第5話 ―――の隠し事
「惚れ薬?」
ユリアローゼが半ば呆然とした声で繰り返すと、少年はこくりとうなずいた。
「惚れ薬って、あの、好きな人に飲ませると初対面でもふり向かせられるっていう――飲んだ人を自分に夢中にさせることができる、あの惚れ薬のこと?」
内心の動揺を隠して確認すると、少年は再びこくりとうなずいた。
「そうだ。服薬者の心を支配し、特定の人物のことしか考えられないように誘導し崇拝させることを目的として使用される飲み薬で、他にも多少の効能がある。ユリアの考えているよりあくどい使われ方をすることの多い薬だが、まあ、概ねその惚れ薬で間違いない」
王国の法で禁忌指定されているにも関わらず、裏では法外な値段で闇取引されている禁断の薬。
そんな薬を、なぜ自分の片割れが作り出そうとしているのか。
ユリアローゼは声をふるわせて尋ねた。
「まさか、―――……。好きな人がいるの?」
少女のその問いに、少年は少女とそっくりな顔をあからさまに動揺させた。
「は?! 違う! いやその、違うこともないが、でもこれは黙ってる約束で」
「黙ってる約束? そんな約束誰と……まさか、お父様と?」
思わずうなずいてしまってから、少年はさらに慌てた。
「あ、いや。これも守秘義務が。とにかく、相手が誰かは言えないんだが、俺がある方に懸想していることは間違いない……」
自分の瞳を覗き込むように見つめてくる少年を、ユリアローゼは今初めて出会ったかのような気分で見つめ返した。
ユリアローゼの父、国王ヒルデブレヒトに命じられたのならば、ユリアローゼには少年の想い人の正体を問い詰めることは出来ない。
少年は国王からユリアローゼを警護する騎士としての役目も仰せつかっている。いつも一緒にいられるのもその任があるからだ。
少年はその職種がら、王女であるユリアローゼのことをいつでも第一に考えなくてはならない。有事の際には命を懸けて王女を守らなければならない近衛騎士には、家族でさえしがらみになる。
父からすれば、少年の恋心なんて職務の障害にしかならないだろう。娘を不安にさせないために、少年に主であるユリアローゼ以外に大事な人を作らないよう強制し、恋心自体を存在しないものとして振舞えと命じたとしても不思議ではなかった。
それに思い至り、ユリアローゼはこわばる顔を叱咤して何食わぬ顔を装った。
「あらそうなの。―――は魔法素材が恋人かと思っていたけれど?」
いたずらっぽく小首を傾げると、少年は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「からかうな。俺は本気なんだ」
いつもの照れ屋な少年の態度も、今は何故か憎らしい。ユリアローゼは丹精込めた青薔薇の開花や少年の隠し事に戸惑って高ぶっていた気持ちが、急速に冷えていくのを感じていた。
へえ。わたくしを差し置いて、懸想している方がいらっしゃるの……。
女のプライドを総動員して不機嫌を笑顔の下に隠し、ユリアローゼは問いかけた。
「お相手はどんな方なの? お父様とお約束したならお名前は言えないでしょうけれど、興味がない訳ではないの。だって、―――はわたくしの分身だもの。一番近くにいるのだから、知る権利があると思うの」
「分身か……。確かにそうだな」
さっきまで狼狽していた少年は、急に冷静さを取り戻し、白い息を吐きだして自嘲気味に笑った。
そして、ユリアローゼのことをまっすぐ見つめながら語り始めた。
「俺のお慕いしているのは、極度に鈍感なお方だ。俺がどれだけあからさまにアピールしても、全く気付かない。おかげで俺はすっかり自信を失って、ナルシストにならずに済んだ」
冗談を挟んだことに気づいたが、ユリアローゼは笑顔で黙殺した。少年はめげずに気を取り直した。
「仲は良いと思うし、俺以上に彼女を知る人間はいないという自負もある。けれど、身分が釣り合わないから、彼女と俺が結ばれる未来は待っていても訪れない」
自分の片割れが結ばれぬ恋に苦悩していた。自分の知らないところで。
ユリアローゼはあまりのショックに拳を痛い程握りしめた。
「でも、残念ね。身分違いで結婚できないのでしょう? しかも―――の片思い。惚れ薬なんて物騒なものを持ち出す必要ありません。フラれたらわたくしが慰めてあげますから、安心してくださいね。そんな辛い恋、さっさと忘れてしまいましょう」
「……ユリアになんと言われても、俺は絶対に諦めないから」
「え?」
少年に強い視線で射抜かれて、ユリアローゼは固まった。
「情勢が危うくなったら最終手段として惚れ薬を使うことも辞さない。安心しろ。すぐに解毒薬を飲ませるから、俺のことを薬で好きになるのは一時的なものだ。だが、誰かに奪われるくらいなら手段は選ばない。誰にも渡す気はない」
「そんな、無茶苦茶です。自分が何を言ってるか分かってますか?」
静かにうなずいた自分の片割れを見て、ユリアローゼは絶句した。少年の中にこんなにも苛烈な情熱が宿っていたなんて初めて知った。
「そんなに、好きなの?」
「ああ」
「惚れ薬を使うのは犯罪だよ?」
「わかってる」
少年の決意が固いのを悟り、ユリアローゼは唇を噛んだ。
変なところで生真面目で責任感の強い少年のことだ。禁薬を使うなどと口にしてはいても、想い人が本当に嫌がることをする人ではない。最終手段だと言っていたし、念には念をと準備しているだけで、本気で使う気はないのかもしれない。手札を増やしておくに越したことはないのだから。
ユリアローゼは長い付き合いから、少年のことを信頼していた。
何をやらせても優秀でさり気ない気配りも卒なくこなす少年は、年上の侍女たちからも人気が高い。その想い人とやらも、そんな少年にこれだけ大事に想われて悪い気はしないだろう。少年はなんだかんだと言っても、きっとうまくやるに違いない。
ユリアローゼは真っ白な息に憂鬱な気持ちを乗せて吐きだした。
ちらちらと粉雪が舞っている。凍てつく夜の空気に、身体が冷えきってしまった。そろそろ部屋に戻らないと風邪をひいてしまうかもしれない。
少年との秘密の冒険をお開きにするなら潮時だ。
ユリアローゼはこれが最後、とばかりに疑問を口にのぼらせた。
「いつから? いつからその方のことをお慕いしているの?」
少年は、思案気に遠くを見つめた。
「そうだな。出会ってから好きになるのに時間はかからなかったが、明確にいつかというのは忘れてしまった。でも、あえて言うとするなら7つの冬頃かな」
ユリアローゼと少年が出会ったのが7歳の夏だから、少年は王宮に来てから半年くらいで恋に落ちたことになる。もう3年も前の話だ。
10歳の少女にとっての3年は長い。物心ついてからの人生の大半を占めると言っても過言ではない。大人にとっては瞬く間でも、少女にとっては永遠のようにも感じられる期間。そんな大事な時間に、長きに渡って、自分の片割れが自分の知らないうちに誰かに向けて恋心を温めていたのだと知り、ユリアローゼは傷ついた。
そんなに前から……。
気を抜くと涙が溢れ出しそうになる目に力を込めて、ユリアローゼは口を開いた。
「―――にそんな方がいたなんて知らなかったわ。わたくしも、微力ながら―――の恋を応援するわね。―――には幸せになってほしいもの」
無理やり笑顔を作ると、少年は苦笑いで答えた。
「ありがとう。ユリアにそう言ってもらえると心強いな」
ふたりは話しを終えると帰路についた。
降り積もった雪を踏みしめ足跡を作っていると、横を歩く少年からそっと何かを差し出された。その気配を察してユリアローゼが顔を上げると、緊張した顔の少年が空のように青い大輪の薔薇を押し付けてくる。
「え?」
「せっかく一緒に育てたんだ。部屋に飾ろう。俺と違ってユリアは花が好きだろう?」
ユリアローゼは素直にこくんとうなずいた。すると少年は、勝ち誇ったように笑った。
「だと思った」
泣きそうになりながら、ユリアローゼは受け取った青薔薇を握りしめた。蔓には一本の棘も見当たらない。
少年は、ユリアローゼにとても優しい。いつも通りに優しい。
それなのに、少年には職務上の主でしかないユリアローゼ以上に大事な人がいる。ユリアローゼが翌日のデザートやパーティーで少年に着せるドレスについてのん気に悩んだり、惚れ薬の材料だとも知らずに青薔薇の世話に苦心して過ごした3年の間も、少年には心に秘めて想い続けてきた人がいたのだ。
少年は、自分ではない誰かに恋心を捧げている。
ユリアローゼには何故だかそれが、泣きたくなる程痛かった。
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