第7話 舞踏会

 今夜の舞踏会は、王宮で一番大きな舞踏場で行われるとのことで、ユリアローゼはその皇族専用の控室に案内されていた。


 厚いドアの向こうから楽団の優美な演奏が漏れ聞こえてくる。パーティーが始まってからもう随分経っているらしい。列席の帝国貴族たちは既に全員入場を終えたそうだ。


 いよいよユリアローゼも会場に入らなければならない。はずなのだが、肝心のパートナーであるリーンハルトが姿を見せない。慣れているのか使用人たちは落ち着いたものだが、ユリアローゼだけは緊張も手伝ってかなり焦っていた。


 せ、せめて入場前に少しくらい打合せをしたかったです……。


 独白に恨みのひとつもこもって無理はない。


 ソファにかけて揃えた両拳を見つめていると、にわかに通路の方がざわめき、ドアが乱暴に開けられた。驚いて顔を向けると、そこには同じように驚いた顔をした青年が立っていた。


 月のように輝くプラチナブランド。凛々しい眉。すっと通った鼻筋。薄い唇。長いまつ毛に縁どられた碧眼が、驚きに見開かれている。


 理知的な雰囲気をまとっていながら、世の女性を惑わせる魔性の色香を漂わせた若い男。すらりとした長身に、鍛えられた筋肉がのっている。大帝国の皇帝の装束にしては地味ともとれる黒一色の出で立ちながら、彼が着ればそれすら青年の魅力を引き立てる効果的な脇役になってしまう。


 魔王みたい……。だけど、どこか夢の中のあの子に似ている? ううん。やっぱり気のせいですね。あの子はもっと女の子らしい顔立ちですもの。この人は、顔も身体も男の人って感じがします。


「お前がハイリヒトゥームに隠されていた姫か」


「え、あ!? は、はい!」


 声をかけられたユリアローゼの声は裏返った。慌てて立ち上がり、淑女の礼をとる。ドレスをつまんでお辞儀をしてから、ユリアローゼは顔を上げて笑みを作った。


「お初にお目にかかります。ハイリヒトゥーム王国第一王女ユリアローゼでございます」


「……俺がリーンハルトだ」


 やっぱり。この人が皇帝陛下。すごいオーラを放っているし、夢の子程ではないけれど強い魔力を感じる。わたくしの政略結婚のお相手……。


「オトテールから話は聞いているな?」


 ユリアローゼから興味を失ったのか視線を外して会場へ向かおうとするリーンハルトをユリアローゼも追いかけた。


「は、はい。伺いました。今夜はよろしくお願いいたします。あの、わたくしはどのようにしていれば良いでしょうか」


「特に注文はない。人形のように隣に立っていろ」

「は、はいっ」


 リーンハルトの持つカリスマ性がそうさせるのか、彼の言葉には人を従わせる何かがあった。市井で育ったとはいえ王女として生まれたユリアローゼでさえ、跪きたくなるような。彼の命令に従って彼の役に立ちたい、と思わせる何か。


 さすが、帝位を奪って3年で国内の混乱を収めた方ね。オーラがすごい……。同世代ですもの、わたくしも負けていられません。しっかりしなくては。


 ユリアローゼはごくりとつばを飲み込むと、美しい皇帝を呼び止めた。


「リーンハルト様。わたくしの事情で帝室を振り回してしまい申し訳ありませんでした。祖国へのご温情感謝いたします。今夜は初の顔合わせに素敵な舞台をご用意していただき、ありがとうございます。慣れないこと故、ご期待に添えるか自信はありませんが、精一杯努めさせていただきます」


 背筋をまっすぐ伸ばし王女らしい凛とした態度で見上げると、リーンハルトは迷惑そうな顔で手を差し出して来た。


「俺に助言したのはオトテールだ。感謝なら奴にすることだな。帝位についてすぐの混乱期にハイリヒトゥームに攻め込まれては煩わしかった。ほら、もう良いだろう。行くぞ」


「は、はい。かしこまりました」


 ユリアローゼはリーンハルトの手に手を重ねた。傍に控えていた使用人が会場へ続くドアを開く。初顔合わせを終えたばかりの皇帝夫妻は、絢爛豪華な舞踏場へと足を踏み出した。




 輝く魔石をふんだんに使ったシャンデリアが、ホールをきらきらと照らしていた。列席の帝国貴族たちの華やかな衣装が巨大なボールルームを豪奢に飾り立てている。


 今夜の夜会には婚約を控えた若い令嬢、令息とその保護者や後見人を中心とした500名以上が出席しているという。


 祖国ハイリヒトゥームも決して小国という訳ではないのだが、大帝国の皇帝自らが主催した大舞踏会の規模感にユリアローゼは圧倒された。


 リーンハルトのエスコートでユリアローゼが舞踏場の真ん中にたどり着くと、見計らったように新しい曲の演奏が始まった。


 い、いきなりダンス? 舞踏会ってそういう感じ? あ、わたくし達が主役だからでしょうか?


 頭の中にいくつもの疑問符を並べたところで答えを示してくれる者はいない。ユリアローゼが混乱しているうちに、リーンハルトの腕が背中に回されていた。


 ち、近い……!


 男性に免疫のないユリアローゼは瞬時に沸騰した。顔を真っ赤に染めて、リーンハルトの顔を見ないようにしてダンスに集中する。


 オトテール侯爵の言っていた通り、リーンハルトのダンスのリードは完璧だった。鍛えられた身体は体幹がしっかりしているのか脚運びに安定感がある。力強い腕に背中をしっかり支えられ、つなぐ手に誘導されていれば、緊張しきったユリアローゼでも、危なげなく踊ることができた。


 ダンスの不安は解消した。それなのに、ユリアローゼの緊張は一向に解けない。


 なんで、そんなにわたくしを見るのですか!?


 ユリアローゼは混乱していた。リーンハルトが、ダンスが始まってからというもの、片時も視線を外してくれないのだ。


 常夏の海の色をした瞳を優し気に細めて、慈しむようにじっとユリアローゼの顔を見つめてくる。


 この方が、夢のあの子に少しだけ似ているからいけないんです!


 自分に言い訳をしながら、絶世の美青年からの熱い視線にユリアローゼは懸命に耐える。しかし、1曲も待たずに羞恥に耐えきれなくなって根を上げた。


「……リーンハルト様。そんなにじっと見つめないでくださいませ」


 消え入るような小声でそっと囁くと、リーンハルトは妖しく笑みを深めた。


 その表情を見て、ユリアローゼは肝を冷やした。なぜか、彼を怒らせたことを悟ったからだ。


「今夜の舞踏会は、俺に来る縁談を断るために古狸共に俺たちの円満ぶりを知らしめるのが目的だ。それらしくしなければ意味がないだろう。それはお前も理解しているな?」


「それは、はい。わかってますけれど……。仲良しなのを伝えるために、そんなに見つめる必要がありますか? は、恥ずかしくて……」


「我慢しろ。……というより、お前もさっきから耳まで真っ赤になっているぞ。この俺に見つめられて、実は満更でもないのではないか?」


「なっ!」


 ユリアローゼは絶句したが、リーンハルトは周囲の視線を騙すため、その内心をおくびにも出さない完璧な笑みを浮かべたままだ。


「違うと言うなら、お前も俺を見つめ返せ。睨むな。もっと楽しそうにしないと疑われるだろうが」


 耳元で囁かれて、ユリアローゼは泣きそうになった。言われている内容は受け入れがたいのに、青年の低い声は魔性の色香を伴ってユリアローゼの腹の奥を震わせるのだ。


 心臓、うるさいっ……!


 ユリアローゼは激しく鼓動する心臓をなだめ、懸命にダンスに集中しようとした。これも皇妃の仕事だと何度も自分に良い聞かせて、リーンハルトの指示通り笑みを作って彼と見つめ合う。


 頬を上気させ、大きな瞳を潤ませて青年を見つめるユリアローゼの姿は、外から見れば配偶者に恋をする美しい皇妃そのものだった。

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