第6話 秘密裏の輿入れ

 目覚めた時には泣いていた。よくあることだ。


 眠りながら泣くなんて、我ながら器用だな、とユリアローゼは益体もないことを思った。


 夢の内容はどれも鮮明に覚えている。


 ある晩夢の中で少年に教わった魔力増幅訓練を現実でも実践してみたところ、夢の精度はさらに上がった。効果を実感してからは、新しい夢を見るために、そして一度見た夢の彩度を上げるために、訓練を続け基礎魔力を増やし続けてもいる。


 その結果として、自分の過去の記憶を夢に見ているのだと確信するに至った。ユリアローゼが夢を見る前から持っていた記憶と照らし合わせてみても矛盾はない。


 しかし、夢と現実の感情は追いつかない。


 だから、夢の中で心をふるわせて涙を流しても、朝起きてしまえば、その感情が嘘だったかのように冷静さを取り戻す。


 頭の中に蓋がされ、心の内の重要な感情に厳重に鍵がかけられているかのよう。夢の中のユリアローゼと現実のユリアローゼの心はひどく遠かった。


 自分に生き写しの姿をした、小さな魔法使い。


 ユリアローゼはきっと、夢の中のあの少年に恋をしていた。


 13歳で初めて夢を見てから、夜毎欠かさず夢に見続けて、遂に5年が経ち、自分の執念深さに呆れかえっている。


 ここまで引きずってしまうくらいだ。よほど少年のことが好きだったのだろう。


 18歳にまで成長したユリアローゼからしてみれば、適齢期にも満たない年ごろの少年を見ても、可愛いと思いこそすれ、――実際に幼い自分を生き写したような可憐な姫の姿をしている――恋愛対象に見ることは難しい。


 それなのに、忘れられない。


 だったら魔石のブレスレッドを外して夢を見なければ良いと思うのだが、数日は我慢できても、気づいた時には気になり過ぎて居ても立っても居られなくなりブレスレッドを寝台に持ち込んでしまう。


 起きている間も、過保護なルッツの目を盗み少年の手がかりを探った。


 魔法書を仕入れて少年の見せてくれた魔法を調べた結果わかったことは、ユリアローゼの魔法の師匠は100年以上前に後継者を失い廃れたとされる古代魔術を操れるらしいというとんでもない事実だった。


 そんな希代の魔法使いが生きていれば、王国内でもその名を轟かせているに違いない。いくらルッツによって情報管理されている深窓のユリアローゼの耳にもその名声が届かぬはずはない。


 しかし、そんな噂は聞こえてこない。


 だとすれば、少年は既に亡くなったか、噂の届かない程の遠い異国へ移り住んでいるかのどちらかだろう。


 けれど、デリンガー商会の邸に閉じ込められているユリアローゼには少年の行方を探すことはできない。


 進退窮まってどうすることも出来ないもやもやに悩まされていた時だ。デリンガー商会の邸に王宮からの呼び出しがあったのは。


 両親である国王夫妻から、隣国アトランティッド帝国皇帝リーンハルトとの政略結婚を知らされた。


 渡りに船だと思った。


 リーンハルトは魔力甚大の魔法使いとして名高い。


 ユリアローゼの悩みを解決する糸口を見つけてくれるかもしれないではないか。帝位を奪ったその華麗な魔法を使って、夢の少年を見つけ出してくれるかもしれない。


 愛のない結婚でも結構。


 夫君に興味を持たれなくても、自由にさせてくれるのなら少年のことを自分で調べられるかもしれない。


 それが出来なくても、皇妃の公務で忙しく働いていれば気を紛らわせることくらいは可能だろう。


 少なくとも、自分ひとりで抱え込み、どうすることも出来ず邸の中でもやもやしているよりは余程良いと思った。


 なんとかして頼み込んで、きっと過去の記憶を取り戻してみせようじゃない! 絶対に、あの子の正体を突き止めてみせるわ!


 ユリアローゼは、半ば以上やけっぱちになったまま、帝国への輿入れの日を迎えた。




 ユリアローゼのアトランティッド帝国への輿入れは、秘密裏のうちに粛々と進められた。


 馬車を乗り継ぐこと半月。ようやく辿り着いたのは、500年の歴史を誇る大帝国の荘厳な宮殿だった。


 リーンハルトはドラゴンの一騎で宮殿に乗り込み、電光石火の早業で先帝の首をはねたため、戦争によって歴史ある宮殿の建造物が損なわれることがなかった。栄華を誇った過去の遺産である白亜の宮殿には、至る所に黄金が使われていて、日の光に煌めいている。


 さすが帝国。王国うちより余程立派だわ……。


 護衛兵に案内されて、ユリアローゼは聖花の間という広い一室に迎えられた。王宮の執事と女中頭に、この部屋には代々の皇帝の婚約者たちが結婚式までの数日を過ごす伝統があると説明される。


 ユリアローゼは本来13歳の頃に嫁いで来たことになっている。帝国を謀って替え玉を送り込んだのは完全なる王国の落ち度だ。事情が事情なので、ユリアローゼは肩身の狭いを思いをしながらソファにかけた。淹れてもらった紅茶の味が全くしない。


 これからの結婚生活で身の回りの世話を担ってくれる侍女たちの紹介を受けた後は、部屋にひとりでぽつんと取り残された。手持ち無沙汰のまましばらく待っていると、ノックの後に静かに扉が開く。


 現れたのは落ち着いたブラウンの長髪を後ろでひとつに結った30代前半の男だった。シンプルなデザインながら高級感のある素材を使った仕立ての良い服を身に着けている。


「お初にお目にかかります、ユリアローゼ様。私は陛下から宰相を任されておりますジェレミー・ヴァレリー・ド・オトテールと申します。オトテール侯爵、あるいは気安くジェレミーとお呼びください」


 茶目っ気たっぷりに微笑まれ、ユリアローゼはどう反応して良いかわからず間抜けに「はあ」とだけ返した。


 あっけにとられて見つめていると、オトテール侯爵はまぶし気に目を細めた。


「いやはや。聞きしに勝る美しさだ。その金髪も、碧眼も、陛下とお揃いだというのに持ち主が女性だというだけで、こうも華やかに輝くとは。神秘的な天の配剤、まさに地上の奇跡ですね!」


 ……あ。わたくし、この方苦手だわ。


 出会って1分も経たずにユリアローゼはそう判断を下すと、そっと心のドアを閉じた。


 デリンガー商会の邸に隠されて一部の使用人としか顔を合わせる機会がなかったユリアローゼは、極度の人見知りだった。


 ……聞きしに勝るって、どなたにわたくしのことを伺ったのか分かりませんが、お父様もお母様も親ばかだから、帝国にわたくしのことを褒めちぎったのでしょうか。恥ずかしい。それとも、わたくしの影武者が余程美しいご令嬢だったのかしら。


 疑問を抱きながらも口を閉ざしたユリアローゼの機微になど気づかず、オトテール侯爵は勝手に話を進めた。


「さて、出会いの記念にもう少しお話しをしていたいのは山々なのですが、時間がありません。ユリアローゼ様には、今夜さっそく舞踏会に出席していただかなければなりません」


「え?!」


 ユリアローゼは抱いていた疑問などすっかり頭から吹き飛んだ。


「いえいえご心配には及びませんよ。陛下がエスコートしてくださいますので、有象無象の帝国貴族たちの名前を憶えていなくても結構。ただボールルームに顔を出して、陛下と3曲ダンスを踊っていただくだけで良いのです。ジャンメール公爵を筆頭とした陛下にご令嬢を押し付けたい貴族閣下たちに、皇妃ここにありと知らしめ、ユリアローゼ様と陛下との真実の愛を見せつけて来てください」


「ええっ!?」


 あまりのことにユリアローゼは目を丸くする。


「だってわたくし、まだ陛下とお会いしたこともないのに真実の愛だなんて」


「……そう言えばそうでしたね。大丈夫です。並みいるご令嬢たちとの縁談を蹴ってまわって一掃したいのは陛下御自身なのですから、手腕を振るわれることでしょう。何せ陛下は顔が良い。陛下にとっては見てくれだけで人を騙すことも容易いのです。その上何をやらせても優秀な方ですから、舞踏会で女性をエスコートして甘い雰囲気を作るなんて造作もありませんよ。本性はあれですが、大丈夫。頭にかぶる特大の猫を手配しているはずです」


 オトテール侯爵の語るリーンハルトの人物像に不穏なものを感じたユリアローゼは背中に冷たい汗を流した。


「ですが、わたくしは婚約者がいたこともなければ、舞踏会に参加したこともありません。突然そのようなことを言われても、本当にどうして良いやら。陛下やオトテール侯爵様の要望に応えられるかどうか……」


「ダンスのレッスンを受けたご経験は?」


「それは、ありますけれど……」


 デリンガーの邸で家庭教師に教わり使用人と踊ったことがある。それ以外となると、夢の中で少年と踊ったくらいだが、一応基本となるダンスのステップは覚えている。


「ならば何の問題がありましょう。ダンスさえ形になれば何とかなります。それに陛下のことですから卒なくリードしてくださるでしょう。足の一度や二度踏んで差し上げれば良いのです。きっと勝手に避けてくれますから」


「けれど」


「ユリアローゼ様。そのように難しく考えないでください。ただ陛下と舞踏会を楽しんで来るだけです。簡単でしょう?」


 ユリアローゼは「全然簡単なんかじゃありません!」と泣きつきたかった。長旅の疲れも溜まっているし、今日はもう何もせず部屋でゆっくりして、早めに眠りにつきたい。


 しかし、舞踏会の参加は皇妃の立派な仕事である。逃げてよい道理はなかった。


 不安に揺れる気持ちを押し殺し、ユリアローゼはゆっくりとうなずいた。


「……わかりました。その舞踏会、参加いたします」


「ありがとうございます! ドレスはこちらで用意させていますからね。お召し替えは侍女をつけましょう。嗚呼、我が国随一の仕立て屋があつらえた最高級のドレスをまとったユリアローゼ様は、さぞかし美しいことでしょうな。陛下が首ったけになる様が目に浮かぶようです」


「はあ」


「では、私は退室しますね。くれぐれも陛下をよろしくお願いいたします」


「は、はい……」


 ひとつうなずくと、オトテール侯爵は来た時と同じように嵐のように去って行った。それと入れ替わりで、ドレスやアクセサリーを持った侍女たちが入室してくる。


 名誉ある皇妃の侍女職に抜擢されて張り切りに張り切っているらしい令嬢たちに、初仕事のプレッシャーと上ずったテンション、高い技術をもって、ユリアローゼは飾り立てられた。


 美しいドレスを着せ付けられ、長い金髪を大人っぽく結い上げられ、流行りを取り入れつつも肌の美しさを引き立てる薄化粧を施され、国宝級のジュエリーをふんだんに散りばめられた。気づいた時には、ユリアローゼは舞踏会の主役にふさわしい、帝国一華やかな姫君プリンセスに仕上げられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る