第14話 直接乗り込んで直談判
ひと月ほど前から自分の夫となった皇帝リーンハルトの執務室。その大きな両開きの扉を前に、ユリアローゼは顔に笑顔を張り付けた。帯剣した近衛兵の制止を振り切って扉をノックし、大声で叫ぶ。
「こんにちは! ユリアローゼです。リーンハルト様、お話ししたいことがございます。少しお時間よろしいでしょうか?」
しばらく待っていると、扉がガチャリと開いた。薄く開いた扉から、ひんやりとした空気があふれ出る。見上げると、金髪碧眼の美青年とばっちり目が合った。
「俺には用はない。帰れ」
「あっ」
ばたん。
慈悲も容赦もなく執務室の扉は閉められてしまう。皇帝リーンハルトは今日も塩対応。絶賛不機嫌中らしい。
「むむう。手ごわい……」
ユリアローゼは拳を握って闘志を燃やした。
昨日とおとといはオトテール侯爵に断られてしまったので、今日は侯爵不在の時を見計らって執務室に訪れた。作戦は功を奏し、リーンハルトを扉まで来させることには成功したが、まさか二言で追い返されることになるとは思わなかった。
リーンハルトから宮廷図書館への入室を許可されて半月。ユリアローゼは図書館にあった魔導書の蔵書をすべて制覇した。さすがは500年の歴史を誇る大帝国の図書館だけあり、ユリアローゼが未読の魔導書も多く残されていた。
魔石で彩られた皮装丁の美しい魔導書。それ一冊で城が建つ程の価値を持つ本は、当然管理も厳重で、ほとんどが図書館からの持ち出しを禁止されていた。おかげでユリアローゼはこの半月をほとんど図書館で過ごすことになったが、そのかいもあり、全ての魔導書に目を通すことが出来たのだ。
是非ともそれをリーンハルトに報告したい。そして、古代魔術についてもっと教えてもらいたい。さらに、あわよくば夢の中の少年へたどり着く手がかりを掴みたい……。
さすがの図書館の蔵書の中にさえ、古代魔術についての記述はほんのわずかしかなかった。それも今まで目にしたことのある内容の繰り返しでしかなく、ユリアローゼの古代魔術理解はほとんど進展をみなかった。
息をするように当たり前に古代魔術を使っていた夢の中の少年が特別なのだ。
そして、朝焼けの雲を採集していたリーンハルトもまた、特別な魔法使いなのだろう。
「ううう。どうすればお話してくださるのでしょう? ねえ、そこのあなた、どう思います?」
突然皇妃に話しかけられて、執務室前で皇帝を警護していた近衛兵は狼狽した。
「へっ!? そ、そうでありますな。陛下も執務中には集中したいのでありましょう。陛下が離宮にお戻りになられた際にお話しすれば良いのではありませんか」
ユリアローゼはため息をついた。
それが出来れば仕事中にわざわざ押しかけたりしません……。
対外的には毎日離宮へ帰っていることになっている夫だが、相変わらず執務室に寝泊まりしている。輿入れからひと月以上たったというのに、夫は一度も離宮に訪れたことはない。円満夫婦だということになっているはずなのだが、実際は冷え切った関係なのがバレるのも時間の問題ではないだろうか。
「ありがとう。そうします……」
ふわりと寂しげに微笑んで、ユリアローゼは踵を返す。ふと、気配に気づいて顔を上げると、廊下の向こうからオトテール侯爵がやって来た。
「これは皇妃様。そのお顔から察するに、本日も陛下に追い返されましたか」
楽し気に指摘されて、ユリアローゼは面白くない。
「そうですよ。“愛する伴侶”であるはずのわたくしに帰れですからね。本当に仕事熱心で頼もしい限りです」
近衛兵がいる手前本音暴露という訳にはいかないが、少しくらい嫌味を言ってもばちは当たらないだろう。実際、オトテール侯爵はユリアローゼのある意味自虐でもある返答に笑みを深めた。
「ふはは。仕事熱心な点は陛下の数ある美徳の中のひとつです。まあ、仕事に熱中するあまり他がおざなりになってしまう点はご愛敬でしょう。色に狂って国を傾けた先帝とは比べるまでもありません」
「そうですけど、話を飛躍しないでください! 少しくらいお話ししてくださっても良いと思います! オトテール侯爵様からも、わたくしと話すように進言してくださいませ!」
きっとオトテール侯爵を睨むと、皇帝の一の側近は苦笑した。
「それは構いませんが、女性に関して私が何か言って聴く方ではありませんよ。それこそ皇妃様が直接乗り込んで行って直談判されない限りは」
「ちょっと宰相閣下! 皇妃様に変なことを吹き込むのはおやめ下さい。執務室に許可なく侵入しようとする者を捕らえなければならないのは私なんですよ!」
傍観していた近衛兵が、慌てて抗議の声を上げた。もちろん、侯爵は面白がって笑うだけだ。ユリアローゼはむむむと考え込む。
「そっか! そうね! 直接乗り込んで直談判! 良い考えです。侯爵様、ありがとうございます」
ぱっと顔を上げたユリアローゼは満面の笑みを浮かべていた。侯爵と近衛兵が戸惑う。
「皇妃様?」
恐る恐る問いかけた近衛兵に対し、良い笑顔を残してユリアローゼはその場を後にした。ぱたぱたと遠ざかるユリアローゼの美しい後ろ姿が小さくなっていくのを、廊下に取り残された男ふたりが見送る。
「そこの君、皇妃様がお美しく、愛想も良いからと言って懸想してはなりませんよ。あれは陛下の寵妃です。気持ちはわかりますが……」
オトテール侯爵にじとりと睨まれて、近衛兵はびくりと肩を震わせた。
「ま、まさか! そのようなこと、あるはずがありません! 恐れ多いにも程があります!」
「だと良いのですが……。まったく、我が国の皇帝夫妻は揃いも揃って無自覚に人をたらし込むのだから性質が悪い」
どぎまぎと顔を赤く染めた近衛兵を残し、宰相は皇帝の執務室へと入った。
その夜、ユリアローゼは執務室と続き部屋になっているリーンハルトの私室に侵入した。
離宮で就寝の準備を終え、侍女を下がらせた後、こっそり空を飛んで宮殿の中央塔まで飛び、バルコニーに舞い降りた。意外にも既に灯りはなく、窓の中は真っ暗。
しかしユリアローゼは臆することもなく、静かにガラス戸から室内に侵入した。
抜き足、差し足で音を立てずに進む。ユリアローゼは躊躇なく持ってきていた魔石を光らせて室内を見回した。
部屋の中央には天蓋付きのベッドが一台。部屋のぐるりには衣装箪笥と何のために使うのか想像もつかない怪しげな魔法器具の数々が収められた棚。羊皮紙の巻物が山積みになった執務机などが並んでいる。
どちらかというと雑然としている、色気のない部屋にユリアローゼは夫がここで仕事に明け暮れていることを悟り、何とも言えない感情に陥った。嬉しいとまではいかないが、女の影がなくて何となく安堵するような気持ち。しかし、女嫌いが立証されたような気がして複雑だ。
ともかく、今はそのような乙女心、妻心にとらわれている場合ではない。ユリアローゼがさらに歩を進めようとしたところで、目の前に小さな影が出現した。
「こんばんは、ユリア。こんな夜更けにどうしたの?」
「――――っ!」
思わず悲鳴を上げそうになって、ユリアローゼはすんでのところで飲み込んだ。飛び出しかけた心臓を抑えて、ユリアローゼは息を整えた。
「リーンハルト様のドラゴンの、ミストラル君……」
「名前、覚えててくれたんだ。嬉しいな」
「それはもちろん」
「で、何の用事? 申し訳ないんだけど、ご主人様はいま疲れて熟睡しているから、後日改めて来てくれると嬉しいんだけど」
子竜に小首を傾げられて、ユリアローゼはにやりと微笑んだ。
「熟睡しているなら好都合です。わたくし、このままここで朝まで待っています。決してリーンハルト様の眠りの邪魔はいたしません。でもわたくしも、どうしてもお話ししたいことがあるんです。朝、お仕事を始める前の少しの時間でかまいませんから、お時間を作ってもらおうと思います。妻の特権ですよね?」
子竜は戸惑った。
「えーと。でも、ご主人様寝起きは不機嫌だし、勝手なことしたら怒られるんじゃ」
「不機嫌なのはいつものことです。多少強引なのは自覚がありますが、背に腹は代えられません。円満夫婦アピールに協力しているのですから、見返りに少しくらいわたくしのお話に付き合っていただくのは当然の権利ですよね?」
折れる気のないユリアローゼに、子竜はさらに困惑を深めた。
「うーん。絶対起きたら怒るよなあ。どうしよう。ん、でも待てよ。もしかして、これってご主人様と番様が仲良くなるチャンスなのかも。それに、どうせ傍まで近づいたらご主人様は起きるだろうし、それまで好きにさせとくのも一興かな。起きた時ご主人様がどんな反応するのかも興味あるし……」
「何か言いましたか?」
「ううん。何でもない」
ミストラルは、急にとってつけたようにほほ笑んだ。
「そこまで言うならいいよ。途中で起きたご主人様に怒られても、僕は責任とらないからね。それでも良いなら、ユリアも一緒に寝よう。朝まで暇でしょ?」
「え? 一緒に寝るんですか? まさか、そのベッドで?」
「うん。ふたりは番なんだし、何も問題ないでしょ?」
「うーん……。そうですね! 実は徹夜したら朝になってリーンハルト様が起きた時にまともに頭が回らないんじゃないかって不安だったんです」
にっこり微笑んだユリアローゼである。さっそくと忍び足で歩を進め、肩にかけていたストールをサイドテーブルに置き、キングサイズのベッドの端に潜り込んだ。ヘッドボードにたくさん立てかけられているふかふかの枕をひとつ拝借して、寝心地の良いポーズを探した。
「そんなに端っこで良いの? 落っこちない?」
「え? さ、さすがにそれは……」
これ以上真ん中に寄っては、リーンハルトと触れ合ってしまう。何となく目をやれば、絶世の美男子があどけない顔をして眠っている。金のクラウンのような美しく長いまつ毛。寝乱れて少しくしゃっとなっている前髪がおでこに流れている。首元のゆったりした寝着の襟からは、骨ばった鎖骨が覗いていた。
その美しさに思わずぽっと頬を染めたユリアローゼは、リーンハルトからぐるんと背を向けて魔法器具の棚を見つめた。
「こ、これ以上近づいたら起こしてしまいますから。ですから、わたくしはここで良いです」
「ふーん。そっか。じゃあ、ユリア、おやすみ」
「はい、ミストラル君。おやすみなさい」
互いに声をかけあって数分後、ユリアローゼは穏やかに寝息を立て始めた。
「ええっ。この状況でおやすみ5分かあ。ご主人様の番様って、やっぱりすごい人間なのかも。しかも、これだけ他人が近くにいるのに、ご主人様も起きないし……」
ぽそりと呟いた子竜の独白を聞く者はひとりもいなかった。
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