第17話 暗緑色の巨大スライム
魔石を飲み込んだ緑竜がカッと光を放った。
「やっぱり、ユリアの魔力、美味しい! ありがとう、これで少しは動けそうだよ」
微笑んだミストラルに、ユリアローゼはかぶりを振った。
「……ミストラル君。わたくしも戦えれば良かったのですが、あいにく攻撃魔法は知らないのです」
ユリアローゼの魔法の師匠である夢の中の小さな魔法使いは、攻撃に関わる魔法も魔術も一切教えてくれなかった。『危険があれば俺が守るから必要ない』の一点張り。両親といい、育ての親のルッツといい、ユリアローゼの周りは過保護な人物ばかりだったが故に、ユリアローゼは戦闘で足手まといだ。
「お姫様がそんなこと気に病む必要ないよ、魔力をくれただけで十分。でも、出来ればその辺にガラス片やグリーンに魔力を込めて次の準備をしててくれないかな」
「わかりました」
ミストラルの指示にうなずいてユリアローゼが辺りを見回すと、入り口すぐの棚の中にビーカーを発見した。ユリアローゼは迷わず手にとり、それに魔力を込めていく。
ミストラル君、頑張ってください!
視線を送ると、弾丸のように飛び出して行った子竜は、暗緑色のスライムにつむじ風を見舞い、触手の魔の手から加工技師たちを守り始めた。風に舞いあげられた触手がスライムの本体に吸収され、すぐに新しい触手が生えてきてしまう。
「うねうねうねうねと、あんた、きもいよ!」
ミストラルの爪が光り、魔力の刃がスライムを襲う。切り落とされた触手は床で透明になってから蒸発して消えた。本体を襲った刃はその巨体の一部を穿ったが、すぐにくっついて再生されてしまった。
突然割って入った子竜の存在に焦った巨大スライムは、蠢動した後、前後左右に魔力波を放った。苛烈に輝く光の波動。見境ない攻撃に辺りは騒然とする。ミストラルはつむじ風で魔力波の軌道を変えて応戦するが、後に引けないスライムの猛攻にすべて対応するのは困難だ。つむじ風から逃れた攻撃が地味に騎士たちの体力を削っていく。
「ああもう! もう大きくなってこのスライム食べちゃおうかな!」
「お待ちください、ミストラル様! それだけはお控えください!」
「ミストラル君! 新しい魔石できました!」
魔石を掲げて前に出たユリアローゼにその場の視線が集まる。
「ユリア!」
「へっ!?」
ミストラルが叫んだ時には、ユリアローゼはスライムの触手に捕まっていた。腰に巻き付いた触手に持ち上げられて、本体に引き寄せられる。
「まさかこのスライム、雑食!?」
「わーーーー! 怖い怖い怖い! 怖いですーーーー!」
宙に吊るされたまま手足をばたつかせて暴れるユリアローゼ。しかし触手の拘束は緩まない。
ミストラルが爪の魔力刃を放つが、スライムの放つ魔力波に相殺されてユリアローゼを拘束している触手まで届かない。騎士たちも果敢に挑むが、多数の触手にあしらわれてしまう。
するするとした動きでユリアローゼは巨大スライムの上に運ばれ、ぼとんと落とされた。お尻から落ちてしりもちをつくと、スライムがドレスに絡みついた。
「やーーーー! 何これ何これ!」
「捕食されかかってる、ユリア逃げて!」
「無理やだ怖い! 助けて! 助けてください、リーンハルト様!」
斬!
一太刀。瞬く間に振り下ろされた一閃で巨大スライムはふたつに割れた。
「へ?」
ユリアローゼはふわりと宙に浮いた感覚の後、たくましい腕に抱き留められていた。
「リーンハルト様!」
「何故お前が現場にいる?」
「それはこっちのセリフです! スライムは!?」
「もう倒した」
「えっ!?」
金髪碧眼の皇帝は、黒いマントをたなびかせながら、涼しい顔で宣った。
視線を送ると、さっきまで巨大なスライムがいたはずの場所からは蒸気が上がっているばかり。暗緑色の魔物はどこにも姿が見えない。魔剣エクリプスの一閃で狂暴化した色付き巨大スライムは消滅していた。
「ミストラルに思念で呼ばれて戻ってみれば。おい、公爵はいるか」
不機嫌そうに尋ねたリーンハルトを前に、壁際で縮こまっていた加工技師たちが震えあがる。
「も、申し訳ございません! 公爵閣下はご領地にいらっしゃいます」
「ふん。ではやつに伝えろ。今度グリーンを武器に加工したら、この話はなしだ。お前の脳から今回の一連の記憶を抹消してやるから覚悟しろ、とな」
「はいい!! 申し訳ございません!」
ひれ伏して頭を床にこすりつけ始めた加工技師たちの姿を見て、ユリアローゼはあっけにとられた。
「グリーンは黒曜石なのですよね。リーンハルト様は武器を作ろうとなさったのではないのですか?」
「ミストラルめ、ぺらぺら喋ったな」
主人に睨まれたミストラルはびくびくしたまま遠巻きにして近づいてこない。
「まあいい。黒曜石はふつうのガラスよりも魔力を保存しておける量が多いし、期間も長い。その特性を生かして、街灯やランプに応用できないか研究させていた」
帝都は煌びやかな夜の街でもある。道路の両脇には街灯が整備され、繁華街は真夜中でも灯りを失うことはない。
しかし、帝国内の全ての町や村が帝都と同じように発展している訳ではない。特に田舎は夜になると真っ暗闇になり、そのせいで犯罪率も高い。夜の一人歩きは大人の男でも避けるのが常識となっている。
リーンハルトは、そんな帝国の交通路に街灯を設置することを考えていた。それが叶えば、夜闇での強盗や誘拐事件の発生率を下げられる。夜道を明るく照らす街灯があれば、町村の治安の改善が予想された。
「まあ、そんなことをお考えだったのですね」
ユリアローゼが感心して呟けば、リーンハルトは忌々しそうに舌打ちした。
「それをあの古狸ときたら、私利私欲に目が眩んで武器製造などと」
グリーンを使って武器を作れば、魔力のない者でも扱える魔剣や魔槍、魔弓が完成するだろう。
「……公爵様は帝国のためを思って」
「俺がいるんだぞ、これ以上我が国が強くなってどうする。領土も広すぎるくらいだ。先帝と違って、俺は戦争なぞするくらいだったら自国の経済を発展させることを考える」
「では、ジャンメール公爵様が武器を作ったせいでスライムが狂暴化したのですか?」
「グリーンの形状が武器だったせいで狂暴化の度合いが悪化したのだろうが、スライムを研究室に紛れ込ませたのは公爵ではない。公爵の政敵のいずれかだろう。大方俺から直接仕事をもらっているのをやっかんだ誰かの仕業だ。舞踏会でひけらかしたのは失敗だったな」
迷惑そうにため息をついたリーンハルトは、傍に控えていた騎士のひとりに声をかける。
「今聞いた通りだ。城内にいる不審者はもちろん、滞在中の貴族連中に怪しい動きをした者がいないか洗い出せ」
「はっ!」
騎士たちはすぐさま負傷者と、研究室を片付ける者と、スライムを紛れ込ませた犯人を捜す者とに分かれて動き始める。
ユリアローゼは騎士たちの機敏な動きに感心していたが、だんだん動転していた気が収まって来ると、やっと今自分が置かれている状態に思い当たった。
つまり、騎士たちを監督するリーンハルトが、ユリアローゼを横抱きに抱えたまま降ろしてくれていないことに。
「リ、リーンハルト様! わたくし、もう大丈夫です。ひとりで立てますから降ろしてください!」
「断る」
「何故です!」
「お前、スライムにドレスのスカートの一部を食われたな。今降ろしたら足が丸見えになる。妻の足を騎士たちに見せる趣味はない。みっともないだろう」
「なっ!」
瞬間沸騰したユリアローゼは、身じろぎして視線を動かす。手で確認すると、お尻は大丈夫なようだが、確かに背面のスカートの一部が溶けてなくなっていた。
スライムに巻き付かれたあの一瞬でスカートが溶けたと考えると、もう少し遅ければユリアローゼ自身も足と言わず全身が溶けて取り込まれていただろう。思ったよりも自分が窮地に追い込まれていたことを悟り、ユリアローゼは今度は顔を青くした。
「あ、ありがとうございます。リーンハルト様」
「これに懲りたらもう危険な場所には近づくな」
「それはお約束できません。わたくしだって皇妃です。いざというとき、帝国のために力になりたいです。見ているだけの姫でいるのはもう嫌なんです」
「そんな青い顔をしていてか」
言い返せずにいると、ミストラルが傍に来て口を開いた。
「ご主人様、今回は、ユリアの魔石のおかげで時間稼ぎできたんだ。元はと言えば、ご主人様が僕のご飯を抜いたりするから悪いんだよ」
主人に冷たい目で睨まれて、子竜はすぐに口を閉じた。
「まあ、今日みたいなことがまたいつ起こらないとも限らないしな」
リーンハルトはため息をついて、嫌そうに口を開いた。
「良いだろう。せめてSランクの魔石を作れるよう、お前を鍛えてやる」
「え?」
思わぬ宣言に、ユリアローゼは驚いて口をぽかんと開けてリーンハルトの顔をまじまじと見つめ返した。リーンハルトはすぐに視線をそらすと、ユリアローゼの身体を抱え直す。
「今日はもう休め。お前を離宮に返すから、良いというまで動くな」
「は、はい!」
ユリアローゼがとっさにリーンハルトに抱き着いた次の瞬間、ふたりは離宮のユリアローゼの寝室に移動していた。
「しゅ、瞬間移動……きゃ」
ぼふんとベッドに落とされて、慌てて半身を起こした時には、リーンハルトは既に部屋から姿を消した後だった。
良い、って言わずに行ってしまわれました……。でも、聞き間違いではないですよね? 初めてリーンハルト様から魔法を教えて頂けます!
ユリアローゼは「わーい」と手足を伸ばして背中からベッドに倒れ込んだのだった。
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