26

「今さらなんだけど――」九曜さんの操る船が引き返していくのを見送りながら、私は小紅に訊ねた。「隧道ってどういう意味?」

「墓穴に続く道のこと」

「墓穴?」

 思わず鸚鵡返しにし、彼女の横顔を見やった。雲行きが怪しくなってきたのを感じる。祭火、という言葉から漠然と、なにか華やかな雰囲気を想像していたのである。その手のものは苦手な質だ。

「お墓に下りていくの? じゃあ〈朱鼠〉って幽霊?」

「さあ。私も会ったことないんだよ。でも大丈夫じゃないかな、たぶん」

 小紅は事もなげにそう答え、ゆっくりと視線を転じた。赤や黄色の灯りの下に、煉瓦や木材で縁取られた洞穴の入口が、ぽかんと広がっている。古びた炭鉱のような風情だ。

「〈朱鼠〉はお墓の底でなにをしてるんだろう。死霊の盆踊り?」

「分からないけど――更紗なら推測できることはあるんじゃない? ザシキボッコのときや、巴のときみたいに」

 私は体を守るように両腕を交差させ、「死霊復活の儀式」

「根拠は?」

「ないけど、お墓だって聞いたら怖くなってきたから」

「それじゃあ、推測じゃなくて妄想じゃない?」

 反駁できなかった。私は視線を彷徨わせてから、

「〈金魚辻の市〉では出回らないような品物を取引したり、できないような出し物をしたりしてるんじゃないかな。闇市みたいな」

「うん、私もそんな気がする。更紗の時計には高値が付いてるのかもね――〈金魚辻〉で売るよりもっと。ともかく、行ってみようよ」

 小紅が手を伸べてきた。ただ掴むだけでは飽き足らず、腕を絡める。お化け屋敷にでも入場するような調子で、並んで歩きはじめた。頭を屈める必要こそないが、微妙な圧迫感がある。その程度の広さだ。と、かち、と、かち……と足音が反響する。

 私が腕の力を強めると、小紅が振り返って、

「更紗、本当は怖がりなの?」

「本当もなにも、一回も隠したつもりはないよ。ザシキボッコと戦ったとき、怖くて泣いたって話、したでしょ? また泣くかも。見捨てないでね」

「泣いたくらいで見捨てないよ」

「怖すぎたら吐くかも」

「それはちょっと困るな。でも吐かれたって、嫌いになったりはしないから」

 頭上には無数のアーチが連なり、通路を形成していた。ところどころに灯された火が闇を追いやって、あたりを赤々と照らしている。壁や天井には複雑な装飾や紋様が施されているようだったが、じっくりと眺めている心理的な余裕はなかった。

「ここと比べると、〈金魚辻〉はぜんぜん明るかったね」

「あっちは八重の好みが反映されてるからね。〈細雪〉と比べても、〈金魚辻〉は開放的なんだよ。来る者は拒まず、というか。雑多な空気が好きなんだろうね」

 人の子だって歓迎だよ、と笑っていた八重さんの顔を思い返した。なるほどそういった方針なのかと得心した。

「〈細雪〉は品数を絞って質を重視するから、夏と冬とでは正反対なの。それぞれに色があるっていうのかな」

「八重さんと――雪那さんだっけ。そのふたりはライバルみたいな関係なの?」

「雪那のほうがずっと強くて厳格だって、八重は言ってる。長い付き合いみたいだから、仲が悪いわけじゃないと思うよ。私も会ったことはないから、詳しくは知らないんだけど」

 何度目かのカーヴののち、不意に前方が明るんだ。長々と続いたトンネルの出口が見えてきたような感じである。私たちは足取りを速めた。

 空間が開けた。新しい景色が視界を占拠する。ふたり並んで、かしらを巡らせた。

 あえて色を選んでいるのか、一帯が薄赤い明かりに満たされている。背の低い無数の建物が左右に立ち並んでいる様子は〈金魚辻の市〉と似ているが、こちらはどことなく空気が艶やかだ。甘い香りさえする。夜の歓楽街のよう、とでも言おうか、子供があまり積極的に立ち入るべき場所ではないという気がした。

「お墓っていう感じじゃないね」と感想を洩らした。「本当にここなのかな」

「地底には誰よりも詳しい巴がここだって言うんだから、きっとそうなんじゃない? とりあえず情報を集めよう」

 小紅が手近な建物に近づいていき、戸に手をかけた。私は怖々と、背後からその様子を窺っていた。ややあって、奥から妙に煽情的な装いの女性が顔を覗かせ、艶然たる笑みとともに、

「なあに? 遊んでいきたいの?」

「探し物をしてるだけ。〈金魚辻の市〉から持ち込まれた時計なんだけど、なにか知らない?」

 女性は眉のあいだに皺を寄せた。「さあ、あたしは聞いたことないけど。でも店の誰かなら知ってるかもね。せっかく来たんだし、少しだけ遊んでいけば」

 只では教えられないという意思表示なのだと思った。小紅もそうと受け取ったらしく、行ってみようか、と囁きかけてきた。慎重に頷いて応じる。「そうしてみよう」

「じゃあちょっとだけ。案内してくれる?」

「どうも」

 なかへと導かれた。狭い廊下を行き過ぎるあいだに、いくつかの席の様子がちらりと目に入った。薄暗がりのもとで、店員らしい女性たちと、客らしい人物とが向かい合い、あるいは隣り合って、けらけらと笑いながら飲み食いしている。

 個室へと通された。小紅と並び、小さくなって座っていると、まもなく別の女性がふたり、姿を現した。こちらはこちらで、やはりしどけない格好である。

 片方が私の隣に腰を下ろした。「こんにちは、可愛いお耳のお客さん」

「これは――」

 お面です、と言いかけ、はっとする。私にしなだれかかろうとしている女性の頭部にもまた、獣の耳が生えていたのである。私のものよりはずっと短い――小動物の耳。

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