29

 栄さんは私たちを、店の空き部屋に案内してくれた。泊まり込みを想定した空間らしく、生活用品がまとめて取り揃えられている。他の女性たちと共有にはなるが、洗濯場や風呂を使っても構わないという。

「あの、女将。家賃や食費は?」と私は疑問を口にした。「私、お金があんまり」

「栄でいいよ、更紗。なんなら〈朱紋様〉の一員として働く? 客を取る?」

 笑い交じりだったので、本気ではないのだと分かった。しかしその冗談半分らしい提案に小紅は怒りだし、

「絶対に許さない」

「別にあんたでもいいよ。店に出る気があるなら、誰かに頼んで仕込んでもらうけど」

「お断りだよ。私も更紗も、そういうことはやらない」

 ふふ、と栄さんは短く笑んで、「残念だ。でも掃除やら料理やら、他の仕事は幾らでもある。とりあえずふたりで組んで、簡単な雑用をしてもらおう。あとは自分たちの練習なり打合せなりに時間を使っていい。あたしもできる限り顔を出すよ」

 どういった出し物をするかを考え、案を報告するようにと言い残し、彼女は足早に出ていった。女将というのはやはり、多忙なのだろう。私が同じ立場だったなら、早晩倒れているような気がする。

「更紗、どうする?」と小紅が問う。「なにかやりたいことがある?」

「――とりあえず今は、お風呂に入りたいな」

「お風呂?」

「うん。温かいお湯に浸かりたい。すっきりすれば、なにかいい案が浮かぶかもしれないし」

 栄さんがお風呂の存在に言及した時点から、ずっと頭が一杯だったのである。ともかくも体を洗いたい。湯船の中で手足を伸ばしたい。

「小紅はどうする? 先に入る? 後でいい?」

「順番なの?」と彼女は問い返してきた。「お風呂――広いと思うんだけど」

「そうかも。お店のお風呂だしね」

「お風呂に入りながらふたりで考えるのは――駄目かな」

「駄目じゃないよ。小紅がよければ、そうする?」

 彼女はこくりと頷き、「じゃあ、一緒に行こう」

 そういった次第で、ふたり連れ立って浴場へと向かった。温泉宿にあるような赤い暖簾をくぐる。時間帯が中途半端だからか、脱衣所に人の気配はなかった。

 なんとなく互いに背を向けながら、衣服を脱ぎ落した。「ここ、タオル巻いたままで入っちゃ駄目だよね」

「分からないけど――たぶん」

 木枠に縁取られた浴槽は広々とし、乳白色のお湯がふんだんに溢れ出していた。丹念に体を洗って湯船に浸かると、芯からじわじわと幸福感が湧き上がってきた。長い吐息を洩らしたのち、傍らの小紅に向かい、

「気持ちいいね」

「うん」よほど心地いいのか、彼女は顎のあたりまでお湯に沈んでいた。「すごく幸せ」

 姿勢を楽にして目を瞑っていると、すぐさま寝入ってしまいそうになる。ただのんびりしに来たわけではないのだと思い出し、

「大会、どうしよう」

「お、いるいる」

 小紅が返事をする前に、新たな声が近場に生じた。湯気の向こうに、白い裸身が浮かんでいた。

「ふたりでなに話してるの? 可愛いお客さんたち」

 コウさんだった。入店直後、私の相手をしてくれた女性店員である。にこにこと笑みながら、こちらに近づいてくる。

「一緒に入ってもいい? 耳、洗ってあげるよ」

「駄目」

 小紅がばしゃばしゃとお湯をかけて抗議したが、コウさんは平然とそれを無視した。するりとお湯に入り込んでくると、私のすぐ隣に身を落ち着ける。

「極楽、極楽」

「出てってよ。私たち、いま大事な相談の最中なの。邪魔しないで」

「ここは〈朱紋様〉の女のための風呂場。あたしは店の一員。なんであたしが出て行かなきゃならないわけ?」

 このまったくの正論に、さしもの小紅も勢いを失って黙り込んだ。コウさんは勝ち誇ったように、

「じゃあ三人で入るってことで。仲良くしようね」

「絶対に更紗に触らないで。指一本でも触ったら――恐ろしい目に遭わせてやるから」

 コウさんは快活に笑い出した。「はいはい。じゃああなたが責任もって、お耳を綺麗にしてあげてね。付いてない人には分からないと思うけど、自分じゃ洗いにくいんだよ。あたしはいつも、蘭にやってもらってる」

 おそらく嘘だろうという気がしていたが、私がなにか言葉を発する前に、小紅が声を張り上げた。

「やるよ。やるから手出ししないで」

 またコウさんが笑った。この人はこの人で、小紅の反応を面白がっている節がある。

「でさ。あなたたち、〈隧道祭〉に出るんでしょ? なにをやるの?」

「それを話し合おうとしてたら、あなたが入ってきて有耶無耶になったの。更紗、こっちに来て。きちんと相談しよう」

 指示に従うことにした。コウさんのもとを離れ、広い湯船の隅に場所を移していた小紅の隣へと向かう。さすがのコウさんも追って来ようとはしなかった。その場で両腕を広げ、縁に凭れかかった姿勢になって寛ぎはじめる。

「こっち見ないでよ」と小紅がまたお湯を跳ね上げる。

「別に見てないけど。あたしの視界の内側にあんたたちがいるだけでしょ」

「屁理屈」

「だからじろじろ眺めてるわけじゃないって。あたしはここで、この体勢でお湯に浸かるのが日課なの。目に映ってはいても、見てはいない」

 もういい、と小紅が呆れた調子で洩らした。それから私に向き直り、

「更紗はなにがやりたい?」

「出し物……出し物でしょ。他の参加者はどんなことをやるんだろう。〈隧道祭〉について調べてからのほうがいいのかな」

 なんでもいいんだよ、と聞き耳を立てていたらしいコウさんが遠くから言う。「審査員が驚いて面白がりさえすれば、なにをやってもいい。歌でも、奇術でも、色仕掛けでもね。いきなりまぐわいを始めた二人組が、何年か前にいたな。一等こそ獲れなかったけど、けっこういいところまで行ってたよ」

「静かにしてて」と小紅が叫ぶ。「私たちで考えるから」

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