カツ丼と卵焼き

「カ・ツ・丼、カツど〜ん♪」


 風呂から上がってリビングに戻ると美里が帰ってきていて既に食卓に座って軽快な即興ソングを歌っている。

 それだけで今日の晩御飯が何なのか分かってしまう。

 まだ食べていないのはどうやら俺を待っているようだった。


「あ、やっときた。冷めちゃうから早く食べよ?」


 あかりも待っていてくれてお腹が空いたのか食べるよう催促する。

 かく言う俺も俺も腹が減っていたので拒む理由は無い。


「「いっただっきまーす!」」


 各々カツ丼をかき込む、出汁の染みたカツが口いっぱいに広がる。

 これはまさに味の交通渋滞や〜。


「カエデ、まるで食レポしそうな勢いだね」

「そういう美里こそ「味の交通渋滞や〜」って言いそうな顔してるぞ」

「え、嘘!?」


 本当は俺が言いたかったことをあたかも美里が言いたげにしてると指摘したら驚いて満更でもない表情を浮かべている。


 まさかお前も同じことを考えていたなんてな……。


「あはは、二人ともただのカツ丼くらいでリアクションがオーバー過ぎるよ」

「分かってないな、あかりは。妹が作ったというだけで何倍にもこのカツ丼は美味くなるんだ!」

「お店が出せそうなくらい美味しいよ、あかりちゃん!」


 俺達はオーバーリアクションではなく当然のリアクションだと妹に諭す。

 世のお兄ちゃんは妹の手料理が物凄く嬉しいことをあかりは知らなすぎる。


「えへへ。二人ともありがとう。たまにはお兄ちゃんも料理を手伝って欲しいくらいだよ」

「んー、そうだな。明日は学校もないし簡単な物でいいなら作るぞ」

「やったー! 私、お兄ちゃんの作る卵焼きが食べたい!」


 あかりが作る卵焼きの方が何万倍も上手で美味しいのに両手を上げてそれこそオーバーな喜びようだった。

 まあいつも家事してるから休めると思えば嬉しいのかもな。


「朝は卵焼きでいいのか?」

「うん、明日は友達と朝から出かける予定だからお昼は大丈夫かな。帰りは遅くなるし何か食べる物買ってくるよ」

「晩御飯買うなら俺が行くぞ?」

「駅前のピザ屋さんがとっても美味しいって聞いたからそれを買ってくるんだよ。お兄ちゃんはわざわざそこまで行ってくれないでしょ?」


 流石妹。俺のことをよくご存知で。


「行ってくれないな」


 俺にそこへ買いに行け、と言われたら断るだろう。

 面倒臭いしアニメ見たいし。


「あ、知ってる。テイクアウト専門でうちのクラスの子も話してたっけ。あそこのマルゲリータが美味しいんだって」

「そうなんだぁ。みさとちゃんも一緒に食べる? もし食べるなら買ってくるけど」


 流石は女子。食べ物には目敏い。


「んー、明日はママも居るみたいだし私も部活で遅くなるからまた今度機会があったら頼んだよ」


 少し名残惜しそうに考えるが、明日はオバサンが居るようで諦めていた。


「そっかあ、明日はお兄ちゃんと二人きりかぁ……何だかおじいちゃんが居なくなってから食卓が少し寂しいんだよね」

「俺は別にそう思わないけどな。いっつも人のおかずを食べるやつが居なくなって清々したくらいだぜ」


 明日の夕飯は美里が居ないと分かると、あかりは寂しそうにしている。

 そんなあかりを宥めるかのように小粋なジョークをかます。


「それってカエデが先にやってたのがいけないんじゃないの?」


 卵が先か鶏が先かのようなものだ幼馴染よ。

 それにおかずを取られてもおかしくないほどのことをあのじじいはしていた。

 今回の端島の件だって許されざる行為だ。

 ボケてなければ三日くらいご飯抜きにさせたいところだ。


「まあ何にせよ朝はよろしくね、お兄ちゃん」

「大船に乗ったつもりで待ってるんだな」

「うん。平日と同じ時間に作ってくれるの待ってるね」


 ニッコリとあかりが微笑む。

 普段はここまで喜ぶことがない。

 そして俺は気付く。


 ハメられた……妹の狙いはそれだったのか。

 俺に朝ご飯を作らせることで俺が夜更かしをさせないようにし、それでいて規則正しい生活をさせようとしている。


「高尚な妹よ……」


 か細い声でぽつりと呟くがあかりは何のことかと言わんばかりに頭にハテナを浮かべまくる。

 ナチュラルにやっているのならかなりの手練だ。

 何となく視線をテーブルの端にやる。

 それは数分前まで鍵が置いてあったところだ。

 けれど今は何も見当たらない。


「なあ、あかり。ここに置いてあった鍵知らないか? どうやらエコバッグの中に入ってたらしいんだけど」

「鍵? そんなの置いてなかったよ?」

「私が来た時も鍵なんて見当たらなかったけど、どうしたの?」


 鍵のことを聞いてもあかりは更にハテナが増えてるだけだし、美里も知らない様子だった。


「そうか。俺の見間違えかな……」


 確かにあれは鍵に見えた気がしたけど二人は知らないようだし別に俺の家でも美里の家の物でもなさそうだったからそれ以上追求はしないことにした。


 でもあの鍵……何処かで見たような気がしなくもない。

 まあ他鍵の空似だろう。

 鍵なんてパッと見どれも同じだからな。


 それより今はあかりが作ってくれたカツ丼を食べるのに集中する。

 もう五年前の記憶だが妹の作ってくれるのカツ丼は母さんの作ってくれたカツ丼の味がした。


 ☆


「ふわぁ〜〜」


 次の日、時刻で言えば七時になろうとしている。

 俺はいつもの如くリビングでソファに寛ぎアニメを見ているうちに寝落ちしていた。

 お陰で身体の節々が痛い。


 そして今日は珍しく隣にはあかりの姿がある。

 ノートとタブレットを抱いてスヤスヤと眠っていた。

 朝から勉強をしようとしたのか、それとも兄が作る卵焼きが待ちきれなかったのか。

 どちらにしても愛いやつよのう。


 撫でようとあかりの頭に手をやろうとするとノートの一部分が見えてしまう。


 『今日は駅前のピザ屋なんてどうかなっ、どうかな!?』


 あかりのノートは疑いたくないが連鎖強盗のことについて書かれている。

 もしそれが本当なら今日はピザ屋が被害に遭う。

 けれどピザが嫌いな人なんて少なそうだし、テイクアウト専門だから盗む行為自体難しいだろう。


「お兄……ちゃん?」

「ああ、すまん。起こしちゃったか?」

「ううん、自然と起きたみたい……ふわぁ。卵焼きが楽しみでお兄ちゃんを早く起こそうかと思ったんだけど、気持ち良く寝てる姿を見てたら釣られて寝ちゃったよぉ」


 まだ眠たいのか欠伸をしてニッコリと微笑む。

 あかりはまるで妹ヒロインのようなセリフだった。

 だが実際に言われるとキュンともしない。

 大袈裟ではあるが俺の卵焼きを楽しみにしてくれてるのは嬉しいけどな。


「そんなにハードルを上げられても後悔するだけだからな」

「誰かが作ってくれるだけで嬉しいものなのだよ」

「それが美里でもか?」


 あかりの顔がカチカチに固まる。


「お、お兄ちゃんが作ってくれるだけで嬉しいものなのだよ!」


 両手を広げブンブンと振りながら必死に訂正していた。

 やはり美里の料理は食べたくないようだった。


「ちゃっちゃと作ってくるよ。甘いので良いんだよな?」

「うん、甘々で頼んだよ〜」


 俺が立ち上がり台所へ向かいながらあかりに話すとか眠そうに手を振って答えていた。

 いつもは立場が逆なんだがこれはこれで面白いな。


 手馴れた手付きで卵焼きを……作れない俺は不器用ながらにも卵焼きを作っていく。

 出汁なんて作れないので殻を割って溶いた卵に砂糖を入れるだけだ。

 それをただ卵焼き器で焦げないように焼くだけ。

 おかずはこれしかないのでインスタントの味噌汁と納豆とヨーグルト、じいさんが好きだった高菜の漬物を小皿に盛ってテーブルへと持っていく。


「よっ、待ってました」


 何故かあかりは江戸っ子のような掛け声をしている。

 この前の月先輩と俺の関係を聞いてきた時といい、妹はたまに変なテンションになる。


「ん〜、美味しい! この甘すぎる卵焼きはお兄ちゃんにしか作れないよ」


 褒めてるのか貶してるのかどちらか分からないことを喋って卵焼きを食べ進めていく。

 あかりの顔を見たら目を輝かせて嬉しそうにしているので貶してはいないんだろうけどな。


「あかりだって溶いた卵に砂糖をぶっ込めば作れるんじゃないのか?」

「それは無理だよ、お兄ちゃん」


 急にあかりの顔が真顔に変わる。


 もしかして俺って料理に関して凄い技術を簡単にこなしていたのか?


 そう考えているとあかりが続けて話し始める。


「栄養のことを考えたら私には容赦なく砂糖をこんなに入れるなんて真似、出来ないよ」

「なーんだ、そういうことか。あかりも美里ももう少し肉をつけないとぶつかっただけでポッキリいきそうで怖いんだよな」

「女の子に対して「肉をつけないと」は禁句だよ? それに私もみさとちゃんもそう簡単にポッキリなんていかないから」


 反感を買ってしまったようで朝から妹に説教をされてしまう。

 確かに簡単に折れるのならば日常生活だけでもボキボキ折れてるはずだ。

 でもやっぱり華奢な二人を見ていると少し心配になる。


「分かってはいるんだけどな……」

「みさとちゃんのことがあってから心配してくれてるのは分かるけど、誰だって車に轢かれたら骨だって折れちゃうよ」

「まあそれもそうか」


 あかりに納得させられてしまい、俺は味噌汁をズルズルと啜りながら今日は何をするか考えることにした。


「あ、お兄ちゃんどうせ暇でしょ? 自分の部屋とリビングの掃除、やってくれないかな?」

「へーい」


 思い出したのかまるで母親のようにあかりは俺の予定を勝手に決める。

 どうせって一言余計だけど間違いじゃないのが悔しいぜ。


「それと昨日の晩御飯の残りお昼に食べちゃってね」

「まだ残ってたなら朝に食べておけばよかったな」

「後から言わないとお兄ちゃん卵焼き作ってくれなそうだったもん」


 本当に色々と出来た妹だ。

 俺は自分の脳を割って直接見られているような錯覚を覚える。

 昨日言わなかったのはそういうことだったのか。


「あかりが食べたくなったらいつでも作ってやるからその時は言えよ?」

「うん! 大好き、お兄ちゃん!」


 満面の笑みを浮かべてとても嬉しそうだった。


「まったく、あかりは大袈裟な」


 そんなあかりの顔を見るとこちらも嬉しくなる。


「あっ、もう彩ちゃん待ってるかも!? お兄ちゃん、私準備して行ってくるね。留守番頼んだよ〜」


 微笑んでるかと思えば時計を見て焦りそのまま洗面所へ向かっていき三分も経たないうちに準備を整え出掛けようとしていた。

 俺が卵焼きを作るのに手こずっていたからか時刻は八時になるところだ。


「あいよ。気を付けてな」


 手を振ってリビングから見送った。

 平日は学校に強制的部活と大変続きだったので今日明日はゆっくりと休息をとりますか。


 あ、流石に掃除しなきゃあかりに怒られるな。 

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