第4話 青薔薇

 湖面に差した月光を採取したあの不思議な夜からしばらく経った頃と思われる夢の中で、幼いユリアローゼはどうやら不機嫌を周囲にまき散らしているようだった。


 特別なわがままを言ったり、大人を困らせるような行動をあえてすることはない。


 ただ純粋に不機嫌なだけなのだが、幼さ故にそれを内心に隠すことが出来ないのだ。侍女たちが心配そうな顔で自分をうかがっていることにはすぐに気づいたが、だからといって気丈に振舞うのは難しかった。


 原因は、自分の片割れの少年だ。


 毎朝必ず、目覚めるとすぐに現れるはずの少年が、なかなか姿を見せない。しかも、その日に限ったことではなく、ここ数日、毎朝だ。ユリアローゼが朝食を食べ始めてから、何食わぬ顔で遅れて部屋に入ってくる。


 自分との朝の時間をないがしろにするなんて、とても許せない。目覚めてから侍女が来るまでの短い時間には、その日の予定を確認したり、食後すぐに始まる授業の復習や確認をしたりと、やることが多いのだ。それに合わせたドレスをふたりで選ぶ必要もある。ユリアローゼひとりでもこなせるルーティンだったが、提案してきたのは少年の方なのだ。


 起き抜けのまどろんでいたい時間を我慢して、寝ぼけ顔を片割れにさらす恥ずかしさにも耐え、少年の説得に応じてきたのだ。少年には朝の時間に対する提案者の責任があるに違いない。


 それを忘れてしまったかのように放棄する少年の所業は許し難かった。


「ちょっと、―――! 遅いですよ。お食事の時間がもう始まっています」

「そう目くじらを立てるな。どうせお前のゆっくりペースでは、まだ食べ終わってないだろう? それに俺は、次の予定に影響が出ないように食べられるから問題ない」


 悪びれもしない少年の態度に、ユリアローゼはまなじりを釣り上げた。


「問題あります! わたくしひとりでは、食事がおいしくないでしょう!」

「そんなことか。どうせ昼も夜も一緒に摂るんだから、一食くらい別でもかまわないだろ? それとも、これだけ一緒にいて、まだ足りないとでも言うつもりか?」


 からかうような視線を投げられ、ユリアローゼは憤慨した。


「そんなんじゃありません! 何よ、お寝坊の言い訳じゃない」

「まあ、否定はしないが」

「ああーーっ! 認めるのですね!」

「睡眠時間を削るのは気が進まない。身体が成長しないと将来みっともないことになるからな」


 しれっと言われて、ユリアローゼはぐぬぬとうなった。


「―――、あなたもしかして、またわたくしに隠れて何かやっているのですね?」


 一応疑問形の体を取っていたが、ユリアローゼは、この時すでに片割れが隠し事をしていると決めてかかっていた。目力を込めて睨みつけるユリアローゼを見て、少年は肩をすくめた。


「否定はしない」

「後で教えなさい」

「仰せのままに。俺の姫君」


 慇懃に礼をとった少年を冷ややかに睨みつけると、ユリアローゼは急いで食事を進めた。




「まあ、これはなんですの?」


 宮殿の広大な庭の片隅に忘れられたように放置されている場所があった。普段人通りのまるでない庭の一角に、その植物は植わっていた。


 棘の生えた蔓に、濃緑でギザギザとした葉が茂っている。


「青薔薇だ」

「青薔薇なんて、どこにも咲いていないじゃない」

「いずれ咲く。青薔薇は冬咲きだ。白薔薇の株を聖水で育てる必要がある。秋に咲かせず蕾を残し、冬に葉をすべて落としきった後に、痺れる程に凍える雪の夜にのみ花を咲かせる」


 ユリアローゼは少年の説明に疑わしそうに目をすがめた。


「あらそう。―――にガーデニングの趣味があるなんて知りませんでしたわ。でも、それだけならわたくしに隠す必要はありませんよね?」

「隠すつもりはなかったが、まだ言いたくはなかった」

「なぜ?」

「俺も青薔薇を育てるのは初めてだ。その、失敗したらカッコ悪いだろう」

「へ?」


 気まずそうに頬をかいた少年を、ユリアローゼは吃驚して見つめた。


「驚きました。―――でもそんなことを気にすることがあるのですね」

「まあ、そりゃあ、人並みに」


 照れる少年を見ながら、――どう見ても恥じらう可憐な姫にしか見えない――、ユリアローゼは「へええ」と感心しながらうなずいた。


「でも、これで納得しました。―――が湖面に差した月光をあんなに大量に採集したのは、青薔薇を育てるためだったのですね」


 少年はこくりとうなずいた。


「足りなくなったらまた採集に行く。せっかくだから、その時はユリアローゼも一緒に行くか?」

「もちろん! それなら、青薔薇の世話も一緒にしませんか? どうせなら眠る時間を早くして、早起きしましょう。―――と一緒なら、きっとなんだって楽しいわ!」


 さっきまで不機嫌だったことなどもうすっかり忘れて、ユリアローゼは新たな企みにわくわくと瞳を輝かせた。ふたりだけの秘密が増えていくことが楽しくて仕方がない。お転婆な王女は大輪の花が咲きほころぶように微笑んだ。




 季節が移り替わり、冬を迎えた。


 ユリアローゼとその片割れが育てた薔薇は、ふたりの献身的な世話のおかげで順調に育ち、ついに花を咲かせた。


 空のような青い花弁を持ついくつもの薔薇は、聖水の魔力をたたえており、最上級の魔石に匹敵する独特の強いオーラを漂わせていた。


「やった! やりましたね、―――!」

「しっ、静かに。大人に気づかれるぞ」

「そうだった」


 慌てて口を押えたユリアローゼにうなずいてみせてから、少年は慎重に青薔薇を検分した。すぐにほっとしたように白い息を吐きだした。


「よかった。成功だ」

「何のことですか?」

「ああ、失敗したらカッコ悪いから黙っていたが、俺はこれを採取したかったんだ」


 少年はおもむろに小瓶を取り出すと、青薔薇にそっと触れた。がくの下に手を差し込み花を支えると、蔓をしならせて花を傾ける。咲いたばかりの青薔薇から、虹色の雫が零れ落ちた。


「青薔薇の蜜だ。俺はこれを採取したかったんだ」

「まあ。また魔法素材の採集ですか。納得です。―――に薔薇だなんて、見た目には似合うけれど、性格的には意外だったの。理屈屋で無駄を省くのが好きでしょう? 前に誕生日に頂いた花束を見て、部屋が散らかるって言い放っていたのに、おかしいと思っていたわ」


 うんうんとうなずくユリアローゼに、少年は苦笑いで返事をかえした。その後は、黙々と青薔薇の蜜の採集を進めた。そんな少年をしばらく見つめていたユリアローゼだったが、ふと浮かんだ疑問をそのまま口にしてみた。


「ねえ、―――? 湖面に差した月光は、青薔薇の蜜を集めるのに必要だったのよね。だったら、青薔薇の蜜も何かを作るのに必要な素材なの?」


 小首を傾げたユリアローゼの言葉に、少年はぎくりとして固まった。ユリアローゼの女の勘が、隠し事の気配を敏感に察知する。


 にっこりとほほ笑み、猫なで声で名前を呼ぶと、少年も不自然な程のきらきら笑顔で振り返った。


「まさか。青薔薇の蜜は、美しいから、趣味で集めたんだ。俺は魔法素材の蒐集家コレクターなんだよ」

「うそ」

「本当」

「うそ!」


 瞬時に涙目になってユリアローゼが睨むと、少年はあからさまに怯んだ。


「どうしてすぐに隠し事するの? わたくしに話せないことがあるの?」


 信頼しきってすべてをさらけ出している相棒に、同じようにすべてを明かしてもらえない寂しさに幼い少女は涙をこぼした。恋愛もまだ知らない幼い少女の、少女らしい独占欲を抱えた彼女の目には、相方の隠し事は明確な裏切り行為に写った。


 そこまで深い心の機微はわからなくても、ユリアローゼが深く傷ついているらしいことは誰の目にも明白で、少年はオロオロと慌てだす。


「わ、わかった。白状する。だから、泣かないでくれ」

「本当? うそつかない?」


 ユリアローゼがうるうるとした瞳で見つめると、少年はひどく動揺した顔で目を泳がせた。そして、「なんでバレたんだ」とか「だからユリアに話すのは嫌だったんだ」とかうなだれてぶつぶつと呟いた後、覚悟するように白い息を吐きだすと伺うような表情で口を開いた。


「青薔薇の蜜は万能で、ほとんどの魔法薬の質を劇的に高める効果がある。前人未踏の秘薬といわれる蘇生薬にも必須の素材だ。だが俺が蜜を求めたのは、惚れ薬を作るためだ」


「え?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る