記憶喪失の王女は政略結婚で初恋を取り戻す

みさと みり

第1話 両親との再会と政略結婚の話

「久しぶりね、ユリアローゼ。会えて嬉しいわ」


 ハイリヒトゥーム王国第一王妃アンネリーエの感極まったような声に、ユリアローゼも涙をにじませた声で答えた。


「お母様。……ええ、本当に。わたくしも、おふたりに再び会うことが出来て、とても嬉しいです」


 王妃の横に座る父王ヒルデブレヒトも鷹揚に頷いた。


「5年ぶり、だったか。市井での暮らしは不自由なかったか? デリンガーにはずいぶんと融通したものだが」


「格別のご配慮を賜り、感謝に堪えません。お父様。デリンガー商会……ルッツにはよくして頂いています。ドレスも食事も豪華過ぎることはあっても、足りないことは何一つありません。ご安心なさってください」


 ユリアローゼがほほ笑むと、玉座に座った国王は満足そうに頷いた。


「そうか。それは何よりである」


 父王の横で、同じように嬉しそうに母である王妃もほほ笑んでいる。実に5年ぶりの親子の再会に、ユリアローゼは感動していた。


 というのも、ユリアローゼは、13歳で王宮から離れ王都で一、ニを争う豪商のデリンガー商会に預けられた時に、今生で両親とはもう二度と会えないものと覚悟していたからだ。


 5年前、ハイリヒトゥーム王国は、隣国アトランティッド帝国との戦に負け、領土の一部と人質として第一王女を要求された。第一王女、つまりユリアローゼが皇帝の第三夫人として輿入れさせられることになったのだ。


 しかし、ユリアローゼは当時まだ13歳。好戦的で他国に攻め入っては残虐非道な戦術で領土を奪い、また好色で4人も妃を侍らせ、さらに妾も山のように抱えている20歳以上年上の男に大事な娘を嫁がせるのをよしとしなかった父王は、ユリアローゼの替え玉を用意した。帝国を欺き、ユリアローゼと同じ金髪碧眼の少女を本人の代わりに輿入れさせたのである。


 政略結婚をして帝国に嫁いだことにされたユリアローゼには、当然のことながら王宮に居場所はなくなり、市井の豪邸にかくまわれ、豪商の娘として育てられることになった。


 デリンガー商会のルッツは、国王からの格別の引き立てを賜るきっかけとなったユリアローゼを、金塊を運び込む幸運の女神として金に糸目をつけずに溺愛した。おかげでユリアローゼは、慣れない市井でも不自由することなく暮らすことが出来ている。


 不満があるとすれば、大事な金づるを損なってはいけないとルッツが神経質なほど過保護になったことくらいだ。市井に降り街の中で暮らしているというのに、ユリアローゼは深窓の姫のように扱われている。本人としては、市場に出かけて買い食いをしてみたいだとか、邸に運び込まれる商品の原産地に足を運んでみたいだとかお転婆なことを考えているのだが、外出はルッツによって尽く却下されてしまう。


 もしも自分に何かがあったら、自分を愛してくれている父王の手によってルッツの首が飛ぶということを理解しているユリアローゼは、わがままを言うのもはばかられ、敷地内でおとなしく過ごすしかなかった。とは言え、邸には毎日家庭教師がやってきて、礼儀作法、ダンス、刺繍に音楽、読み書きなど、やんごとなき身分の令嬢にふさわしい処世を身に着けるための勉強が用意されていたので、やることには事欠かなかったのだが。


 そんなユリアローゼが、18歳の誕生日を控えたある日、突然王宮に呼び出されたのだ。そして、謁見の間でこうして両親との再会を果たしたのである。感慨もひとしおだった。


「美しくなりましたね。さすがわたくしの子だわ」


 王妃の言葉に、ユリアローゼは頬を染めた。


 雨上がりの雲の隙間から差し込む光のように美しいブロンドの髪。珊瑚の広がる常夏の海のように透き通った碧眼。すっと鼻筋の通った形の良い鼻。果実のように赤く色づいた血色のよい唇。


 淡藤色のドレスを身にまとい跪く肢体は、芸術家が女神像のモデルにと希うような、均整の取れた完璧なプロポーションを模っていた。


 邸に引きこもっているせいで同世代の娘とほとんど会ったことがないユリアローゼは、自分が美しいということを知らなかったが、久しぶりに会った母からの誉め言葉は素直に嬉しかった。


 しかし、次に口を開いた父の言葉に、そんなふわふわした気分は霧散した。


「うむ。あの生意気な小僧にやるには惜しいな」

「えっ」


 父王の言葉に目を丸くし、驚きに停止しそうになる頭を賢明に働かせる。


 5年間も音沙汰のなかった王宮から突然呼び出されたのだ。両親との再会だけで終わるはずがないと思ってはいた。しかし、他国へ嫁いだことになっている自分だ。そんな自分に、まさか縁談が来るとは思っていなかった。


 内心の動揺を隠すことに失敗し、ユリアローゼは間抜けな顔で父王を凝視した。


「わたくしに、縁談があると言うのですか?」

「うむ。忌々しいことに」

「相手はどなたでしょうか?」

「アトランティッドの現皇帝リーンハルト様よ、ユリアローゼ」


 眉間に皺を刻んだ父王と、上機嫌でほほ笑む王妃を見比べ、ユリアローゼは混乱した。


「……ですが、わたくしは本来5年前に帝国に嫁いだことになっているはずです。今更わたくしがもう一度かの国に嫁ぐのですか?」


「うむ。秘密裏にだがな。先帝ギュスターヴが崩御したのは其方も知るところだろう。そのギュスターヴに其方の代わりに嫁いだ替え玉が偽物だと露見した。現皇帝は秘密を守る代わりに本物のユリアローゼの身柄をよこせと言ってきている」


「本来ユリアローゼはギュスターヴ様に嫁いだことになっているのだけれど、リーンハルト様は先帝の妃の中からユリアローゼだけを引き継ぎ、他の妃達は廃したのです。皇妃はユリアローゼだけだから安心なさいね」


「小僧が帝位について3年か。奴は手続き上3年前にすでにユリアローゼを皇妃に迎えたが、内政が落ち着くまではユリアローゼの身の安全を考えて呼び寄せることは控えていたらしい。まあ、当然それくらいの配慮はあってしかるべきだが」


「待ってください。では、帝国でわたくしの代わりを務めてくださっていた方はどうなってしまったのですか? まさか、正体がバレて処刑なんてことは……」


「……ああ、そうだった、その説明もいるのであったな。影武者の心配はいらん。ピンピンしておる。うまくやりおって、帝国で新しい人生を謳歌しとるわ」


 両親の説明に、ユリアローゼは驚きを隠せなかった。


 王女の替え玉という、国家間の婚姻において重大な契約違反が露見したとあれば、それを理由に帝国が攻め込んで来ても無理はない。それなのに、下手人を殺さず、さらに戦争にも持ち込まず、秘密裏に王女を受け渡せとは随分と平和的な要求だ。高い矜持を持つ帝国人とは思えない。


 ユリアローゼは、過保護なルッツに他国の情勢や歴史、地理などの情報を取り上げられて育った。それでも、漏れ聞こえた噂でリーンハルトのことは知っていた。


 隣国アトランティッド帝国の皇帝リーンハルトは、ユリアローゼと同じ年生まれの18歳。魔力甚大の魔法使いとしても有名だ。今から3年前、伝説の魔剣エクリプスの力でドラゴンを操り、15歳という若さで帝位を簒奪した冷酷な男だと聞いたことがある。


 貴族階級にない、市井の生まれの少年が、己の魔力のみで成り上がり、500年の歴史を誇る大帝国を手中に収めたとあって、その華麗な武勇伝は世間を沸かせた。帝国はもちろん、こうして隣国の商人の家に預けられているユリアローゼの耳にも伝わったくらいだ。吟遊詩人はこぞって少年皇帝誕生の物語を歌い、旅芸人は劇にして伝え広めているという。


 新皇帝がユリアローゼを皇妃に迎えたのは、おそらく庶民の出のリーンハルトには貴族の縁故がなく、内政を抑えるのにハイリヒトゥームの後ろ盾を欲したからなのだろう。


 だとしたら、この結婚は完全な政略結婚だ。リーンハルトはユリアローゼ自身に興味があるのではなく、ユリアローゼに付随する王家の威光だけを欲している。だから、前皇帝のお下がりの姫を遺憾ながら仕方なく受け入れたに違いない。その武勇で世間を賑わせたさすがの新皇帝も、政治には苦労させられているのかもしれない。


 きっと、愛のない結婚になるだろう。


 それにしても――、なんてわたくしに都合の良い展開なのかしら。


 ユリアローゼはこくりと息を飲み込んだ。そして、踊り出しそうな内心を隠し、なめらかな仕草で上品に頭を垂れた。


「承知いたしました、お父様、お母様。おふたりの御心のままに」


 従順な態度で礼をとったユリアローゼは、内心で快哉を叫んでいた。


 やりました! 理由はどうあれ、天才魔法使いとお近づきになれるんですね! なんとかして頼み込んで、きっと過去の記憶を取り戻してみせます! 絶対に、あの子の正体を突き止めてみせますわ!

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