かしては、右へ左へ行ったり来たりを繰り返している。息も荒く、興奮状態に他ならない。
でも他の人間には私の姿が見えない以上、壁に向かって興奮しているようにしか見えない。
「あ、あの、ちょっといいですか」
このままだと、彼は間違いなく不審者として捕まる。私は咄嗟に彼の手を握った。
手を伸ばしてから掴めないことに気付いたものの、指先から感じるほっそりと骨ばった皮膚の感触は確かで、私はつい動きを止めた。
触れた。
びっくりしたのも束の間、男の背後にこちらへやってくる警備員のおじさんたちの姿が見えた。私は彼の腕を掴んだまま、病院の外へ引っ張っていく。
「な、なに、なんで おおおお俺の手を!? えっ嘘っこれ、ど、ドッキリとか!?」
警備員に追われているというのに、彼はのんきに私の腕を引かれているだけだ。
私はそのまま病院の入り口まで向かおうとして、玄関ホールのそばにカメラやスマホ、レコーダーを持った人たちが集まっていることに気付いた。
「撮影? あっ、今日あかりちゃん、病院で撮影しているの? あ! 新しいドラマとか!? なら俺、ちゃんと黙ってます!」
「違います」
炎上のせいで仕事は全部キャンセルだ。
それに撮影なら、化粧道具を抱えたメイクスタッフや、レフ板を動かす照明スタッフもいるはずだ。カメラ片手になんてことはない。
私について嗅ぎ付けてきたのだろう。情報が出回るのがはやい。
おそらく私の身体は救急車で運ばれた。死んでいたら布に包まれていただろうけど、担架に乗っていたなら顔が出ている。
私は止む無く踵を返し、病院の裏手──中庭へと回った。出入り口がなく入院中の患者が憩いの場としているらしく、点滴を取り付けたキャスターを押す高齢者や、小さな子供が何をするにでもなく座っている。
「なんでカメラ避けてるんですか?」
「ネット、見てない……?」
ファンといえど彼の呑気な言葉に驚いて、つい問いかけてしまった。彼は「ああ、炎上のこと? そんなの気にしてませんよ! 僕は貴女ををいつだって信じます!」と口角を上げる。
「それより何で僕のこと引っ張ったんですか? っていうか何で僕警備員に追われてるの? もしかして、声かけたから? あれっ?」
自分の目にしか私が映っていないことを、彼はまるで理解していない。
平然と私に縋るように言葉を紡いで、中庭の注目を一身に浴びている。
夕光が奇跡的に彼を照らしているせいで、さながらスポットライトのようだ。
ただ逆光になっているせいか、不気味さまで醸し出している。
言い辛いけど仕方ない。
意を決して、首を横に振った。
「私、死んだの。暫定幽霊なの、貴方にしか私の姿は見えてない」
「そんな……」
先ほどまでキラキラ輝いていた彼の瞳が、すうっと冷えて鈍く見える。
私は手のひらを握りしめ、声にも力を籠めた。
「スマホ見て。たぶんもう、ニュースとかになってるから」
彼は虚脱状態だったのが嘘みたいに、俊敏にスマホをポケットから取り出し、私の名前を打ち込んだ。焦燥にかられた視線が一身に注がれる画面を、私ものぞき込む。
冬の公演の私の写真の上からかぶせるように、苛烈な死に関する文字が並んでいる。その下には炎上に至るまでの説明があった。
「うそだ……」
「嘘じゃない。とにかく貴方にしか私は見えてない。このまま私と話をしていると、貴方は不審者だと思われるの。静かにしていたほうがいい」
「でも入院中って、死んでないってことじゃないですか」
切実な声色に、ずきずきと頭が痛くなった。
死んでいないからか、今もこんなに感覚が残っているのかと、忌々しい気持ちになる。
「私は、死にぞこなった。医者はいつ意識が戻るか分からないって言ってる」
「じゃあ生きてるってことですよ! い、今はほら、幽体離脱みたいになってるかもしれないけど、死んだわけじゃないし、元通りになるかもしれないし……」
──大丈夫です。
きっと。生きてる。
良かった。死んでない。
喜びに溢れた言葉に、目の奥が熱くなった。
身体は病室にある。涙なんて流れないはずなのに、視界が滲んで私は男から目をそらした。
私は、生きてて良かったなんて思えない。死ななければいけなかった。
乾かすための涙なんて出ないはずなのに、気休めに私は顔を上げた。
夕焼けはだんだんとオレンジから深海のような群青色に染まっていき、遠くでは烏の声が聞こえてくる。
「いつになるかは分からないけど、そのうち死体になるから……応援してくれて、ありがとうございました」
私は彼から離れ、病院の中へ戻ろうとする。
でも、どこへ行けばいいかは分からない。でも、とりあえず病院の中にいるしかないだろう。幸い彼しか私を認識している様子はなかった。
死のうとしたことを後悔させるとしか思えない巡りあわせだ。
最後にファンとなんて会いたくなかった。
会いたくないから、駅のホームを死に場所として選ばなかったのに。
そっと踵を返そうとすると、ぎゅっと腕を掴まれた。
「ど、どこに行くんですか」
振り返れば、さっき私のファンを名乗った男が、血相を変え私の腕をつかんでいる。
「どこって……どこでも。病室とか?」
「なら、お、俺のの家に来てください。俺しか貴女のことが見えないのなら、い、一緒にいましょう! あかりちゃんが生き返るまで!」
彼はまるで、プロポーズでもするように私を見つめてくる。
返事をする前に、「親が車で迎えに来るはずなんで!」と彼はそのまま私を引っ張りだした。
「いや……な、ど、どうして……?」
「だって肝試しで怨霊が出てくる病院とかあるじゃないですか。危ないですよ」
「危ないもなにも死んでるから……」
「まだ生きてます! 国宝をそんな病院に野ざらしになんてできません。意識が戻るまで、保護させてください」
「国宝って……」
「とにかく一緒に来てください!」
彼はぐんぐん私の腕を引いていく。
かと思えば立ち止まって、ぐるりとこちらに振り向いた。
「僕、
「
「ありがとうございます!」
注文とは異なるのに、彼は笑みを浮かべる。腕を掴んでくる力は、色白で線が細いわりに確かな力だった。
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