第15話 同衾
暖かい魔力にしっかり包まれている感覚、その懐かしさに、ユリアローゼはふわふわと夢心地のまままどろんでいた。背中をしっかりと抱えられていて、ぎゅっと引き寄せられたのに逆らわずに頬と頭を固い胸板に摺り寄せた。
そこで、何となく違和感に気づく。
自分を抱きしめているこの大きな手は誰のものだろう? そして、足に絡んでいるこの感触は、まさか人の足ではないだろうか?
何となく雰囲気から、夢の中の少年と一緒にお昼寝しているような気分でいた。
しかし、夢の中の少年の抱擁は、こんなに力強かっただろうか? それに、彼の胸は自分をこんなにすっぽりと抱え込める程広かっただろうか?
そんなはずはない。
そこで急速にユリアローゼは覚醒した。
「ひあっ!」
リーンハルトの大きな手が、ユリアローゼの頭を撫でて、そのままプラチナブロンドの髪の中に入って来たのだ。
突然鳴り響く自分の鼓動。早鐘のようにドキドキドキドキと脈を打ち、ユリアローゼの体温は急上昇した。
「あ、あの……リーンハルト様?」
ますます強く抱き寄せられて、ユリアローゼはリーンハルトの胸に手を突っ張って抵抗を試みる。しかし、しっかりホールドされている上に、足までからめとられていては身動きするのも難しい。
ね、寝てるっ! この人、寝ぼけてますっ!!
ユリアローゼは混乱した。
「おはよう、ユリア」
「ミ、ミストラル君! な、なんでこんな……」
「うん。僕もびっくりだよ。あ、ご主人様の名誉のために言っとくけど、先に手を出したのはユリアだからね。夜中にゴロゴロ転がってご主人様に抱き着いたのはユリアだよ。まあ、何故かご主人様起きなくて、抱きしめ返して今に至るんだけど……」
「そ、そんなぁ! わたくしったらなんということを!」
「本当に、とんでもないね。ねえユリア、何でご主人様は起きないの?」
「そんなことを言われましてもっ!」
色香の漂う声で呻きながら身じろぎしたリーンハルトにあろうことか優しく背中を撫でられて、ユリアローゼは震えた。涙目でミストラルに視線を送る。
「そんな目で見られても。不眠症のご主人様がこんなに気持ちよさそうに眠っているのなんて僕だって初めて見たんだ。もう少し付き合ってあげてよ」
「そ、そんな、困ります!」
「でも、ここへ来たのはユリアなんだから自業自得だよね?」
「ふえ」
「うるさい……」
呻くように言ったリーンハルトは、突然カッと覚醒した。おもむろに瞳を開き、パタパタと宙から覗き込んで来るミストラルを見て、自分の胸の中にユリアローゼを抱え込んでいる状況を素早く察すると瞠目した。
「なっ! 何故お前がここに!」
瞬間、耳まで真っ赤になって怒鳴った。当然、すぐさまユリアローゼはぽいっと放り出された。慌ててユリアローゼも起き上がり、ベッドの上で正座すれば、同じく半身を起こしたリーンハルトと向き合う形になった。
ぎろりと睨まれてすくみ上ったユリアローゼは、ミストラルに助けを求めるが、子竜にはあっさりと顔を背けられてしまう。薄情な、と思いかけたが、子竜には昨夜責任はとれないと宣言されていたことを思いだし、ユリアローゼは居ずまいを正した。
「驚かせてしまいまして、申し訳ございません、リーンハルト様。おはようございます」
「挨拶などいらん。質問に答えろ」
「はい、知っての通りリーンハルト様とどうしてもお話がしたいわくたしは、執務の始まる前、朝のお時間に少しばかりお話できないかと考えました。そこで昨晩遅く、バルコニーから侵入しましたところ、計画通りリーンハルト様はご就寝された後でしたので、ミストラル君の助言もあってベッドをご一緒させていただきました」
「ミストラル!」
「うん、ご主人様が起きないから、待ってる間一緒に寝ようって誘ったの。ユリアは寝相が悪くてご主人様の方に自分から転がって行って抱き着いたんだけど、それを朝まで抱え込んで離さなかったのはご主人様自身だよ」
「そんな訳あるか!」
「僕だって信じられないけど、事実だもん」
「――――っ!」
顔を真っ赤にしてぎろりと睨みつけられて、ユリアローゼはびくびくと縮こまる。ここまで取り乱されるとは思っていなかったので、少しばかり罪悪感がわき、ユリアローゼはとりあえずへらりとほほ笑んでみせた。
「へらへらするな! お前、男の寝所に忍び込む意味が分かっているのか?」
「ですが、わたくし達は夫婦です。本来であれば、離宮で毎日ともに寝起きしているはずですよね? 何か問題がありますか?」
「そういう意味ではない! 一応まともに衣服は身に着けているようだが、もっと慎みを持て! これではどこぞの色に狂った令嬢どもと一緒ではないか」
「慎み? 眠るのに慎みが必要なのでしょうか?」
ユリアローゼが小首を傾げると、リーンハルトは愕然とした顔で見返して来た。顔の赤みは引き、少しばかり落ち着きを取り戻したようである。
「まさかお前、男女が寝所を共にして何が行われるのか知らないのではないか?」
「眠る以外のことをするのですか?!」
逆にびっくりとして目を見張るユリアローゼに、リーンハルトはため息をついた。
ユリアローゼは深窓の令嬢である。育ての親のルッツは男であり、超のつく過保護でもあった。そのため配慮に欠け、恋愛や子作りに関する情報はユリアローゼの周りから徹底的に排除された。そんな事情など知らない王妃は、当然教えられているものと思い込み、政略結婚で他国へ嫁ぐ娘に男女の閨の作法を教えなかった。
こうして、18歳にも関わらず初夜の意味も知らない純粋培養100%の無垢な姫君が出来上がったのである。
リーンハルトは、自分の寝所に侵入してきた女が何も知らない子供だと分かり、脱力してため息を吐いた。
「莫迦らしい。お前、もう帰れ」
「嫌です! リーンハルト様とお話するまでは帰れません」
「お前な……。宮殿図書館への入室は許可しただろう。禁書の魔導書はどうした?」
「すべて読み終えました」
「は。300冊はあったはずだぞ。半月で読破できるはずがない」
「確かにまともな魔導書は300冊程ありましたね。ですが、そのうちの半分は既読でした。残りの半分も、難しい内容は少なかったですし、古代魔術についてはほとんど記述がありませんでした。読むのに時間はかかりません」
「それでも100冊以上はあったはずだ。それを半月で読んだというのか?」
ひたりと見据えられて、ユリアローゼは正直にうなずいた。
「白状すると、速読の魔法を使いました」
「速読の魔法……。お前、そんな魔法も知っているのか。それは古代魔術だぞ」
「え、やっぱりそうだったんですか?」
「術の来歴は知らず、か。良いだろう。見せてみろ」
驚いて見つめ返すと、リーンハルトはパチンと指を鳴らした。刹那、ユリアローゼの膝の上に薄い本が落ちてきた。慌ててキャッチしてみると、それは皮装丁の魔獣図鑑らしい。
「俺が書いた。まだ他の誰にも見せたことがない。今ここで全て読んで、内容を諳んじてみせろ」
ユリアローゼはこくりとうなずいて本と向き合った。瞳に魔力を集中させる。ぱらぱらぱらとページを繰る手を止めずに読み進める。しばらく経って薄い本を読み終えたユリアローゼは、光る目を閉じて、瞼をもみ込んだ。
一息ついたところで、リーンハルトは口を開いた。
「5ページ目には何が書かれていた?」
「ええと、スライム。透明のスライムは魔素食性で無害。でも特定の魔石を取り込んで色付きに進化したスライムは危険で、物理攻撃を無効化する。聖魔法が弱点」
「48ページ目には何が書かれていた?」
「不死鳥についての記述の3ページ目で、確か、脇腹をくすぐるのが弱点かもしれない。女好きで、雌とみればハーピーだろうが神鳥だろうが、その辺の雀や鳩だろうがかまわず声をかけてはフラれているかもしれない……。ねえ、このかもしれないって何なのですか?」
「それか。不死鳥は死んだら灰から蘇るとはそれを読んだなら知っているだろう。それに書いたのは今の不死鳥の先代の性格や弱点の覚書きだ。しかし……、本当に速読できているようだな」
感心したように見つめられて、ユリアローゼは得意げに胸を張った。
「もちろんです」
「俺以外で、古代魔術についてここまで詳しいヤツは初めて見た」
ふと、そう言ったリーンハルトがほほ笑んでいることにユリアローゼは気づいた。頬が緩み、ふんわりと細められた目元がとても優し気で、あどけなく笑ったリーンハルトのそんな表情を初めて見た。元より美しい男の、怒りを押し隠したりしない、あるいは社交用の顔でもない、純粋な笑顔には、凄まじい威力がある。
しかしユリアローゼがドキリとした理由は、リーンハルトの持つ美しさ故ではない。
似てる……! 夢の中のあの子の笑顔と、リーンハルト様の本当の笑顔。他人の空似? そんな訳ないのに。
しかし、リーンハルトはすぐにいつもの不機嫌顔に戻ってしまった。
「なんだ、その顔は。俺の顔に何か?」
「……いえ。リーンハルト様も、そんな顔で笑えるのだと知って、びっくりしただけです」
「は? 笑ってなどいない。もういい。話は終わった。出てけ」
「そんな! わたくしが魔法を見せただけで、古代魔術についてわたくしは何も教えていただいてません!」
「知るか。先ぶれもなく寝所に侵入してくるような不審者に用はない」
「ひどいです!」
ユリアローゼはあっという間に背中を押されて、私室から執務室の外に追い出されてしまう。その後ろを、子竜がパタパタとのん気に追いかけてきた。しかし、そんなミストラルの首根っこを掴むと、リーンハルトはユリアローゼに押し付けた。
「お前、えらくこの女が気に入ったようだな。せっかくだ。お前が相手をしてやれ」
ユリアローゼに抱き留められたまま、子竜が抗議した。
「そんな! 僕まだご飯食べてない!」
「不審者を勝手に部屋に招き入れた罰だ。今日は飯抜き!」
「ひどい!」
「そうです、それはあんまりですリーンハルト様!」
ユリアローゼも援護したが、リーンハルトは一顧だにしなかった。
「うるさい、しばらく顔を見せるな!」
ばたん。
執務室の扉が閉ざされる音が廊下に響き渡った。
早朝の誰もいない廊下に取り残されたひとりと一頭は、思わず互いに顔を見合わせたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます