第13話 緑竜・ミストラル

 緑竜は、風を操り、嵐を呼ぶドラゴンとして、古くから人々に怖れられてきた。緑竜は、見つけ次第殺せ。それが人間世界の掟だった。


 しかし数百年前、人間史において最も魔法が発展した時代のある闇魔法使いが、緑竜の卵の孵化に成功した。


 闇魔法使いは生まれて間もない子竜と主従契約をし使役した。子竜は主の命じた通りに悪逆非道の限りを尽くした。命令を無視すれば、手酷い罰を受けることになる。嵐を呼び街を壊滅させ、一度に数千人の人間を虐殺したこともある。


 子竜は、無抵抗の人間の命を奪うことに気が進まなかった。自我が芽生えてから後は、何故竜種である自分が人間なんぞに隷属せねばならぬのか、不満にも思っていた。


 そしてある日、ついに主人に反抗した。主人である闇魔法使いとの三日三晩にも及ぶ決闘のすえ、子竜は剣に封じ込められてしまう。


 やがて闇魔法使いは寿命を迎え、主を失った剣は、魔剣として世に残る。魔剣エクリプス。手にした者の命を奪う呪われた剣。並みの魔法使いでは鞘から抜くことすら出来ない。そして、その刀身を拝めた者は、魔力と引き換えに緑竜を操ることができる。


 伝説となったその魔剣は、巡り巡ってアトランティッド帝国の国宝となった。時代が下がり、人間世界から古代魔術が潰え、人の持つ魔力が弱まって後は、魔剣を操れる騎士、魔法使いはいなくなり、宮殿の宝物庫の肥やしになっていった。





 嵐の晩だった。


 ミストラルは魔剣の中で、強い気配を感じて目を覚ます。


「ハルト、これが現物です。魔剣エクリプス。鞘から剣を抜ければ、あなたの望みを叶える力を得られるでしょう。けれど、この剣は呪われています。その呪力で代々の主を呪い殺して来たという話です。これを使えばあなたは死ぬかもしれない。それでも剣を取りますか?」


 下級官吏らしい男が、まだ少年と呼べる男に問いかけた。


「オトテール、案内ありがとう。俺はやる」


「決意は固いのですね」


「ああ。どの道時間はない。俺が死ねば、ユリアにも火の粉が飛ぶだろう。それだけは絶対に阻止したいんだ。この国に来たのは、最初からそのためだ」


「あなたにここまで愛されている王女とは、一体何者なんでしょうね」


「世界一美しい人だよ」


「ハルトにそっくりなんでしたっけ。そりゃあ美しいでしょうね」


 男が笑うと、少年は真面目な顔で首を横に振った。


「確かに顔は似てるがな。表情が全然違うんだ。すぐ怒って、すぐ泣いて、すぐ笑う。ころころ表情が変わるんだ。バカみたいにお人よしで、甘ったれのくせに、頑張り屋で、諦めない。王女のくせに、俺みたいなどこの馬の骨ともわからないような男のことを身内のように大切に扱ってくれた。利用するんじゃなくて、守ろうとしてくれた。怒ってくれた。……最後は嫌われてしまったが……。だが俺は……」


「お慕いしているのですね」


 気遣うような男の言葉に、少年は頷いた。


「だから俺は、やってやる。何を引き換えにしても、あの下品なロリコン野郎の首を宮殿の門前に飾ってやる」


「わかりました。陛下は今夜、愛妾を囲っている東の邸宅にいらっしゃいます。ご武運を」


 少年は、うなずいてから、台座に置かれた剣に手を伸ばす。掴んで、妖しく煌めく宝玉で彩られた豪奢な鞘から、一息に魔剣を引き抜いた。


 刀身から風が巻き起こる。長髪をはためかせながら、しかし少年は握った柄を離さなかった。


 ミストラルは、久しぶりの食事――魔力を貪った。混濁していた意識が覚醒していく。少年の魔力は苛烈に燃える朱。炎の色だ。ミストラルの冷え切った心に温かい魔力が満たされていく。


 しかし、緑竜の食事の途中で、少年は力尽きて膝を付いた。


「――あんた、手を離さなければ死ぬよ」


 ミストラルは思わず少年に話しかけていた。


「そうか。お前が緑竜か。殺さないでくれると助かるんだがな」


「あんた、そんなこと言ってる場合? 僕の存在は魔剣に縛られている。僕の意思では止められない。このままだと、あんたの魔力を吸い尽くして、殺してしまうよ」


「それは困るな」


「だったら、手を離しなよ」


 少年はそこで黙った。それどころか、剣に吸わせる魔力の出力を上げてみせる。


「どうして……」


 困惑する緑竜に、少年は言った。


「殺したい男がいるんだ。そのためならば、俺は悪魔と契約したって構わない。絶対に、死んでもやり遂げる。ヤツを殺せないならば、あいつを救えないのなら、この命があっても意味はない。力を貸してくれないか、緑竜」


「……あんた、他人のために僕の力が欲しいのか。変な人だね。そこまで言うなら、方法がないこともない。けど、魔力の代償に、あんたの一番大事な記憶をもらうよ。それでも良いなら、当面の魔力は工面できるはずだ」


 ミストラルの言葉に、少年は息を飲んだ。しばし考えを巡らせた後に、大きく息を吐きだした。


「オトテール。魔力が足りない。俺は足りない魔力の代償に、俺の一番大事な記憶を支払うことになった。十中八九、魔剣を制御した瞬間、今までの俺ではなくなるだろう。記憶喪失になった俺に、お前が状況説明をしてくれ」


「ハルト、あなた……。それで本当に良いんですか?」


「良いんだ。どうせフラれているし。……ユリアが生きて、幸せでいてくれたら」


「ハルト、あなたは王女をお人よしと評しましたが、あなたも充分そうですよ」


「だとしたら、あいつのが移ったんだな」


 嬉しそうに笑った少年の顔を見て、男は瞳を潤ませた。


「後のことは任せた」


「承りました」


「話はまとまったみたいだね。じゃあ、行くよ」


 ミストラルは、魔力を吸い取るようにして、少年の心から記憶を奪った。少年の心の奥、一番柔らかく温かい場所に住み着いているひとりの少女との思い出。


 不死鳥の冠羽。朝焼けの雲。湖面に差した月光。青薔薇の蜜。木漏れ日の中の昼寝。侍女たちとのかくれんぼ。ふたりだけの舞踏会。魔力増幅訓練。眠る前の密談。ドレス選び。些細なケンカ。仲直り。彼女の涙。そして、笑顔――。


 ミストラルは初めて知った。人間とは殺し合うばかりの生き物ではないと。互いに慈しみ合うことのできる人間もいることを。それをこそが、愛と呼ばれるものだと。


 そして後悔した。


 目の前の優しい少年を延命したい。そのためには、自分の命を投げうっても構わないと思わせるような感情はいらないと思った自身の判断を――。


 少年、リーンハルトにとっては、ユリアローゼこそがすべてで、光だったということに気づいたが故に。





 ミストラルが目覚めると、隣で眠るリーンハルトがうなされていた。額に汗を浮かべて、苦しそうにしている。毎夜のことながら、ミストラルは主人のことを見ていられない。


 パタパタと羽ばたいて、小さなつむじ風を起こす。風は少年の額の汗を巻き上げて消えた。


「――ミストラルか。悪い、俺、またうなされていたのか」


「ご主人様、ごめんなさい。僕のせいで……」


「良いんだ」


 緑竜は力なく首を横に振った。


「僕のせいで……」


「お前のせいじゃないよ」


 主人の手が、優しく緑竜の頭をなでてくれる。緑竜は、嬉しくなってその手に額をこすりつけた。


 リーンハルトは、魔剣の支配下にあるミストラルを庇う魔法陣を魔剣に刻んだ。そのせいで、睡眠時にミストラルの代わりにリーンハルト自身が魔剣からの干渉を受けてしまうのだ。毎夜繰り返す魔剣との攻防に、眠りながら挑まねばならない主人は、心休まる時間がない。それ故、リーンハルトは回復薬を飲みつないで、ほとんど眠らない生活を送っているのが現状だ。


「ねえ、ご主人様。昼間は冗談になっちゃったけどさ。本当にユリアの魔力を食べたいよ。聖女の魔力を食べれば、ご主人様も一晩ぐっすり眠れるんじゃない?」


「莫迦。子供がいらん心配をするんじゃない。俺は大丈夫だ。ほら、二度寝しなさい。まだ日も登ってないぞ」


「はぁい……」


 主人の腹の上で丸くなりながら、ミストラルは考える。


 ご主人様の番様は、ご主人様の記憶の中の女の子だった。ユリアならきっと、ご主人様を救ってくれるはずだよね。僕とご主人様を雁字搦めに縛っている呪いを解いて、僕が奪ってしまったせいで凍ってしまったご主人様の心を癒してくれる。


 どうかお願い。僕の優しいご主人様を助けて。助けて、ユリア……。

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