第11話 夜明け
そう。あの約束があったから、1年間の辛い魔力増幅訓練にも頑張れて、おかげで湖面に差した月光の採集に連れて行ってもらえるようになったのでしたね……。
起き抜けのぼうっとした頭で、ユリアローゼは考えた。
たぶん、ですけれど……。
ユリアローゼの朝一番のルーティンは、目覚める前に見ていた夢の内容を思い返して、時系列を考え、自分の成長していったストーリーを想像することだ。
とはいえ、飛行訓練の夢――それも講義初回――は、もう何度も繰り返し見ているので、頭の整理がつくのも早かった。
ユリアローゼは、夢の中に新しい情報がなかったことをちょっぴり残念に思いながら、半身を起こす。
閉じられたカーテンの向こうはまだ日が昇っていないようだ。夜明け前に起きてしまったらしい。
ふと、離宮のバルコニーから見る朝焼けはどんなものか興味がわいたユリアローゼは、ベッドから抜け出すと裸足のままバルコニーに出た。
離宮は高台にあることから、城下町が一望できた。その向こう、はるか先には海も見える。今は夜明け前の闇に紛れて見えないが、朝日が昇れば日を反射して輝く青海が見えるだろう。ユリアローゼはこのバルコニーから見る遠くの海が好きだった。
夢の中で少年は海を見たことがないと言っていたのを思い出す。
ふふ。いつか一緒に海を見に行こうって約束したのよね。でも、それは叶わなかった。わたくしの知らないところで、あの子も海を見たかしら。
柵に手をつき、ぼうっと景色を眺めていると、風の音が聞こえてきた。それがあまりに大きいので、え、と驚いた瞬間には、視界の端を巨大な緑竜が横切っていく。
「ミストラル!」
緑竜ミストラル――リーンハルトが先帝を討つために召喚し、使役しているというドラゴン。5階建ての建物と同程度の体長を持つが、まだ子竜なのだと説明を受けた。リーンハルトの命令には従うが、その本性は狂暴で人を喰らう猛獣だという。
普段は危険なので、城や街からは離れたところで生活しているというそのドラゴン・ミストラルが、何故か目の前にいる。
しかも、その背には人影があった。
「――もしかして、リーンハルト様? こんな夜明け前にどこに行くのかしら……」
ユリアローゼの記憶が正しければ、リーンハルトは今日から数日、ジャンメール公爵領から来た客人と研究室で何やら講義をするのだという話だった。夜通しの作業になるため、離宮に帰れないと連絡を受けたのだ。そもそもリーンハルトが離宮に帰って来たことなど一度もないのだが、連絡係の使用人は何も知らされていないのだろう。とても気を遣ってくれたのを覚えている。
「っは! まさか……。忙しくなる前に、浮気相手に会いに行ったんじゃ」
ユリアローゼは自分の思いつきを自賛した。皇帝は女嫌いを装っているだけで、実は別に好きな人がいたとしたら。ユリアローゼに冷たくするのも、過剰に女慣れしているのも辻褄があう。一度そう思ってしまうと、どんどんそんな気がしてきた。
「もしかして、リーンハルト様の弱みを握るチャンスでは!? 弱みを握って、夢の中の子のことを探す魔法を教えてもらえるチャンスではないですか!?」
眠気も吹き飛び、俄然張り切るユリアローゼ。ネグリジェにガウンを羽織っただけの部屋着姿のまま、バルコニーから“飛び立った”。
いつまでも、ジャンプするばかりではありませんのよ、わたくしだって、もう空を飛べます!
18歳になったユリアローゼは、夢の少年の言葉を頼りに、我流で空を飛べるようになっていた。
寝起きで結ってもいない金髪が、背中に流れてたなびく。腕を前に伸ばし、風の上で寝そべるようなポーズをとりながら先を行くドラゴンの背中を追いかけた。
どこまで行くのかしら……。
リーンハルトを乗せた緑竜は、どんどん速度を上げていく。城下街を飛び越え、森を超えていく。ユリアローゼは少しずつ引き離されながらも、なんとか食らいついていった。
しばらく飛んだあと、ドラゴンは空の上で急停止した。どうやらリーンハルトの目的地は、海だったらしい。
はるか先に小さくなったドラゴンを見つめながら、ユリアローゼは懸命に空を飛んだ。
刹那、水平線の彼方から光が差した。空を照らし、海を照らすその光は、見る間にその強さを増していき、赤く輝いた。暁。日が昇ったのだ。
朝になってしまいました。浮気相手さんはどちらにいらっしゃるのでしょう。
眩しさに目を細めてユリアローゼが辺りを見回しても、空の上には他に人影は見当たらない。ここへ来てようやく、自分が何か勘違いをしていたらしいと気付き始めたユリアローゼ。しかし、今さらただで帰るのも癪で、疲れてきた身体を叱咤して懸命にリーンハルトを追う。
その時、おもむろにドラゴンが動いた。大きな翼を羽ばたかせて、どんどんと上昇していく。
そして、ドラゴンの上に立ったリーンハルトは、“朝焼けの雲を集め始めた”。
プラチナブロンドを暁に染めた青年が伸ばした手には小瓶が握られている。ドラゴンの下、数メートルの空中に、巨大な魔法陣が展開していた。朝焼けに染まって輝く雲が、青年の差し出した小瓶の中に吸い込まれていく。
「――朝焼けの雲を集めてる!? リーンハルト様が!」
思わず叫んだ声に青年が振り向いた。視線をさまよわせたリーンハルトと、空の低い位置にいるユリアローゼの視線が合うのに時間はかからなかった。
「ユリアローゼ!? 何故お前が!」
叫んだリーンハルトの声に含まれた怒気に気づいて、ユリアローゼは慌てる。
「べ、別にっ、あなたを尾行していた訳ではありませんのよ。ただちょっと、弱みを握れればと思っ――て、あら? あらあら? バランスが難しく!?」
「お、おい?」
「きゃーーーーーーー!!!!」
内心の動揺が魔力の流れを乱し、ユリアローゼは真っ逆さまに急落下した。痛い程吹き付けてくる風を感じて、ユリアローゼは死を悟る。
死ぬのは嫌っ! 夢の中の子にもう一度会うまでは死にたくありません! 痛いのも嫌です!
ぎゅっと全身に力を入れた時、ユリアローゼは大きな衝撃を受けた。
「あら? 思ったより痛くありません?」
頭の上から呆れたようなため息が降って来た。
「そうかよ。のん気なものだな。俺は久しぶりに焦って心臓がつぶれるかと思ったがな」
「リーンハルト様!」
久しぶりに顔を合わせた自分の伴侶に抱き留められている。ドラゴンを操って先回りし、ユリアローゼのことをキャッチしてくれたのだ。横抱きに抱えられている――いわゆるお姫様だっこの状態だと気づいたユリアローゼは、慌てて身体を起こそうとしたが、リーンハルトに阻止されてしまう。
「暴れるな。お前、なんでこんな無茶をした? 身体の中に魔力がほとんど残っていないぞ。体力まで削って空を飛ぶなんて呆れて物も言えん」
「え? そうなのですか? わたくし、こんなに長時間空を飛んだことがありませんでしたから、こうなるなんて知りませんでした」
「お前、自覚なしか。……だいたい、飛行術なんてどうやって身に着けた? 100年前に失われた古代魔術だぞ」
「ええっと、それはその……わたくしの魔法の師匠にご指導いただきました」
「嘘をつくな。古代魔術は100年も前に継承者を失って潰えたはずだ」
「嘘ではありません! 現にリーンハルト様だって使っているではありませんか。どうして、リーンハルト様が朝焼けの雲を採集なさって……いるのですか……」
「あの子みたいに」という言葉は口の中で消えてしまう。
ふいに気が遠くなって、ユリアローゼは意識を手放した。
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