第8話 円満夫婦アピール

 一瞬のような、永遠のような、ユリアローゼの心をおおいに動揺させた3曲が終わりを告げた。


 曲が終わると、ユリアローゼは皇帝とその妃のために用意されたテーブルへ卒なくエスコートされる。次の演奏が始まり、若い貴族たちが次々とダンスに参加していく様子を眺めていると、給仕から果実水を受け取ったリーンハルトが、グラスをそっと手渡してくれた。


「……ありがとうございます」


「うん。疲れていないか?」


 優しく問われて、ユリアローゼは指一本触れていないのに再び頬をほてらせた。


 な、なんですか。その顔!? あ、甘すぎますっ!


 大人の男性に口説かれるという経験値が圧倒的に足りていないユリアローゼは、激しく動揺したが、はたと気づく。


 ふたりの周囲を帝国貴族たちが取り囲んでいることに。


 あ、なるほど演技! リーンハルト様は仲良し夫婦の演技をされているのね! なんて紛らわしいのかしら。愛されているのかと勘違いするところでした……!


 うろたえながらも、ユリアローゼは愛想笑いを浮かべた。


「え、ええ。平気です。まだまだ元気いっぱいです」


 本当はかなり疲れて来ていたが健気な妻を演じたユリアローゼに、リーンハルトはくすりと微笑んだ。


「そうか。無理はするなよ。せっかくだから、舞踏会を満喫してほしい。食事がまだだろう? 何か持って来させよう」


「ありがとうございます。ですが今はあまりお腹に入りそうにないので、食べやすいものがあればお願いしたいです」


「フルーツなら食べられるか?」


「そうですね。それなら食べられそうです」


 ユリアローゼがうなずくと、リーンハルトは自ら給仕を呼びフルーツの盛り合わせを手配してくれた。


「ありがとうございます」


「っふ。今夜は随分殊勝だな? もしかして、我が妃は緊張しているのか?」


 からかうように覗き込まれて、ユリアローゼは口の端を引き攣らせた。


「そ、そのようです。おほほ」


「いつもみたいに我が儘を言ってくれても良いんだぞ?」


「なっ! リーンハルト様っ! わたくしあなたに我が儘なんて言ったことありませんよっ!」


 ユリアローゼは思わず叫んでしまった後、すぐに我に帰る。思わせぶりな流し目や言葉は全部演技なのだ。円満夫婦だと周囲に思わせるためのリーンハルトの計略。


 どうしましょう。否定してしまいました。仲良し夫婦なのだから、否定してしまったら不自然ですよね!?


 ユリアローゼが焦ってリーンハルトを見つめると、彼は楽しそうに顔を綻ばせ、おもむろにその手を伸ばした。彼の長い指の背がユリアローゼの頬に触れ、つつとなぞってから離れる。


「そうだったな。ユリアが我が儘なのは、ふたりだけの秘密だった」


「!?」


 妖しく微笑んだリーンハルトの色香に当てられ、ユリアローゼは目を回しそうになった。魚のように口をぱくぱくと開け閉めするのが精一杯で、二の句がつげない。


 この方、本当に嫌っ! これではまるで、いつもわたくしがリーンハルト様の前でだけ我が儘を言って甘えているみたいではありませんかっ! 悪化! さっきより悪化しています!


 もちろんリーンハルトは周囲にそう思わせるためにわざとやっているのだが、ユリアローゼの憤りはおさまらない。顔を真っ赤にして、けれど状況が反論を許さず、リーンハルトを睨みつけるしかない。


 あの子と同じ金髪碧眼だからって、似ているなどと思ったわたくしが間違いでした。あの子はこのような意地悪決してしませんでしたもの!


「いやはや、お熱いことですな。そのご様子ではお世継ぎが生まれるのも近いでしょう。帝国臣民としては喜ばしい限りです」


 突然話しかけてきたのは老年の貴族男性だった。言外に含みを持たせた貴族らしい言い回しに、ユリアローゼは警戒した。白髪の好々爺の姿をしているが、老獪な本質を隠しきれてはいない。


「ジャンメール」


 大魚が釣り針にかかったことにほくそ笑んだリーンハルトが、公爵をふり返った。孫子ほど年の離れた年長者の上級貴族に対しても、リーンハルトは尊大な態度を崩さない。心証を害したとばかりに瞳に剣呑な光を宿らせて睨んでみせた。


「彼女の前で世継ぎの話はやめろ。余計なプレッシャーは感じさせたくない」


「それは失礼いたしました。陛下が皇妃様を溺愛しているという噂は本当だったようですね。そのご様子では我が娘のつけ入る隙は無さそうだ。末娘など、まだ年端も行かぬというのに陛下と皇妃様のお噂を聞いて健気にも目を泣きはらしておりましたわい。いやはや、若いとは素晴らしい!」


 ほっほと笑う公爵に、リーンハルトが内心で「この古狸が」と舌打ちをしたことにユリアローゼは気づかない。


 ジャンメール公爵は、先帝と同じく好色な男である。


 公爵はリーンハルトを若いと評し、言外に、じきに皇妃に飽きれば、あるいは政略的な理由で、そのうち第2夫人が欲しくなるだろうと匂わせたのだ。抜け目なく末娘の存在をアピールすることも忘れない。


「このまま私の伴侶との馴れ初め話を披露したいところではありますが、老人の昔話ほど詰まらぬものもないでしょう。ここはひとつ、先日陛下が提案してくださった我が領の新産業についてお話しさせて頂いてもよろしいかな?」


 しかし、公爵はリーンハルトが何か言う前に素早く話題を変えた。老公爵の落ちくぼんだ眼の奥が一瞬、欲望にギラリと光る。


「……良いだろう。続けろ」


 リーンハルトが鷹揚にうなずくと、ジャンメール公爵は落ち着いた様子で話し始める。


「ご指摘いただいたグリーンについてですが、調査させたところ確かに我が領に広く分布していたようです。まさかあの石くれが魔法資源だったなんて、ご指摘頂かなければ気づきもしませんでした。採掘予想量も申し分なく、加工技師の確保も完了した次第です」


「わかった。では魔力値の高い技師を数人城によこせ。加工法を教える。論文を書く時間はないからな」


「なんと、陛下自らご教授いただけるのですかな! これはありがたい。すぐにでも手配いたしましょう。いやはや、危うく金塊の山を腐らせるところでしたわい。陛下には感謝しきりです。それにしても、本当に利益をすべて私が自由にして良いのですかな? 加工品に税をかければ陛下の元へも還元できましょう」


「いや、いい。加工品を国内に浸透させるのを優先してほしい。俺の取り分はその先にある」


「失礼。差し出たことを申しました」


「それで、売る算段はついたのか?」


「現在、目ぼしい商会をいくつか精査中です。数日中には契約がなりましょう。それについてなのですが、どの商会が相応しいか陛下からご助言を頂けないでしょうか。実は――……」


 土地勘もなく、関係する商会の名も聞いた事がなかったユリアローゼは話についていけない。おまけに人前をはばかってか、時折り声を潜めたり、隠語を混ぜたりするのでなおさらだ。


 だがそれを皇妃の立場として後ろめたく思えない程には疲れきっていた。


 リーンハルト様って、すごいのですね。新産業を立ち上げるなんて……。


 男たちの込み入った話を聞き流しながら、ユリアローゼは運ばれてきたフルーツを食べることに専念したのだった。

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