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「そういえば〈宵金魚〉たちは?」巴さんなる人物のもとに向かう道々、気が付いて訊ねた。私を鮮やかに囲んでくれた五匹が、今はここにいない。

「更紗が眠ってるあいだに、みんな探し物に戻ったよ。なにかあったら知らせに来るようにって言っておいた」

「そっか。少し淋しいね」

「適当に報告しに来るだろうし、必要があればいつでも呼び戻せるよ。それより更紗も、そろそろ話してくれてもいいんじゃない? なにがあったの? ザシキボッコがどうしたの?」

 そう促され、私は鏡の向こう側での出来事を話した。即座にからくりを看過して脱出したかのように思われても困るので、起きたことを起きた順に語るよう意識する。大音量に驚いて全力で逃走し、転倒して泣きじゃくったくだり、壁に体当たりを続けるクロを疑ったくだりといった、みっともなく情けない場面も、あえて省略しないことにした。

 聡明な小紅のこと、てっきり呆れられるものと覚悟していたのだが、話を聞き終えた彼女は真剣な口調で、

「更紗は勇敢だね」

「え?」予想外の反応に、思わず仰け反った。「そんなことないよ。私、怖くて泣いたんだよ。ちょっと考えてみれば、八重さんがきちんと管理してるこの市で、殺すとか殺されるとか、ありえない話なのにね」

「完璧に安全とは言えないんだよ。ずいぶん昔だけど、〈細雪の市〉に化け物が入り込む事件があったんだ。人間の子が巻き込まれたんだって、八重が言ってた。それ以来、市の管理体制はより厳格になったんだけど――とにかく、そういう事件があったのは事実。今回の一件がただの遊びだったとしたって、更紗が勇気を出して立ち向かったことに変わりはないでしょう? だから私は、あなたは勇敢な人だって思う」

 誇らしさと気恥ずかしさが入り乱れた、名状しがたい思いが込み上げた。頬を掻き、ありがとう、とやっとのことで発してから、

「私が向こうにいるあいだ――こっちでは気絶してたあいだってことになるのかな――どんなふうだった?」

 目を離したほんの一瞬の出来事だった、と小紅は語りはじめた。けたたましい物音に振り返ると、私が畳の上にひっくり返って意識を失くしていた。息こそあったものの、呼びかけにはまるきり応答しない。急な発作かなにかだったらどうしようかと、ひどく慌てたそうだ。

 そうこうするうち、助けを呼ぶようにと送り出した金魚たちが、屋敷の主たる〈蒐集家〉を伴って戻ってきた。私の顔を一目見るなり、彼女はなんら心配ないと断言した。奥の間に布団を用意するからそこに寝かせるように、そのうち目を覚ます、と小紅に告げたという。ひとまず信用して私を運び、傍で見守っていると、不意に私が覚醒した――というのが、小紅視点での説明だった。

「心配させちゃったね」

「〈蒐集家〉も人が悪いよ。悪戯と分かってるなら、真っ先に私に伝えるべきじゃない? 事情が理解できれば、私だってもう少し落ち着いていられたのに」

 目覚めた直後、小紅が彼女らしからぬ調子で抱き着いてきたのを思い出した。本心から私を案じてくれたがゆえだろうが、あれには驚いてしまった。首に両腕を巻き付けて、ぎゅっと――。

「ごめん」私からなにを言ったでもないのに、小紅が詫びてきた。「あのときは動揺してた」

「ううん、いいよ。嬉しかったし」

 驚いたような目で見返された。小紅の白い頬が、うっすらと紅潮している。なにか凄まじい思い違いを引き起こしてしまったような気がし、私は慌てて、

「その――心配してもらえたってことが。私、貧血気味だから朝礼でよく倒れるんだけど、何度も倒れてるとほら、またあいつかって感じになっちゃうから」

「朝礼?」

「校長先生の話とか。夏場でも立って聞かなきゃいけないの。終業式も倒れそうだった」

「よく分からないけど、更紗が眠ってるあいだ、私はすごく不安だった。傍にいてもなにもできないし。できることなら一緒に戦いたかったよ。ただ見守ってるだけなんて厭だった。クロほど役には立たなかったかもしれないにしても」

「そんなことないよ」

「本当?」

「もちろん。ずっと私に付き合ってくれて――」しばし言葉を探したが、けっきょくは直截に、「感謝してる」

 小紅が着物の袖で口許を覆った。呟くように、「私も」

「え?」

「一緒にいられて楽しい。最初は確かに、八重の指示で手伝ってたけど、今はもう違う。楽しいから一緒にいるの。だから今度、なにか勝負をしなきゃいけないときは、絶対に私がやる」

「ありがとう」笑いかけ、彼女の手を掴んだ。「すごく頼りにしてる」

 小紅が頷きを返す。この市に迷い込んでから、いや、路地の暗がりに奇妙な光を見出した瞬間からずっと胸の内にあった思いが、不意に結晶化したようだった。

 私は、この旅を楽しんでいる。大変な状況には違いないけれど、それでも心から、この不思議な体験を楽しもうとしている。たとえいっさいが夢で、現実の私は新幹線の座席で居眠りしているにすぎないのだとしても、今ここにいる私は、勇敢な冒険者だ。

 次なる目的地が遠くに見えてきた。軒先に赤い提灯がいくつも下がった、古ぼけた建物である。単なる酒屋のように思えなくもないが、なにが待ち受けているかは分からない。なにせここは〈金魚辻の市〉の内部なのだ。どんなことだって起こりうる。

 不安と期待で混然となった胸の高鳴りが、繋ぎ合わせた掌を通じて小紅に伝わったらしい。彼女はちらりと視線を寄越し、唇を小さく湾曲させて、

「大丈夫、やれるよ」

 握る手の力が、どちらともなく強まった。そう、きっと大丈夫だ。私たちにはできる。

 扉の前へと至った。頭上で揺れる提灯のあかりは、どこか〈宵金魚〉たちに似ている。彼らもまた、私との出会いと、それに伴う冒険を、少しでも楽しんでくれていればいいのだが。

 進もう、と小紅に告げる。私にとって彼女はいつの間にか、単なる「親切な協力者」ではなくなっていた。どう呼ぶのが適当だろう。同じ船の乗組員? チームのメンバー?

 それも悪くない。しかし、もっと単純でいいと思った。

 私たちは、友達だ。

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