20

 暗闇に乗じて巴さんが消え、私と小紅だけが残された。視界が戻ると同時に、私たちは顔を見合わせた。

「畜生」と小紅が毒づく。「やっぱりここに思いっきり吐いてやろうかな。畳、たぶん高級品だよね」

「やめときなよ。それより、考えなくちゃ」

「取っ掛かりがある? 化物なのは分かるけど、それじゃ答えにならないよね」

 私たちは部屋の隅に残されていた布団の上に居場所を移した。座布団よりも面積が広くて柔らかく、快適に感じたからである。

「それぞれ、自分しか知らないことを出し合ってみない? ここで横になってるあいだ、なにか気付いたことはない?」

「本当にただ眠ってただけだから――夢のことは少し覚えてるけど」

「どんな?」

「最初は怖い夢だった。でも途中からいい夢になって、気持ちよく眠れた。それ以上のことは――あんまり」

 私は腕組みした。今でこそずいぶん意識ははっきりしている様子だが、一戦目を終えた直後の彼女は泥酔状態だった。記憶も定かではなかろうし、信憑性のある証言は期待できないかもしれない。

「お酒はどんな味だった? 美味しかった?」

「強いお酒だけど、さらさらして飲みやすかった。上質だったと思うよ。市に出せば、たぶんそれなりの値段に売れるんじゃないかな。もう出してるかも。取引の相手を探せればなあ」

「ここを出られないんだから仕方ないよ。よっぽどお酒好きの一族なんだね」

「ねえ更紗」と不意に小紅が顔を寄せてきた。「私、まだ赤いかな?」

「うん、ちょっと」

「やだなあ、恥ずかしい。あいつにからかわれて、つい昂奮しちゃった。お茶、飲んじゃってごめんね」

 私はかぶりを振り、「いいよ。そうだ、〈薄林檎チップス〉の残りがまだあるから食べようか。甘いものを食べると頭が働くかも」

 そういった次第で、リュックからチップスの箱を取り出した。見知らぬ和室の布団の上に座り込んで、外見上は同年代の少女とお菓子を摘まんでいる。なんだか宿泊学習の夜のようで愉快だった。方策を話し合っていたはずなのに、次第に脇道に逸れていく。

「クロたちにあげるぶんとは別に、蓮花さんのお土産に一箱は取っておかないと」

「時計をくれた人だよね」

「うん。ずっとよくしてくれるんだ。本当のお姉さんみたいに思ってるの」

「いくつ上なんだっけ?」

「八つ。いま十九歳」

「じゃあぜんぜん、私のほうがお姉さんだ」

「小紅は、お姉さんって感じじゃないよ」

 冗談交じりに告げたつもりだったのだが、彼女はなぜか妙に真剣に、

「じゃあなに?」

「なにって――」

「教えて。知りたいの。私、この姿になって、初めて――」

 言葉が途切れる。両肩を掴んで引き寄せられた。

 仄かに紅潮したままの顔が近づく。潤んだ瞳が、私を映し返していた。瞬き。

 ぱさり、と軽い音を立ててリュックサックが転倒した。ボールペンが畳の上を転がっていく。私は反射的にそれを追った。

 止まった。ペン先がちょうど、輪投げの際に使った印を指している。何気なく拾い上げようとして、はたとした。

 ただの黒い円と思っていたが、よくよく見てみれば渦巻きである。私は屈みこんだまま、しばらくそれを凝視していた。

「更紗?」

「小紅。私――分かったかもしれない」

「え?」

「正体」

 小紅が傍らまで近づいてきた。「本当?」

 推論を耳打ちした。彼女はこくり、こくりと小さく顔を上下させながら聞いていたが、結論の段に至ると手を打ち鳴らして、

「それだ」

「賛成してくれる?」

「もちろん」

 私は頬をほころばせ、「じゃあ、もう呼んじゃっていいかな」

 小紅は頷きかけたが、ふと気が付いたように頭の動きを止めた。代わり、私の耳に唇を近づけてくると、

「どうせならさ――」

 こそこそと囁かれる案を聞いているうち、私は愉快で仕方なくなってしまった。彼女のほうも面白がっているのだろう、ときおり息が乱れ、笑い声が混じる。

「ね? あいつがどういう顔するか、楽しみじゃない?」

 私は息を吸い上げ、天井に向けて声を張り上げた。「巴さん、答えが分かりました」

「ほう」と声だけが降ってきた。「では聞かせてもらおうか」

「すぐに答えだけを言うことはしません。証拠を積み重ねての推論を、お聞かせします」

 小紅がくすくすと笑いながら、「ただの思い付きで正解したって思われたら癪だから。最後までちゃんと聞いてね」

 頭上からまた、ずるずるとなにかを引きずるような音が響いた。

「いいだろう。もし君たちの答えが見事正解だったならば、私は潔く本当の姿を見せよう。しかし忘れていないだろうな。誤りだったら、名前を貰うぞ」

「名前でもなんでもあげるよ。もし間違ってたらね」小紅は本当にあっさりとそう言ってのけ、そして付け足した。「でも私たちは間違わない。あなたも覚悟して聞いたほうがいいよ」

「後悔するなよ」

「しないよ。するわけない」

 小紅が私を振り返った。その言葉が、迷いない顔つきが、なにより彼女が私を信じてくれたという事実が、私の胸に凛々たる勇気を生じさせていた。大丈夫だ。私たちならばやれる。やれるはずだ。

 軽く目を閉じ、胸の内を整理した。私はただ、語るべき言葉を語るだけ。

 普段はあまり芝居がかったことを好まない質なのだが、今日ばかりはいいだろうと開き直った。咳払いののち、発する。「さて――」

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