第16話 グリーン
「仕方ない。ユリア、今日一日付き合うよ。僕で分かることだったら古代魔術について教えてあげる。それがご主人様の命令だからね」
「まあ! ありがとうございます!」
リーンハルトから執務室を追い出されたユリアローゼとミストラルは、連れだって城壁内にある広い花園へ向かい、そこに設置されていたガーデンテーブルで朝食を取りながら話をすることにした。
「ユリアは何が聞きたい?」
フルーツを食べる子竜に尋ねられ、ユリアローゼは瞳を輝かせた。
「ではお言葉に甘えて。リーンハルト様が朝焼けの雲を採集されていた際に、足元の空中に現れた光る模様は何だったのでしょう?」
「あれは、魔法陣だよ」
「魔法陣?」
「そう。図式や呪文を描くことで、より少ない魔力で魔法を発動させたり、魔法の威力を高めたりするための補助効果がある古代魔術の一種だよ」
「なるほど、そんな効果があるんですね」
「どうしたの? 急に元気がなくなったみたいだけど」
「いえ、そんなことはありませんよ?」
ユリアローゼは慌てて取り繕ったが、少しがっかりしている自分に気づいていた。
何故なら、ユリアローゼは夢の中の少年が魔法陣を書いているのを見たことがなかったからだ。
小さな魔法使いは魔力が甚大で、魔法陣の補助などなくても魔法を使うことが出来た。朝焼けの雲の採集に魔法陣の補助を必要とするリーンハルトよりも数段格が上。
つまり、似ているような気がしていたリーンハルトと夢の中の少年は別人ということになってしまう。
そうよね。そんなこと、ある訳ないもの。
しかし、夢の中の少年が生きていればリーンハルトと年頃も重なるし、髪や目の色も同じ。相貌にもどことなく面影が重なる。市井の出身で孤児から成り上がった人物だという点も、夢の中の少年とリーンハルトの共通点だ。
似てる、と思う。けれど……。違うんだわ。わたくし、リーンハルト様が夢の中の子だったら良かったのに、と少し思ってしまいましたね。ふふ。やめやめ。気を取り直しましょう。
ユリアローゼは咀嚼していたマッシュポテトを飲み込んで微笑んだ。
「ミストラル君。魔法陣について、もっと詳しく教えていただけないでしょうか? わたくしでも魔法陣を使えるようになりますか?」
「魔法陣を? うん。基礎なら僕にも教えられるけど、覚えることが多くて大変だよ?」
「望むところです!」
「お、ユリア。元気が戻って来たね。じゃあ、ビシバシ教えるから覚悟してね」
「はい!」
それからふたりは朝食を終え、食後の紅茶を楽しみ、木陰に移ってと数時間にわたって魔法陣についての授業を楽しんだ。
「日暮れまではまだ時間があるけど、そろそろ、今日の授業はお開きにしよう? 僕、もう疲れちゃった」
「わかりました。ありがとうございます!」
「それで、出来れば今夜、ユリアの部屋に泊めてくれない? ご主人様、今夜出張で明日にならないと帰って来ないって言ってた気がする」
「そうでしたの。もちろん良いですよ」
ユリアローゼは二つ返事で承諾し、子竜を離宮まで案内しようと足を踏み出した。
しばらく進むとガチャガチャと甲冑を鳴り響かせながら騎士たちが走っていくのが目に入る。そのうちのひとりにユリアローゼは声をかけた。
「そこの方! そんなに急いでどうかなさったのですか?」
「皇妃様! 実はジャンメール公爵家が使用中の研究室にスライムが湧いたのです!」
叫ぶなり走り去っていこうとする騎士を追いかけて、ユリアローゼも駆けだした。ミストラルもその後を翼を羽ばたかせて追いかける。
「スライムですって? 最弱の魔物ですよね? 宮殿を警備する騎士様がそんなに集合しないと倒せないんですか?」
「はい、何でも斬っても斬れない暗緑色のスライムだとか」
「色付き……! 魔石を取り込んで狂暴化したんですね!」
ユリアローゼが目を見張る。ミストラルもうなずいた。
「そうだね。ジャンメール公爵はご主人様から研究室を借りて、グリーンの加工技術について研究させているんだ。スライムが暗緑色なら、間違いなくグリーンを取り込んだんだ」
「グリーン……。そういえば舞踏会で公爵様とリーンハルト様がそのようなお話をされていたような気が致します。ミストラル君。グリーンとは一体何なのですか? そのような魔石聞いたこともないのですが」
「グリーンはね、公爵が付けた符丁なんだ。儲け話を独占するための暗号だよ。グリーンという名前の魔石は存在しない。そもそもグリーンは魔石じゃない。ただの黒曜石のことだよ」
「黒曜石? というと、先史時代に石器の材料にしていた?」
「そう。割ると断面が鋭くて切れ味が良いから槍穂や矢じりに使われていた。鉄やオリハルコンと比べると当然武器としての威力が落ちるから今では利用されていない素材だよ。ジャンメール領産の黒曜石は、特に緑みが強い色をしているからグリーンと呼ぶことにしたんだって」
「そうなんですか。では、その黒曜石をスライムが取り込んで狂暴化したということですね」
「うん。間違いなく」
「黒曜石にそのような力があるとは知りませんでした」
「うん。まあ、意外に思うかもしれないけど、ユリアは理屈を知っているよ」
無言で問いかけると、ミストラルは言葉をつづけた。
「黒曜石はね、ガラス質という特徴があるんだ」
「ガラス質! つまり、魔力増幅訓練でガラス玉に魔力を込めるのと同様に、黒曜石にも魔力を貯められるのですね!」
「正解。よくできました」
出来の良い生徒を褒める教師のように嬉しそうなミストラルに、ユリアローゼは少し面映ゆく思いながらも、表情を引き締めた。
「ジャンメール公爵様は、リーンハルト様からの指導によって加工技師たちに黒曜石に魔力を込めて定着させる方法を学ばせ、さらにその黒曜石を商品に加工するための研究をさせていたんですね。そして、その途中で出来た魔力入りの黒曜石をスライムに捕食されてしまったんですね!」
ミストラルはうなずいた。
「うん。まずいね。魔石を取り込んで色付きに進化したスライムは、物理攻撃を無効化する。並みの騎士じゃ刃が立たないどころか、並みの魔法使いでも太刀打ちできないよ」
「そ、そんな!」
先頭を駆けていた騎士が瞠目する。
ガシャーン!
物が倒れる盛大な音に混じって、騎士たちのどよめきや研究員らしき女性の悲鳴も聞こえてくる。
「こちらです! みんな、ミストラル様がご到着だ!」
現場に駆けこんだ騎士が、開口一番叫ぶと、十数人の騎士たちから歓声が上がった。
「ミストラル様! スライムです!」
研究室の大部屋は、騒然としていた。部屋の中央、水道付きの長テーブルの上で、暗緑色の巨大スライムが蠢いていた。
金の肩章が華やかな制服に身を包んだ精鋭の騎士たちが、次々に剣を振るっては、はね飛ばされて壁際の棚にぶつかっている。貴重な資料や素材が床にぶちまけられて部屋は混とんと化していた。
「ミストラル様、先刻からこの通り、剣が通用しません!」
「魔法使いの応援は?」
「本日は陛下の護衛で出払っていて城内にはひとりも――」
「きゃーー!」
騎士の声は悲鳴にかき消された。スライムがその巨体を振るわせて、さらなるグリーンを捕食しようと触手を伸ばし始めたのだ。
グリーンを守るように背にかばい、ジャンメール公爵家ゆかりの加工技師たちが、奥の壁際で身を寄せ合って震えている。
「ミストラル様! お力をお貸しください!」
叫んだ騎士に、ミストラルが困ったように返事を返す。
「ごめん。僕今朝からご飯抜きで、力が出ないんだ……。大きくなって暴れることはできるけど、城が壊滅してしまうし。人間を殺さないように立ちまわれない。なるべく人間だけでなんとかしてよ」
ガシャーン!
ツッコんで行った騎士が新たに跳ね返されて棚を倒していく。
「ミストラル君のご飯は、もしかして魔力ですか?」
「うん。そうだよ」
「だったらこれ! わたくしの魔力を食べてください!」
ユリアローゼの手には、先日リーンハルトに合格がもらえなかった魔石が握られていた。ユリアローゼが手ずから魔力を込めて形質変化させたダイヤモンド。ミストラルはじっと見つめて考え込んだ。
「これ食べたら、後で絶対ご主人様に怒られるんだけど……。けが人もいるみたいだし、仕方ないよね」
子竜は翼をはためかせてユリアローゼに近づくと、その手に握られた魔石をぱくりと飲み込んだ。
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