第19話 記憶を奪われた日
ユリアローゼは離宮最上階にある自室の天蓋付きベッドに突っ伏していた。
リーンハルト様と、口づけをしてしまいました! でも、何故こんなことに? それに、リーンハルト様はどうしてあんなに怒ってしまわれたのでしょう?
リーンハルトとユリアローゼの魔力が込められたSランク金剛石の魔石を握りしめながら、ユリアローゼは混乱する頭をどうにか落ち着かせようと努力する。
整理しましょう。リーンハルト様が怒ったのは、わたくしが泣いたからです。リーンハルト様がわたくしの魔力に触れたことを不愉快に思ったと勘違いされてお怒りになられました。
熱心に指導しただけなのにセクハラ扱いをされたとあってはリーンハルトが怒るのも無理はない。
ですからわたくしはそれを否定しました。リーンハルト様の魔力が師匠の魔力と似ていたため懐かしさに涙が込み上げたと言いました。するとリーンハルト様はわたくしの唇を奪い、激怒されていたのでした。
しかし、ユリアローゼの弁解の言葉のどこがリーンハルトの逆鱗に触れたのかユリアローゼにはわからない。
わたくしの言葉がお気に召さなかったからって、何も口づけしなくても良いではありませんか!
黙らせるために唇を奪うなんて、さすがは魔性の皇帝だけあると変に納得してしまうだけ性質が悪い。しかも、殺気さえ放ちながら拒絶しているのに、言葉では口づけの続きをしようなどと脅して来るのだ。
口づけは、好きな人とするものですのに、何故?
ユリアローゼにはリーンハルトの気持ちが理解できない。
ですが、ひとつだけ分かりました。わたくし、リーンハルト様に嫌われてしまったみたいです……。
ユリアローゼの碧い瞳が涙に潤む。
何故だか分からないが、身を切るように痛い。とても悲しい気持ちに襲われていた。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
ここは夢の中だ、とユリアローゼは気づいた。
ユリアローゼは祖国ハイリヒトゥーム王国の城の謁見室にいて、玉座にいる両親を見上げていた。
「お前に政略結婚が決まった」
父王の言葉に、13歳のユリアローゼは息を飲む。
「お相手はどなたでしょう?」
震える声で問えば、父王は苦虫を噛み潰したような声で答えた。
「隣国アトランティッド帝国の皇帝ギュスターヴだ」
ユリアローゼは足元が崩れ落ちたような感覚に囚われる。
「ギュスターヴ様は、確か30歳を越えていたはず。ほとんど20歳も年上の方に嫁げとおっしゃるのですか?」
玉座の両親を睨みつけると、王妃は耐え切れなくなったのか泣き始めた。
「許せ、ユリア」
唇を噛み締めた父王の言葉に、ユリアローゼは自分がいくら我が儘を言ったところでこの決定が覆ることはないのだと悟った。
自国が攻め込まれ、領土争いに敗北を喫したのは知っている。戦勝国に和平のために姫を差し出せと言われてしまえば従うしかない。帝国とはそれだけ軍事力に差があり、属国である我が国に対抗する力はない。
王族に生まれたからには、自国民のため、平和のため、政治の切り札として動かなければならない時がある。
女として生まれたからには、いずれ政略結婚で好きでもない男の元に嫁がなければならないことは覚悟していた。
しかし、その相手がギュスターヴとは……。
沈み込みそうな心を奮い立たせ、ユリアローゼは顔を上げた。
「かしこまりました、お父様、お母様。輿入れはいつになるでしょう」
「ひと月後になる」
「分かりました。和平のため、そのお役目しっかりと果たしてみせます」
震える足を懸命に動かして、ユリアローゼは淑女の礼をとった。
13歳のユリアローゼは、自室のベッドで泣いていた。
アトランティッド帝国の皇帝ギュスターヴは、好戦的で他国に攻め入っては残虐非道な戦術で領土を奪う冷酷な男だ。
また好色で4人も妃を侍らせ、さらに妾も山のように抱えていると聞いたことがある。
13歳のユリアローゼからしてみれば、まだ結婚適齢期にも満たないのにも関わらず、両親と同世代の男に嫁ぐなど到底受け入れられるものでは無かった。
嗚咽を堪えようと試みるが、失敗に終わる。
泣き止める気がしなかった。
このまま朝になるまで泣き続ければ、涙になって消え去ることは出来るだろうか。
益体もないことを考えてさらに絶望して、ユリアローゼはまた泣いた。
カチャリ。
音がした方を見てみれば、金髪碧眼の少年が部屋に入って来たところだった。お揃いのドレスを身にまとった自分の片割れ。
弱々しく名前を呼ぶと、彼は駆け寄ってきて、ユリアローゼの傍らで膝をついた。
「ユリア、大丈夫だ。隣国には俺が行く」
しっかりと瞳を合わせて、少年は安心させるように微笑んだ。
「そのための替え玉だ。俺はこの日のためにユリアに仕えてきた」
「何てことを言うのです。あなたは男の子なんですよ。すぐばれるし、ばれたら殺されてしまいます。契約違反になって国際問題に発展するんですよ。ダメに決まってるではありませんか」
さっきまで泣いていたことも忘れてユリアローゼはまくしたてた。しかし、少年の決意は揺らがない。
「俺が、嫌なんだ。ユリアが他の男の、しかも好色なおっさん皇帝なんかのところに嫁がされるなんて我慢できない」
「わがまま言わないで」
「いや、言わせてもらう。輿入れには俺が行く。これは決定事項だ。陛下にも納得していただいた」
「お父様が納得? あなた何をする気?」
驚愕に目を見開いて問えば、少年は不敵に笑ってみせた。
「俺を誰だと思ってるんだ? 不死鳥の子、天才魔法使いリーンハルトだぜ。皇帝を弑して帝国を乗っ取ってやるよ」
「ばか! いくらハルトが育ての親の不死鳥さんから古代魔術を教わった天才魔法使いでも、まだ13歳なんだよ。そんなこと出来るわけないでしょう。無理です! 絶対に嫌。ハルトが、死んじゃう」
「死なない」
「嫌。もしもの可能性があるだけでそんな作戦許せない」
「好きなんだ!」
「え?」
驚いて見つめると、少し頬を染めた金髪碧眼のお姫様がユリアローゼの瞳をまっすぐ見つめ返して来た。
「俺、ユリアのことが好きなんだ! 誰にも奪われたくない。奪われるくらいだったら、俺が行く」
「めちゃくちゃだよ……。だって、ハルトには好きな人がいるって言ってたのに」
「ユリアのことだよ」
花がほころぶように微笑んだリーンハルトが、男の子の表情でそっとユリアローゼの頬に触れた。
「だから、俺にユリアを守らせて」
ユリアローゼの瞳に涙が滲む。気づけば幼子のように首を横に振っていた。
「嫌! 嫌、絶対嫌! 死ぬと分かってて、ハルトをそんなところに行かせられない! 私が行――うぐ」
気づけばユリアローゼは少年に唇を奪われていた。
重ねた唇から、ふたりの思い出を、リーンハルトに関する記憶だけを吸い取られている気配を感じ、ユリアローゼは暴れた。
唇が離れる。
「ハルトのバカ。ハルトなんて嫌いです!」
きっと睨みつけると、少年は眉を寄せた。その傷ついた表情にユリアローゼも苦しくなって涙をこぼす。
「それでも、俺はユリアが好きだ。だから守りたい。すまない。すぐ終わる。俺のことを全て忘れたら、ユリアは俺を身代わりにしたことにも罪悪感を抱かずにすむ。楽になるから――少し我慢して」
「嫌! わたくしの罪悪感なんてどうでも良い! そんなこと言うハルト嫌い! 大嫌い! やっ」
叫んだ口を、口付けで再び塞がれる。唇を吸われる感触と記憶を吸い出される感覚に頭がクラクラした。
嘘です。ハルト、嘘です! わたくしも貴方のことが好きです!
大好きです!
大好きなこの気持ち、忘れたくない! 忘れたくないのに……。
酷いです、ハルト。何でこんな酷いこと…………。
薄れゆく意識の中、ユリアローゼは自分の記憶を奪っていく少年にすがりついて涙をこぼした。そんなユリアローゼの背中を、もう名前も分からなくなってしまった少年がぎゅっとかき抱く。
その記憶さえ、ユリアローゼの中から消えて行った。
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