第9話 氷点下の皇帝は女嫌い

 リーンハルトの元には、入れ替わり立ち替わり、ひっきりなしに貴族たちが訪れた。軽い挨拶だけで退く者もいれば、長々と話したがる者もいる。


 ジャンメール公爵を筆頭にリーンハルトの魔法使いとしての知識を求める老貴族も多い。年若い皇帝はそのすべてを気負うこともなく捌いていく。


 美しいご令嬢たちが互いに牽制し合いながら束になって訪れれば、リーンハルトは隣でフルーツを食べていたユリアローゼの腰を抱き寄せ、耳元に囁いてはほほ笑むので、ユリアローゼは生きた心地がしなかった。


 皆さんの笑顔が引きつっています、リーンハルト様! わたくし、今から背中には気を付けていないといけませんね……。


 ご令嬢たちの悋気で焼き殺される幻影を見たユリアローゼだった。


 そんなご令嬢たち目当てで爵位を持たない貴族令息たちも集まって来る。リーンハルトはユリアローゼを何のかんのと気遣って、会話に導いては、円満夫婦アピールに余念がない。


 ユリアローゼは、慣れてきたのと疲れているのもあって、ほへーと間抜けのようにただただ関心するばかりだ。


 夜も更け、ユリアローゼの体力が限界を迎えた頃、おもむろにリーンハルトはユリアローゼを皇族専用の控室に連れ出した。抱え込むようにして連行され、ふかふかのソファに投げ出される。


「きゃ!」


「お前、何故黙っていた?」


 疲れでぼうっとしながら、ユリアローゼは今夜のパートナーを見上げた。


 まだ宴もたけなわだというのに、なぜか自分を舞踏場から連れ出した青年は、どうやらものすごく怒っているようだ。表情の一切が消え、碧い瞳に冷たい光を宿している。なまじ美しいので、その迫力は凄まじい。


「……リーンハルト様に皆さんとのご挨拶をすべてお任せしてしまって、申し訳ありませんでした。皆さんの顔も名前も存じ上げていないため、下手に話して秘密がバレるのを避けました」


 ユリアローゼが頭を下げると、リーンハルトから氷点下のような冷たいオーラがあふれ出る。


「お前、それで点数を稼いでいるつもりか?」

「え?」


 ユリアローゼは目の前の男の言葉に驚く。何故そんなに怒っているのか分からない。きつく睨みつけられているのを、働かない頭を抱えて見つめ返す。


 ふたりの間の空気はぴりぴりとひりついて、舞踏場での出来事が嘘のようだった。


「あれ? いないと思ったら、もうご退出なさったのですか? 予想より早いですね」


 突然場違いに気の抜けた声が割って入り、ユリアローゼは振り返った。聞き覚えのある声は、予想通りオトテール侯爵のものだ。アトランティッド帝国宰相の、有能そうだが飄々とした美丈夫。


「オトテール、早いとはどういう意味だ?」


 静かに怒りを発しながらリーンハルトが問うと、侯爵は肩をすくめた。


「皇妃様は本日お輿入れされたばかりです。長旅でお疲れのところご無理を言って茶番にお付き合い頂きましたので、疲労で会を途中退席されることは予想していました。ですから、早いと」


「俺は聞いてないぞ」


「私は報告致しました。皇妃様がいつご到着されたかも。ですから、計画を実行に移すのは次の機会になさってはいかがかとあれほどご忠告申し上げたではありませんか。女性の事となるとすぐ面倒くさがって話をきちんと聞かないのは陛下の悪癖ですよ」


 オトテール侯爵が容赦なく指摘すると、リーンハルトは忌々しそうに黙り込んだ。


 ユリアローゼは会話の成り行きを見守っていたが、不思議に思って口を開いた。


「……もしかして、リーンハルト様はわたくしが疲れてフラフラになっていることを申し出なかったから怒っていらっしゃるのですか?」


「ほう。そうなのですか?」


 興味深いと顔で語るオトテール侯爵にも見つめられて、リーンハルトは忌々しげに舌打ちをした。


「別に。そうではない」


 否定はしたが、真相を語る気はないらしい。


 むっつりと黙り込んだリーンハルトを見て、ユリアローゼは自身が言った通り、体調不良を黙って円満夫婦の演技を続けようとしたことを怒っているように見えてしまった。


「……リーンハルト様、お気遣い頂き、ありがとうございます。わたくし、とっても疲れていますけど、平気ですよ。こうして途中で退席させて頂きましたし、明日になったら完全復活です」


 にこりと笑いかけると、リーンハルトにぎろりと睨まれた。


「勘違いするな。お前のために連れ出した訳ではない。あのまま放置してあの場でお前に倒れられては、せっかくの印象操作が台無しになるから仕方なくだ」


「またまた。陛下、ムキになって否定しなくても良いではありませんか。おふたりはご夫婦なんですから、夫が妻を心配しても何も不都合はありませんよ」


「黙れ、オトテール! 余計な口を挟むな」


 侯爵を制すると、美しい皇帝は改めてユリアローゼを睨みつけた。


「この際だからはっきり言っておく。俺は女に興味がない。お前との結婚は政略上仕方なく受けたし、今夜のように利用もするつもりだが、だからといってお前と愛し合うつもりはない。離宮をやるから俺の目の届かないところで大人しくしていろ」


 リーンハルトの言葉をどう受け止めて良いか分からず、少なくとも多少の衝撃は受けて、ユリアローゼは返事に窮した。


 疲れ切った頭をぐるぐるとさせながら言葉を探していると、リーンハルトはそれが返事だと判断したのかくるりと踵を返した。


 マントをひるがえし、そのままずんずんと振り返らずに部屋を出て行ってしまう。


「……申し訳ありません、皇妃様。陛下の我が儘に付き合わせた挙句あの態度で。ですが、陛下がああなってしまったのは私がお守り出来なかったのが原因です。陛下はあのご尊顔で、さらに無自覚天然のスケコマシですから、女性にそれはもうモテまくります」


 ええ、そうでしょうね。


 忠臣が突然始めた不敬ともとれる皇帝の恋愛事情暴露に、その辣腕ぶりを身をもって実感したばかりのユリアローゼは深くうなずいた。


「その熱狂たるや凄まじく、姿を見せれば歓声が沸き、声をかければ卒倒者が続出する始末。目が合っただけで鼻血を吹いたご令嬢もいらっしゃいました」


「……お気持ちは分かります」


「当然、陛下の側妃の椅子を巡ってご令嬢たちの熾烈な争いが勃発しました。上位貴族のご令嬢が、陛下の前で騒ぐ下位から中位のご令嬢を抑え込み、親衛隊のようなものを統率し始め、一端は収束を見たかと思われました」


「親衛隊……」


「しかし、その後政略的にも側妃を狙える本気のご令嬢たちが同じような立場のご令嬢を出し抜こうと争い始めてしまいました。互いの足を引っ張り合う姿はまさに醜悪そのもの。さらに巻き込まれた陛下は、連日連夜の色仕掛けや夜這いのせいで女性不信になってしまわれたのです」


「…………」


「厚かましいお願いではありますが、陛下を許してやっては頂けませんか? この通りです」


 帝国の宰相たる男に深く頭を下げられて、ユリアローゼは慌てて声を上げた。


「そんな! 気になさらないでください。わたくしも気にしませんので。……それよりも、そろそろ限界突破しそうなのでお部屋へ案内していただけませんか?」


 ユリアローゼが青白い顔で笑うと、オトテールは慌てて使用人を呼んで、寝台のある清潔な部屋に運んでくれたのだった。

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