第2話 13歳、小さな魔法使いの夢を見た

 13歳、デリンガー商会の会頭ルッツの元へと預けられたばかりの頃、ユリアローゼは慣れない邸でぼうっと呆けていることが多かった。


 王宮を離れ、両親や乳母、侍女など身近な人間の尽くと別離したとあれば、寂しさを抱えて塞ぎ込むのも無理はない。商会の人間、ルッツや世話係の使用人たちは、そんなユリアローゼを思いやり、腫物に触るかのように丁重に扱った。


 しかし、ユリアローゼの心を占めていたのは、戸惑いだった。


 何故か王宮での暮らしを思い出せなかったからだ。


 断片的には思い出せる。例えば両親や侍女たちの顔や名前、声などは知っていた。しかし、彼ら、彼女らとの会話やともに過ごした時間を思い出そうとすると頭が真っ白になってしまう。参加していたはずの宮廷行事や数年前から参加が許されていたはずの夜会での記憶も曖昧だ。


 パーティーのためにドレスを用意しただとか、父王の誕生日に舞踏会があったはずだとか、覚えていることもあるのだが、ではその日に具体的に誰と会ってどんな話をしたという記憶は全くない。


 ユリアローゼは第二王妃から疎まれており、幼い頃から暗殺の危険と隣り合わせに生きていた。それゆえに人前に姿を見せる機会は極力減らされて来たのだ。


 数少ない公式行事の体験など、記憶に残らないはずがないとユリアローゼは思う。王国の総力をあげて準備された煌びやかな夜会や街の大通りを馬車で移動し国民に顔見せする祝祭のパレードなど、忘れられようはずがないと思うのだが、思い出そうとしても記憶が真っ白になってしまう。


 だからユリアローゼは、この不自然な記憶の欠落は、父王が用意した宮廷魔法使いによる、記憶の隠蔽だと思った。ユリアローゼが王族として過ごした記憶の中には、外部に漏れては困る機密事項が多く含まれている。それが父の政敵に流出することを防ぐために、記憶を奪われたのだと理解した。


 けれどそれは、幼いユリアローゼにとっては辛く寂しいことだった。


 思い出せないので執着が薄まり、両親や王宮の人間との別離自体は、むしろすんなり受け入れられた。しかし、過去の記憶を失ったことで、自分が何者かわからなくなったような不安、アイデンティティーの喪失に、戸惑いを隠せなかったのだ。


 そんな訳で塞ぎ込みがちだったユリアローゼを心配し、ある日ルッツが、プレゼントを贈ってくれた。


 燃える炎の揺らめきを閉じ込めた真っ赤な紅玉を大胆なカットで煌めかせた魔道具のブレスレッドだった。何でもトップにあしらわれた魔石には不死鳥の息吹が閉じ込められているらしい。


 国宝級の価値があるという一品は、いかな豪商の頭目であるルッツといえども、入手するのに手こずったという。


「私のような一介の商人には、尊い姫のご心痛を推し量ることは出来ません。しかし、美しいものを見ていると、少しばかりは心が慰められるかと思いまして」


 そう言って頬をかいたルッツの気持ちも嬉しく、ユリアローゼは贈り物を一目で気に入った。さっそく身に着けてみると、ブレスレッドが放つ魔力の波動に、不思議と心が落ち着いていくのを感じた。


 嬉しくなったユリアローゼは、その晩、ブレスレッドを着けたまま眠りについた。




 夢を見た。

 不思議な夢だった。


 ユリアローゼは王宮にいて、そして、自分と瓜二つな容姿を持つ幼い女の子と手をつないで庭園を駆け回っていた。


 少女の小さな手を握る自分の手もまた、同じように小さい。歳は7つや8つくらいだろうか。


 大人の侍女たちが、少女ふたりを追いかける。女の子に手を引かれ、植え込みの陰に身を潜めて侍女たちをやり過ごした。まんまと逃げおおせた自分と女の子は、ふたりしてからからと笑った。


 お腹を抱えて思い切り笑って――そして、そこでユリアローゼは目を覚ました。




 ユリアローゼは少女のことを知らなかった。


 自分とそっくり同じ色をした金髪碧眼。背格好も同じ、顔の造形も瓜二つでまるで生き写しのよう。双子とも見まごうばかりの、自分の分身のような女の子。


 出会ったことがあれば、絶対に忘れることはないだろう。それなのに、ユリアローゼは少女を知らない。


 しかし、この夢は、自分の失った記憶と関係がある、と何故かユリアローゼは確信を持った。


 根拠はないが、女の勘が告げている。


 夢のことを周囲の者に吹聴して国王に知られ、再び記憶を奪われることを怖れた13歳の少女は、賢明にも口を閉ざすことを選んだ。


 そして、何食わぬ顔をして日中を過ごし、夜になるのを待った。不死鳥のブレスレッドを身に着け、天蓋のベッドに身を滑らせる。祈るような気持ちで眠りについた。




 果たして、ユリアローゼはその晩も、気づいた時には夢の中にいた。


 ベッドから身を起こした8歳くらいの幼い自分は辺りを見回すと音のした方――自分の部屋と繋がっている隣室の方を見た。王女の侍女に与えられる続き部屋のドアの向こうで、カタリという静かな物音がしたのだ。誘われるようにベッドを抜け出し、ドアを開ける。


 そこには、予想通り、自分とそっくりな少女の姿があった。


「起こしてしまったか。悪い。まだ起きるには早い。侍女たちに悪いから、お前はまだベッドで寝てろ」


 少女は、悪びれもせずにそう言った。


「抜け駆けしたわね。わたくしを差し置いて自分だけ楽しい思いをするなんてずるいじゃない。一体、こんな朝早くから城を抜けだして、どこに行っていたんですか?」


 幼いユリアローゼは、怒っていることを隠しもせずに自分の分身に詰め寄った。


「参ったな。バレたとあっては、白状するまで付きまとわれるんだろうな。仕方ない。皆に秘密にできるなら見せてやらないこともない」

「もちろん、秘密にできるわ。わたくし、口は堅くってよ」

「いいだろう」


 ユリアローゼの片割れは、後ろ手に隠し持っていた小さな小瓶を差し出した。ユリアローゼは、それをそっと両手で受け取った。


 無色透明のガラス製で、何の変哲もないシンプルな造形をした小瓶は、暁の光を内包していた。見る角度によって赤にも橙にも黄色にも色を移ろわせる不思議な光。まぶし過ぎるということはなく、どこか柔らかく煌めくふわふわとした靄のようなものが、小瓶いっぱいに詰まっていた。


「綺麗……素敵ね」


 ユリアローゼは、思わずため息をもらした。


「朝焼けの雲が入っている。今朝は日の出前に目覚めたから、捕まえてきた」

「ずるいわ、私も行きたかったのに」

「だってお前、飛べないだろ?」

「飛び方を教えてくださらないからよ!」

「お前のへなちょこ魔力じゃ無理むり」

「まあ。いじわるを言うのはどのお口ですか?」


 幼いユリアローゼが片割れの頬っぺたをつねろうとすると、彼女の相棒は鈴を転がすように笑いながら、するりと身を躱した。


「ま、朝焼けの雲の採取は難しいとしても、何か違う埋め合わせを考えてやるよ」


 にっこりと楽しそうな悪戯っ子の微笑みに、ユリアローゼの心がきゅうっと切なくなった。


 そして、そこでユリアローゼは目を覚ました。13歳のユリアローゼは、どきどきと鼓動する心臓を抑えて、頬を赤らめた。


 知らない女の子だと思ったが、どうやら男の子だったらしいと目覚めてすぐに気付く。自分と瓜二つで、おまけにお揃いのドレスを身にまとっている。双子かと見まごう容姿をしているのだから、少女だと思っても無理はない。


 けれど、口調は完全に男の子のそれだった。

 しかも、なんだか偉そうだ。


 第一王女たるユリアローゼに対して、あんなに尊大に振舞えるなんて、一体かの少年と自分はどういった関係だったのだろうか。


 しかも、あの魔法だ。

 7つや8つの幼い魔法使いが扱える代物ではない。


 そもそも魔法使い自体が二万人にひとりとも言われる希少な存在だ。その多くは国家に抱え込まれ宮廷魔法使いとして生涯を終える。火を扱える者、水を扱える者、物を浮かせられる者など、それぞれひとつの得意な魔法を持ち、2種類以上の魔法を扱える者は上級魔法使いとして爵位と城を与えられるほどに重用される。


 あの朝焼けの雲を封じ込めた小瓶。あれを作るためには、空が飛べることが条件だと本人が言っていた。そして少なくとも、朝焼けの光を雲に留める魔法、そしてその輝く雲を雲の形に保つ魔法、さらにそれを小瓶に封じ込める魔法が必要になると思われる。推測が正しければ4種類の魔法を扱えることになる。


 これでは少年は、他の追随を許さない、とんでもない天才魔法使いということになってしまう。


 そんな人物であるならば、なおさら自分が彼を忘れていることが信じられない。

 ユリアローゼが、過去の記憶を取り戻そうと躍起になるのに、時間はかからなかった。

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