47
「それじゃ、始めてもらおうかな」と八重さんが私の肩を叩く。「緊張しないでいいよ。こう見えて、穏やかな連中だから」
「え、では――はい」
私は胸元に手を当てて、息を吸い上げた。人数こそ〈隧道祭〉の舞台に立ったときほどではないが、圧倒されるような感覚ではむしろ上回っている。複雑に枝分かれた角を生やした人。緋と白の衣を纏い、扇を携えた人。分厚い蓑を羽織った鬼。〈金魚辻の市〉の来客たる神々と精霊が、私の目の前に揃い踏みしているのだ。
「話しやすい順に、でいい。お前に任せるよ」
「それでは、私がクロたち〈宵金魚〉と別れたところから。現実に見たわけではないので、推測が多く混じっています。でも大筋では当たっているのではないかと」
精霊たちが頷く。
「十二匹の〈宵金魚〉と別れてから、私たちが向かったのは巴さんのお屋敷です。彼ら一族は蛇ですから、〈宵金魚〉たちは恐れて近づいてこようとはせず、別の場所を探索していました。でも一匹だけ例外がいた。このクロです。彼だけは仲間たちのもとを離れて、私たちを追ってきた。それだけ私のことを心配してくれていたのだと思います。しかし彼は、私たちと合流することはできませんでした。私たちが巴さんと対決していた座敷が、厳格に締め切られていたためです。回り道をしようと考えたクロは、おそらく台所にでも迷い込んでしまったんでしょう。そこで彼は見つけたんです――蛇のお酒を」
「あれは名酒だ。実に旨い」と誰かが発する。周囲にも賛同の声があがった。
「残念ながら私は飲んだことがないんですが、強いお酒なのだと聞きました。クロはそれを飲んだか、あるいは匂いを嗅いだかして、酔っぱらってしまった。彼は正常な思考力を失い、ふらふら泳ぎはじめる。これが事の発端です」
クロが私の肩のうえで、申し訳なさそうに身を縮こまらせる。大丈夫だよ、と言って聞かせてから、
「それでも責任感の強い彼のこと、とにかく時計のことは覚えていました。引き寄せられるようにして、時計塔へ向かいます。そして地下へと向かう通路を見つけ、訳も分からずに下って行ったのだと思います。仲間たちのもとには帰らず、たった一匹で〈祭火隧道〉に迷い込んでしまったんです」
「鼠たちのところか。俺たちがさっきまで居た」
「はい。そして時計塔の地下通路は、〈朱鼠の祠〉と呼ばれる場所に繋がっています。酔ったクロはおそらく、長いこと道に迷ったのだと思います。それでも彼は最終的に、最深部へと辿り着きました。そこには私の時計が隠してあった。鍵のかかった宝箱に入った状態で」
私はあのとき栄さんに手渡された錠前を取り出し、翳してみせた。
「こういうものは普通、鍵がなければ開きません。しかしクロには特技というか癖があります。なにか重要なものを見つけると、飽きずに突きまわすんです。彼はこれに外部から細かな振動を加えつづけ、解錠することに成功しました。そしてなかに入っていた時計を見つけ――誤って呑み込んでしまった」
「丸ごと?」とまた声があがる。「それこそ蛇でもなければ、腹がぱんぱんだろうな」
「ええ。クロはお腹が苦しくて仕方なくなってしまいました。息苦しい金魚がそうするように、彼は上へ上へと向かっていき、再び〈金魚辻の市〉に戻ってきました。そして彼は運悪く、月乃さんのお面屋に行き着き、売られていたお面とぶつかってしまいます。私もかぶっているから分かるんですが、あのお面はひとりでに顔に吸い付いてくるんです。こうして、クロは鬼水母の姿へと変身しました」
私は反対の手で、クロの顔から引き剥がした面を振った。「月乃さんに質問です。魔法の仮面の力が〈宵金魚〉にも及ぶと想定していましたか?」
聴衆のなかから、お面職人の月乃さんが進み出てくる。彼女は低く、はっきりとした口調で、
「していなかった。私の面が、このような騒ぎの原因を作ってしまって、本当に申し訳なく思っている。すまなかった」
彼女は深々と頭を下げた。八重さんがその傍らに歩み寄り、
「私の霊獣のやったことだし、そもそも市の安全を守る責任は私にある。私の失敗だよ、月乃。あんたは気にしなくていい。私から、みんなに謝る」
「事故だったんだよ、八重、月乃」と毛むくじゃらの猪のような姿をした精霊が、穏やかにふたりを慰めた。「誰も傷つきも、死んでもいない。お前たちを責めたりはしないよ。今はこのお嬢さんの話を、最後まで聞こうじゃないか」
続けて、と猪の精霊に促される。私は頷いて、
「鬼水母の正体がクロだと教えてくれたのは、他の〈宵金魚〉たちです。彼らには最初から分かっていたんです。だから鬼水母を怖れることもなく、心配して周りを飛び回っていた。八重さんが白唇の雪那さんを呼ぶと言い出した際に大慌てしたのもそのためです。氷漬けになったら、ただでは済まないでしょうから」
「私は本当に莫迦だった。危うく自分の霊獣を死なせるところだった。悪かったね、お前たち。もっと信用してやるべきだった」
〈宵金魚〉たちが八重さんのもとに泳いでいき、身を摺り寄せる。クロも少し遅れて、彼女の肩のうえへと飛んでいった。私はそのさまを眺めながら、
「そもそもの発端は、人間の私がこの〈金魚辻の市〉に足を踏み入れてしまったことです。失くし物の腕時計は手許に戻りました。これで――」
掌の中に大切に握り込んだ時計に視線を落とす。〈梨の天使らふらん〉。蓮花さんに貰った、私の宝物。
「――あれ?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます