天文部へ

「どうぞ」 


 理科準備室の隣の部屋をノックすると聞き覚えのある声が入室を許可しているようだ。

 落ち着いていてどこか冷たくそれでいて寂しいと思わせる声。

 

 声だけならば差し詰め文学美少女って感じかな。

 大人しく影も薄そうなのに何故か男子には一定層の人気がある。

 そんな先輩であって欲しいと俺は思う。


 いや、平気で他人に刃物を突きつけるくらいだからそれはないか。

 せめて犯罪者にはならんで欲しい。


「失礼しまーす」


 そんなしょうもない妄想を脳内に浮かべ、本当は失礼したくないが中へと入る。

 真っ暗で狭く横長の部室だ、大の大人が二人並んでは入れないくらいドアは小さい。

 まるで後から作られたかのようなハリボテ感。

 窓は入って真正面、俺より少し高い位置に小さいのが一つだけあって部室のドアを閉めても辛うじて誰がどこにいるか何があるかなどは認識ができる。

 その下には本棚があって星に詳しくない俺でもパッと見ただけでそこにある本は天文学に関するものだと分かる。


「待ってた。ここに座って」


 先輩はパイプ椅子を用意し、それをとんとんと叩いて俺に座るよう促す。


「ども。それでどうしてメスなんか使って俺を部活に勧誘したんですか?」

「メス? あぁ……これはデザインカッター。近頃物騒だから持ってる」


 一度何のことか分からない素振りを見せたが、先輩はすぐに答えにたどり着く。

 ブレザーの裾から出てきたのは朝見た物で間違いない。


 そんな物をそんなとこに入れてる方が物騒なんだが。


「それよりメスだかデザインカッターだかこの際どうでもいいです。問題はどうして俺を勧誘したってことです」

「私の夢には貴方が必要」


 端的に答えるとそれ以上は何も言わない。

 夢を壊されたのに夢には必要ってよく分からん。


「必要って俺じゃなくても他に入ってくれそうな人は沢山いるんじゃないんですか? 俺は星なんてオリオン座くらいしか知らないんですけど」

「ん、問題ない」


 こくりと頷いてみせた。


 先輩はそれ以上理由を話そうとしない。


「星を覚えるくらいなら一分一秒でもアニメを見ていたいんだけど……親の方針で部活には入った方が良いと言われたんで入りますけど、毎日は来ませんからね? 俺だって忙しい時間を縫ってここに来てるんですから」


「大丈夫、カエデくんは明日も来る」


 先輩は自信あり気に「むふー!」と鼻息が可視化出来るのならば勢いよく白くモクモクと先輩の両鼻から出ていたことだろう。


「来ないよ」


 明日は夕方から新しいアニメが始まる。

 本来は子供向けだが声優が豪華すぎる。

 リアタイでそれを見ないことは俺には出来ない。

 例え足が折れても家が爆発しても必ずアニメを見なければいけない。


「来る」


 人の事情をお構い無しに先輩はまた断言した。


「来ない」


「来る」


「来ない」


「来る」


「来ない」


「来る」


「来ない」


「来る」


「だぁあああ! だから俺は来ない…………って? ええっ──!?」


 何度か来る来ないラリーを続けてしびれを切らした俺は大声で叫び先輩を見ると大判サイズの紙を持っていて何やら見覚えのある光景がプリントアウトされていた。

 それは今朝、先輩が俺の手首をひねった時の写真だ。

 俺の手はぐねりと捻られた挙句、しっかりとそれでいて確実に俺の右手は先輩の胸を鷲掴みしていた。


「んなっ!? これは一体どういうことだ!? いつ……一体いつ俺は胸の感触を味わったって言うんだ!」


 その時を思い返すかのように右手を軽く閉じたり開いたりするが捻られた苦痛の方が強かったのか、やはりそんな感覚に覚えはなかった。

 

「酷い私の胸は木星のと同じだ、だなんて」

「そんな平べったいだなんて言ってないだろ! 先輩の胸は……そう! 発展途上国だ!」


 先輩は自分の胸を押さえてわざとらしく悲しんだ。

 対する俺は、苦し紛れに反論する。


「先進国でありたい。それよりこれを学内でバラ撒いたら面白いと思うんだけど? 新入早々、上級生にセクハラか。なんて見出しもつける」

「まさかこれが今話題のフェイクニュースか……」

「フェイク? 私の胸は100%天然由来成分配合」


 その手のことはよく分からないのか自分の胸を押さえ今度は自慢げのご様子。

 残念だが先輩の胸は美里よりない。

 と言うか少々発育が悪いのではないか?

 多分だけどあかりより平べったい。


「まあなんでもいいや。要するに俺が部活に来ないと先輩はその写真を使って俺の人生をめちゃくちゃにするってことですか?」

「少し違うけど大体あってる」

「少し違うって?」

「カエデくんの交友関係をめちゃめちゃにするだけ。憔悴しきったカエデくんを幼馴染か妹さんにでも刺されるといい」


 怖いわ!


 俺が考えているよりも遥か上の回答を表情ひとつ変えずに淡々と述べていた。

 どうやら入学早々やばい先輩と知り合いになってしまったらしい。

 逆らうとどうなるか分からない。

 だが譲歩させてもらおう。


 俺は俯く。


「はぁ、結末は違っても部活に来ない限り俺の人生は終わりそうだな…………仕方ないから来ますよ。だけどさすがに土日だけは休みにしてくださいね」

「ん、それでいい」


 こくりと頷き少し間を置いて先輩は再び話し始める。


「改めて自己紹介を、二年の──」

「荻野月先輩でしょ?」


 俺が先輩の名前を言うと目を少しだけ見開き、驚いたように見える。

 二年だったのは知らなかったけどな。

 そのお陰で俺は二年間この先輩にこき使われそうだ、という事がわかってしまう。


「誰から……って会ったのね。カエデくん、私はあなたがアレと会うのは止める義理はないけど彼女のことを信じてはダメ」


 驚いたように見えたのは一瞬で溜め息混じりで俺の目をまじまじと覗き、先輩は答えを出す。


「どうして?」


 姉妹で仲が悪いのだろうか?


「優等生の皮を被った外道」


 仲が悪いとかそういう次元じゃなさそう。

 確かに第一印象は綺麗で賢くてそれでいて少しだけ天然な人のイメージだった。

 その天然が仇となって妹である月先輩のプリンを毎日食べ尽くしていなければ外道と言う言葉は出てこないだろう。


「ふーん。外道かどうか知らないですけど、実は陽先輩にも同じようなこと言われまして」


「どんな?」


「部に入るのを止める権利は私にはありません。けど、絶対に彼女と二人で出掛けてはいけません。って」


「そう……天文部は野外活動もあるからいつかは二人で出掛けることになるとは思うんだけど。カエデくんがあの人を信じて行かないと言うなら私は無理矢理連れていくようなマネはしないと約束する」


 俺から信頼を勝ち取りたいのか、まっすぐ俺の顔を見ながらそう話す。

 だけど行くな行くなと言われると行きたくなるのが人の性。


「んー、二人で出掛けるのは色々と怖いとこもあるけど先輩の夢……でしたっけ? それを壊してしまったんだし罪滅ぼしになるかどうかは分かりませんが少しでも償えるよう頑張りますよ」


 今の所、どちらの話も信じないようにしよう。

 陽先輩が言っていたダメはもしかしたら陽先輩は俺に気があるからダメだと言っていただけかもしれないし、月先輩ももしかしたらそうかもしれない。


 それはなかったにしろ、どっちも信じていたら大変なことになりそうだ。


「ありがとう……やっぱりあなたを勧誘して良かった」


 首を軽く右に傾け、先輩はにっこりと静かに笑った。

 この笑顔は俺にしか見せてくれないとかだったらすごい嬉しいんだけどどうなのだろうな。

 陽先輩は分からないが、月先輩は俺のこと好きなんじゃないか?


 もしかしたら俺の学校生活は薔薇色になるかもしれない。

 部活に二人しか居なくて、しかもそれがカップルなんて幸せなんじゃないか?


「ぐへへ……」


「どうしたの? 気持ち悪い顔をして。人面魚の方がまだ可愛い」


 谷から突き落とされた気分だ。

 先輩は至極当然に気持ち悪い顔と言った。

 カエデくん、泣いちゃう!


「い、いえ。そりゃ良かったです。でもどうして先輩は俺の名前を知ってたんですか? 端島でも……てか立ち入り禁止なのに入っちゃダメだったんじゃ?」

「あれは致し方ない。暗くて迷子になった」


 あの時を思い出したのか下を向いて悲しい顔になる。


「迷子であそこに…………って先輩は船の免許を持っていたんでしたね。でもあそこ一帯は監視区域だから一般人が入ったら警報がなるんじゃ?」

「さぁ? 大きな船じゃないからレーダーに引っ掛からなかったのかも?」


 顎に手を当てゆっくりと首を左右に傾けながら疑問形で返される。

 

 そういうこともあるのか?

 ちょっとデカい魚、くらいにしか思われなかったのかな。


「まあなんでもいいや。改めてよろしくお願いします。因みにですけど他の部員は……?」

「いない」

「デスヨネー」


 聞かなくても分かりきっていたことだった。

 でも確か部活動をするには最低五人居ないとダメだったと認識しているのだが、大丈夫なのだろうか。

 まあ部として認められないのならば俺は先輩の呪縛から開放される訳で願ったり叶ったりだな。


「今日は顔合わせだけだからこれでお開き」


 先輩は自分が座っていたパイプ椅子を折りたたんで壁に掛ける。

 俺もそれに習って隣に壁掛けて部室をあとにする。

 

 部室を出てからは何やら職員室に用事があるとかで先輩は先に行ってしまった。


 結局、月先輩が俺の名前を知っている理由を聞くことはなかったのを家に帰る途中で思い出した。

 もしかしたら中学に居たのかもな。

 二次元にしか興味がなかった昔の俺を恨みたい。

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