勧誘

「おはよ〜。カエデ、あかりちゃん!」


 俺は高校へ、妹は中学へ向かおうと家の玄関を出ると、俺達が出るのを待っていたのかと思わんばかりに美里も家から出てきて開口一番に手を振りながら大きな声で挨拶をしている。

 朝の時間帯はとても眠たいので美里の元気な姿と大きな声は寝起きに背脂マシマシのラーメンを無理矢理口の中に入れられたくらいのヘビーさがある。


「おはよぉ、みさとちゃん。今日も元気だねぇ〜」


 欠伸をしながら挨拶をして、あかりはのそのそとパンダのように美里へ抱きついていき欧米さながらの挨拶を交わしていた。

 うむ、身内でなければ良い百合具合だ。


「あ、そうだ。カエデ、私やっぱり陸上部に入ることにしたよ」


 あかりに抱きつかれながらも思い出したかのように美里は俺に伝える。

 また陸上部に入ってくれるのは正直言って嬉しい。


「ん、そうか。美里ならまた全国狙えるんじゃないか?」

「もう全国は無理じゃないかな。足だって昔みたいに速く走れないし」


 俺は素直な感想を口にすると、美里は首を傾げて考え込み、さっきまで明るかった顔の雲行きが怪しくなる。

 軽率な俺の発言でこんなことになってしまったのだ。

 美里なら本当に全国目指せると思うんだけどな。


 例えあの事故があっても……。


「み、みさとちゃん、何部に入ろうとしてたの?」


 あかりは気を利かせて美里に訊ねる。

 気を利かせてくれたのは正直助かるのだが、それと同時に俺は「しまった!」とも思ってしまう。 


「料理部だよ〜でも私は体を動かす方が合ってるみたい〜」


 えへへ〜と笑いながら美里は言うが、結果的にあかりが気を利かせて訊いたのが仇となる。

 今度はあかりの顔が永久凍土のようにカチカチに凍ってしまい、ピクリとも動かせなくなっていた。

 口は半開きになり、目は燦々と煌めいている太陽があるにも関わらず漆黒で反射なんて言葉を知らないよう。


「あっ、そうだ! 私、きょ、今日日直だったんだ! お兄ちゃん、みさとちゃん、また後でね!」


 かと思えば、あかりは思い出したかのように小走りで行ってしまう。

 兄を置いて逃げてしまったのだ。

 俺のために気を利かせ話を変えてくれたが、失敗に終わりどうしたらいいのか分からなくなっていたんだろうな。


 それでもお兄ちゃんを置いていくなんて酷い!!!


「私達も行こっか」

「そうだな。入学早々遅刻だけは勘弁だ」


 気まずかった雰囲気は嘘のようになくなり、いつもの幼馴染の美里へ戻る。


「そういえば」


 俺は昨日のことをふと思い出したので訊ねることにした。


「ん、どしたのさ? またアニメ見忘れた?」

「いや、それもそうだが。昨日帰る途中に黒髪ロングの綺麗な先輩とすれ違った」

「黒髪ロングの? ……ああ、演台の端にいたよね」


 俺が訊ねると少し考える素振りをしてから、ポンっと手を叩き俺に教えてくれる。


 演台? ……さっぱり分からん。


「そうだったか?」

「カエデは眠気を必死に抑えてたから多分覚えてないんじゃないかな」


 美里にそう言われると確かに眠たかったし、生徒会長の挨拶だったり校長の長ったらしい挨拶なども興味がなかったのでそもそも演台なんて見ていないことに気付いた。


「ふーん、それであの人は何部なんだ?」

「部活は知らないけど生徒会役員だったのかな? てかすれ違ったなら後を追っかけてみればよかったじゃん。カエデそういうの得意でしょ?」

「そんなこと出来るか! 美少女は愛でるものだ。魔が差しても同じ空間の匂いをハァハァ吸って堪能するくらいだ! だが二次元に限る!」


 学校に近づくにつれ、俺たちと同じように登校している生徒が増え始めているが、そんなこと気にする素振りは一切なしに大声で言い放つ。

 恥ずかしさはない。美少女をストーキングする方がよっぽど恥ずかしく気持ち悪いからだ。


「はいはい、きもいきもい。あ、もう着いたね。私、少しだけ部活に顔出してくるよ。んじゃまた後でね」

「うい〜」 


 美里にとってはどうでもいい話だったのか適当にあしらわれていると学校までは十分足らずで到着してしまう。


 そして、美里は俺に軽く手を振ると、すぐさまグラウンドがある裏口へと走っていく。

 後ろ姿でも楽しそうに見えた。

 本当に陸上のことが、走ることが好きなだろうな。


 さて俺も便所行ってから教室に行くか。

 靴を履き替えて歩きだそうとすると──。


「見つけた」


 不意に後ろから声が聞こえる。

 それは端島で見た俺にアッパーを御見舞したあの少女だ。


「まさかここの生徒だったなんてな」

「リボン見る」


 胸元にあるリボンを指さしてそう言い放つ。


 この学校の女子は冬はブレザー、夏はセーラー服になっていて少女はブレザーを着ていて、リボンは緑色をしている。

 一年は黄色だから上級生だと言うことが容易に想像出来る。


「まさかこの学校の先輩とは思いませんでした。これでいいでしょうか?」

「及第点」


 彼女は首を傾げ、及第点と言った割には不満そうな顔を見せる。


 もっと大袈裟にデタラメな尊敬語を並べるべきだったかな。

 それより疑問があったので訊ねることにした。


「それで先輩はどうして俺に声を掛けてきたんですか?」

「部活、探してるんでしょ? 良かったら入らない? 今なら毎週通っても年会費無料」


 何処かのクレジットカードの謳い文句のようなことを言いながらビラを見せてくるが、あるワードが俺の目に飛び込む。

 それは俺にとっては天敵でやばい部活だと分かってしまう。


 この場をどうにかやり過ごさないといけない。


 俺の全細胞がそう語りかける。


「あっ、間に合ってるんで大丈夫でーす。ひぐっ──」

「君は私の夢を邪魔した。償うにはそれ相応の対価が必要。ここで死ぬか、いま死ぬかどっちがいい?」


 断ろうと以前先輩が俺にしてきたように手を前に出した瞬間、俺の手首を180℃回転させられ袖からメスのような物を取り出し、俺の手に触れるか触れないかの状態で脅す。

 手を切っただけで死ぬとは思えないが、愛のない行為は嫌いだ。

 少しでもこの人を挑発したら何をされるか分かってもんじゃない。


「い、いい夢でも見てたんですか? いでで……」

「うん。とってもいい夢」


 訊ねただけなのだが、俺の最後の言葉が癇に障ったのか先輩は更に俺の手を捻じる。


「いい夢なんてまた寝ればいつか見れますよ」

「もう無理」


 もう無理はこっちのセリフだ!

 これじゃ360℃回転しちゃう!?

 めっちゃ痛いまじで無理。嘘でもいいから何とかしないと俺の高校生活が二日で終わってしまう。


「な、名前だけなら貸すのでこの手を離してくれませんかね? あと……で、出来ればその凶器も仕舞って!」


 信じてくれたのか先輩は手を離し、刃物も元にあった場所へと戻す。


「放課後待ってる。嘘ついたら美少女を見ることも可愛い声を聞くことも匂い感覚味覚触覚全てが感じられない体にしてあげる」


 そう言って俺の胸ポケットにくしゃくしゃになったビラを突っ込み、満足気な笑みを浮かべて消え去った。


 それと同時に思い出した。

 昨日廊下であった黒髪ロングの女性はさっきの人だ。

 でもどうして白髪になっているのだろうか。

 染めるのは校則でアウトだろうし、教員が彼女とすれ違ったが普通に挨拶を交わすだけで叱責することはなかった。

 先生だってあの距離でなら俺達やりとりが見えていたはずだ。

 白髪なんて目立たないわけがない。

 けれど今の一連のやりとりはまるでなかったかのように先生は他の生徒と挨拶を交わしていた。

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