第12話 執務室の攻防

 緑竜ミストラルの主・皇帝リーンハルトの執務室。その扉がコンコンとノックされた。肩乗りサイズに変身しているミストラルは、執務机の定位置からちらりと顔を上げて扉を見た。


「こんにちは。ユリアローゼです。リーンハルト様、お話ししたいことがございます。少しお時間よろしいでしょうか?」


「俺にはない。帰れと伝えてくれ」


 部屋の主人でもあるリーンハルトは、書類にサインする手を止めもしない。人間のくせに腹心ぶって馴れ馴れしい――ミストラルにはそう見える――オトテール侯爵は肩をすくめた。


「陛下。本日も皇妃様がいらっしゃいましたよ。もう3日目です。どうせ今夜も離宮へは帰れないのでしょう? 夫に会えず寂しくなって会いに来るなど、いじらしいではないですか。もうすぐ準備させた紅茶が運ばれてきますので、ご一緒に休憩されてはいかがですか?」


「くだらん。却下だ」


「ご主人様、僕、ユリアの魔力が欲しい。ユリアの魔力、純白でとっても綺麗で、人間にしてはすごく強いの、ご主人様も感じるでしょう? 聖女の魔力、きっと美味しいよ」


「ミストラル。要らんことを言うな」


 幼い少年の声で人語を話した緑竜をリーンハルトは睨みつけた。


「なんと。皇妃様は聖女の魔力をお持ちで? それは、利用しがいがありますね。周知すれば帝国民にも人気が出るでしょうし。何故こんな重要事をお知らせくださらなかったのです!」


 色めき立った侯爵を見て、リーンハルトはため息を吐いて仕事の手を止めた。


「お前がまた面倒なことを言いだすと分かっていたから言わなかったんだ」


「何故お隠しになるのですか。もったいない」


「あれが聖女だと知られれば、利害の一致しない者から危険にさらされるだろう」


「なるほど。皇妃様の身の安全をご懸念でしたか。それはまた意外な……。いや、意外でもありませんでしたね」


 にやにやと揶揄するように笑う侯爵をぎろりと睨みつけてから、リーンハルトはしっしっと追い出すように手を振った。


「もういい。ユリアローゼを部屋に入れろ。二度と来るなと俺から言うことにする。お前はその間に各部署に書類を運べ」


「はいはい。かしこまりましたよ」


 忍び笑いをもらしながらオトテール侯爵が礼をして、書類と共に扉に向かう。リーンハルトも執務机から立ち上がり、応接机にしているローテーブルの席についた。小さなミストラルもパタパタと羽ばたいてリーンハルトの腰かけているソファに移動する。


「失礼いたします」


 侯爵と入れ替わりに、ユリアローゼが部屋に入って来た。その後ろにはティーセットの乗ったカートを持ったメイドも連れている。


「リーンハルト様。お忙しいところお時間いただき、ありがとうございます」


「話があると言ったな。座れ」


 リーンハルトが命じると、ユリアローゼは素直に従った。


 メイドが紅茶の準備を始める。揃いのソーサーとティーカップ、ティースプーンが並べられ、角砂糖の入ったシュガーポットと生クリームの入ったミルクピッチャーが置かれる。すぐに赤い水色が美しい紅茶が湯気を立て始めた。


 紅茶の準備が整う間、リーンハルトは不機嫌そうにユリアローゼを観察しているようだった。ミストラルには主人の考えていることは分からない。


 しかし、ミストラルから見て、主人の番となったユリアローゼは主人とよく似た金色をした綺麗な毛並みと美しい魔力を持つ人間だった。


 メイドが退室したのを確認してから、開口一番、ユリアローゼは華やいだ声を上げた。


「そちらにいらっしゃるのは、もしかして、先日わたくしを運んでくださったドラゴン様ですか?」


「うん。ミストラルだよ、ユリア」


「まあ。男の子だったのね、可愛らしい! 先日はありがとうございました」


「ううん、当然だよ。ユリアはご主人様の大事な人だからね」


「大事、だなんて!」


 とたんに顔を真っ赤に染め上げたユリアローゼを見て、幼い緑竜は慌てる。


「どうしたの? 顔が真っ赤だよ」


「そ、そんなことある訳がありません! 気のせいです!」


 ますます真っ赤になったユリアローゼに、ミストラルがさらに質問を重ねようとしたとき、リーンハルトが口をはさんだ。


「で? 3日も連続で何の用だ? つまらない用事だったら分かっているだろうな?」


 低く苛立っているのを隠しもしない声音。しかし、ユリアローゼはさっきまでの動揺を隠し澄まして答えた。


「あら。何の用事か、なんて聞かなくても、リーンハルト様なら予想がついているのではないですか?」


 南の海のような碧眼が、リーンハルトをまっすぐに見つめる。


「もちろん、あの朝のこと、朝焼けの雲の採集についてのお話です。あの時、まだ話は終わっていませんでしたのに、起きたらベッドの中でしたもの。あれからずっと、わたくしは気になって気になって仕方なかったのです!」


 勢い込んで話し始めるユリアローゼに、リーンハルトはうんざりした顔をした。


「俺に話はない、と何度も言っているだろう」


「わたくしにはあるのです! 何故、リーンハルト様は朝焼けの雲を採集されていたのですか? もしかして、回復薬の調合に使用されるのですか?」


「まあ、そうだが……。お前、飛行法だけでなく、朝焼けの雲の使用法まで知っているのか」


 リーンハルトが少し感心すると、皇妃は誇らしげに胸を張った。豊満なふくらみが美しい曲線を描いてドレスの胸元で主張する。


「ええ、わたくし、古代魔術に興味がありますの。これでもそれなりに勉強したんですよ。ですが、祖国には魔導書があまり残っていなくて独学では限界だったのです。リーンハルト様が帝国一の魔法使いだとは存じ上げていましたが、まさか古代魔術についてまで造詣が深いなんて、飛んで火にいる夏の虫……じゃなかった。ええと、せっかくのご縁ですので、どうかわたくしに古代魔術を教えてくださいませ!」


 瞳をきらきらと輝かせて、皇妃は一息で話し切った。若干鼻息も荒い。興奮冷めやらぬ伴侶を前に、夫の態度は素っ気ない。


「嫌だ。何故俺がそんな事をせねばならん。メリットもないのに時間の無駄だ」


「メ、メリットならありますわ。わたくしの魔力を差し上げます」


「魔力だと?」


「はい、魔力です」


 そう言うと、ユリアローゼは持ってきていた巾着から魔石を取り出した。


「ダイヤモンドの魔石です。ガラス玉に魔力を込めて、わたくしが作りました」


 魔石を受け取ると、リーンハルトはまじまじと鑑定した。緑竜も覗き込む。


 純白の魔力がなみなみと満ちた魔石。形質変化にも問題はなく純度百の金剛石だ。品質はA+ランク。直径は爪の長さ程もあり、市場にはおよそ出回ることのない希少価値の高い巨大な宝玉だった。


「お前がこれを……?」


 驚くリーンハルトの横で、ミストラルは涎を垂らした。


「お、美味しそう……」


 しかし、リーンハルトは無情にも魔石を製作者に返してしまう。


「ああっ! 僕のごはんが!」


「こら、お前には俺の魔力を与えているだろう。拾い食いするんじゃない」


「まあ、拾い食いだなんて!」


 不満そうなひとりと一匹を無視して、リーンハルトは話を進めた。


「それなりに鍛えてはいるようだが、Sランクの魔石も満足に作れないようでは、俺に師事しようなんて10年早い。魔導書でも読んでから出直して来るんだな」


 どうやらリーンハルトは冷たくあしらって妻の願いをなかったことにしたいらしい。しかし、ユリアローゼは嬉しそうに微笑んだ。


「では、魔導書を読んでも良いのですね! ありがとうございます! わたくし、帝国中央図書館に入ってみたかったのです! あ、今更やっぱり立ち入り禁止はなしですよ! リーンハルト様の許可が下りたと言って禁書の棚も覗かせていただきますね!」


 しまった、という顔をしたリーンハルトだが、しかし何も言わずに紅茶を飲み干した。


「さあ、俺の休憩時間は終わった。満足したなら部屋を出て行ってくれ」


「かしこまりました。それでは、ごきげんよう」


 ユリアローゼは上機嫌で席を立つと、優雅に礼をとって部屋から出て行った。いつの間に飲んだのか、彼女のカップは空になっている。


 リーンハルトはあからさまに嘆息すると、勢いよく立ち上がり、執務机に戻る。ミストラルも、パタパタと羽ばたいて執務机の定位置に移動した。


「ご主人様、メリットもないのに魔導書のことをわざわざ教えてあげるなんて珍しいね。どういう風の吹き回し?」


「別に。毎日押しかけられてうっとうしかっただけだ。宮殿内の図書館は蔵書も多い。これでしばらくは皇妃も大人しいだろう」


「ふうん。本当にそれだけ?」


「それ以外に何があるんだ?」


 肩眉を上げた美しい主人に、緑竜は「別に」と返して身体を丸めた。


「おかしなやつだ」


 リーンハルトは、肩をすくめると何事もなかったかのように仕事に戻った。しかし、先ほどよりも作業スピードが速くなっている。どうやら調子が上がったらしい。


 口では塩対応を決め込んでいる主人が、内心では番になった女性を憎からず思っているらしいことに気づき、幼い緑竜は複雑な心境になるのだった。

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