第24話 魔剣エクリプス

「――お前、最初から気に入らなかったんだ。ここで死ね」


 リーンハルトは、裏切られた悲痛に胸を焼かれそうな気持ちで腕の中の女を見つめた。


 魔剣が封じてあった特大ケースを背にして震えながら見つめ返してくる金髪碧眼の美女。彼女の両手には、裏切りの証拠たる魔剣エクリプスがしっかりと握られていた。


 リーンハルトは、ドレスに隠された彼女の足の間に自らの足を差し込んで動きを封じ、左手をケースにもたれさせて女と自分との距離をつめている。


 そしてリーンハルトの右手は、ユリアローゼの細い首を掴んでいた。リーンハルトが少し力を込めれば、彼女の命はあっけなくこと切れるだろう。


 ユリアローゼは息を止め、泣き出しそうになる瞳に力を込めて自分を見上げている。


 ことここに来て、リーンハルトは迷っていた。







 今のリーンハルトとしての意識は、15の時に覚醒した。直前までの記憶を契約の代償として失ったと下級官吏の胡散臭い男に聞かされた。


「記憶を失う前の貴方の野望は、我が国、アトランティッド帝国を手中に収めること。皇帝ギュスターヴを弑逆し、帝位を簒奪することを悲願とされていました。貴方は、貴方にとって一番大事な記憶を代償に、野望を成就させるための力を手に入れました。戦わなければなりません」


 言われるがままに先帝を屠り、帝冠を戴いた。


 下級官吏はオトテールと名乗った。オトテールは、誰も知らないリーンハルトの過去を知っていると宣った。


 曰く、リーンハルトは隣国ハイリヒトゥームの王女の身代わりに帝国に輿入れしてきた替え玉で、帝位を簒奪する野望を持った男であった、と。


 女装して王女に成り代わり、3年もの期間を生活していたなどとはにわかには信じがたかったリーンハルトは、騙されるものかと憤った。


 しかし、オトテール以外に味方のいなかったリーンハルトは彼を頼るしかなかった。使ってみれば有能な男で、皇帝の権限で2階級昇爵させ侯爵位を授けるとともに、宰相に任じて腐敗した議会を整えさせた。


 内政に手を取られているうちに隣国から攻め込まれてはたまらないという理由で、リーンハルト自身がなり替わっていたという王女を妃にしろとオトテールに勧められた。それが一番手っ取り早く安全を確保できたので渋々従うしかなかった。


 そんな経緯で話を聞かされても、リーンハルトには厄介な女だとしか思えず興味も持てなかった。何せ、顔も思い出せないような女だ。自分の顔に執着のなかったリーンハルトにとって、自分と似て美しいらしい等と言われてもピンと来ない。


 面倒がって放置しているうちに戴冠より3年の月日が経った。


 いよいよもって、貴族たちが政略のため自らの利になる令嬢を押し付けようと躍起になってきた。リーンハルトがあまりの煩わしさにストレスで体調を崩し始めたのを見かねて、オトテールがユリアローゼを呼び寄せようと提案してきた。


 皇妃が公に姿を見せないから貴族たちがつけあがるのだ。正当な手続きで定めた正妃との仲を見せつけ、妾はとらないと喧伝する。ばかばかしい茶番だったが、リーンハルトは反対しなかった。


 そして、隣国からはるばる輿入れしてきたのが、ユリアローゼである。


 初めて、女に安らぎを感じた。可愛いと思った。彼女の口から他の男の話を聞きたくないと思ったし、自分を意識させたいと思った。手まで出した。


 何もかもが、他の女と違うと感じた。自分にとってのただひとりだと確信した。過去の自分は、やはり正しかったのだ。運命すら感じた。


 振り向かない彼女にどうしようもなく苛立ち、泣きわめいても自分のものにしてしまおうか等と狂暴なことも考えた。


 それほどまでにリーンハルトの心を乱し、執着させたにも拘わらず、しかし、女は裏切った。


 リーンハルトの寝室に忍び込み、皇帝の剣を盗み出したのだ。


 魔剣エクリプスをハイリヒトゥームに持ち帰れば、帝国の軍事力を大いに削ぐことが出来る。祖国からの密命を秘めた女にはとても見えなかったが、気取らせなかったのだとしたら優秀な間者だったということだ。


 だいたい、オトテールの話を全部信じるということ自体が間違っていたのかもしれない。リーンハルトには15より以前の記憶がほとんどないのだ。そこを付け込まれ利用されたのかもしれない。現に、オトテールはリーンハルトから爵位と役職を与えられ、下級官吏からは望外ともいえる出世を果たした。


 ハイリヒトゥーム王国、王女、そしてオトテール。これだけ駒が揃うなら、陰謀など一瞬で何通りでも思いつくことが出来る。


 しかし、腕の中で震える女と、傾国を企む刺客という役目があまりにもそぐわないように見えて、リーンハルトは戸惑っていた。







「最後に言い残すことはあるか?」


 静かに問えば、ユリアローゼは囁くようにか細い声で答えた。


「わたくしは、リーンハルト様を裏切っていません」


「嘘をつくな」


「嘘ではありません」


「では、何故剣を盗んだ?」


「それは――――」


 そこまで言って、ユリアローゼは目を見開いた。瞬間、リーンハルトは背後に倒れ込んだ。間抜けにも尻餅をつく。振り返れば従魔の子竜がリーンハルトの寝着の首根っこをやっと解放した。


「ミストラル、お前」


「ご主人様、ダメだよ! ユリアを殺しちゃダメだ!」


「それは俺が判断することだと言っただろう」


「でも、ダメなんだよ! 絶対ダメ! 僕は反対だ! ご主人様が殺すと言うなら、僕は反抗するしかない!」


「――良いだろう。そこまで言うんだ。やってみろ」


 瞬間、ミストラルは風を起こす。つむじ風は大きく育ち、周囲の宝物を巻き上げた。リーンハルトは落ち着いた動きで魔法陣を発動させ、その場に悠然と立ち上がった。


「そんなそよ風では俺を殺せないぞ」


「ご主人様を殺す気なんてないから良いんだよ。それに僕の狙いは別にある」


 子竜の言葉にはっとしたリーンハルトは素早く背後をふり返った。そこには、追い詰めたはずの女がいない。旋風が運んだのはユリアローゼの方だった。視線を走らせ辺りを見回すと、入り口近くの壁際、オトテールの横に倒れる彼女がいた。しかし、その手には魔剣がない。


「ご主人様は、これを取り返したかったんでしょ。ほらもう、僕が取り返したよ」


 ミストラルの頭上、宙に浮くエクリプスがあった。


「それで? 取り返したならすぐに持って来い。何故そこでぼうっとしている?」


「いまは返せない。いまのご主人様、良くない目をしているでしょ。寝起きで、まだ魔剣の影響が残っているんだと思う。考え方が極端になってるよね? いまこれを返したら、悪いことが起きる気がする」


 警戒心をむき出しにしたミストラルが、牽制するように剣を背後にかばった。リーンハルトは不敵に笑った。


「お前の心配することではない。さっきも言っただろう。しつけがまだ足りないのか?」


 ミストラルは息を飲んだ。


 宝物庫に顕現する前、寝室で飛び起きたリーンハルトは、魔剣を追うのを阻もうとしたミストラルを適当にいたぶった。その時の痛みを思い出したのだろう。ミストラルは平気そうに振舞っているが、打ち身でボロボロのはずだ。


「ご主人様、落ち着いて」


「俺はいつだって沈着だ」


「嘘だよ……ご主人様、どうしちゃったの?」


「俺はいつもと同じだ」


 リーンハルトは何か言いかけたミストラルの言葉を無視して、魔法陣を展開させる。手を前に突き出した。それだけで、魔剣は子竜の支配を逃れ、所有者の元へと帰って来た。


 宙に浮かんだエクリプスの柄を握る。リーンハルトは、鞘から魔剣を一息に引き抜いた。


「ご主人様!」


 ミストラルの悲鳴。しかし、剣を突き付けると、ミストラルは途端にその瞳を虚ろに曇らせた。


「ミストラル、ユリアローゼを連れてこい」


「わかった」


 魔剣の力に支配された子竜が、踵を返して翼をはためかせる。すると、倒れたままのユリアローゼが身を起こし、ゆっくりとリーンハルトの元へと歩いてきた。


 子竜に操られて傍に参じた自らの妃を眺めて、リーンハルトは思案する。


 俺は何故、こんな女に執着していたんだ? 冷静になって考えてみると、女に煩わされるなど莫迦げている。俺は力を手に入れた。しかし、もっと欲しい。この女の首をハイリヒトゥームに送り返すことを皮切りに、国のひとつでも奪ってみるのも一興かもしれない。


 握り締める魔剣の柄から、リーンハルトを高揚させる闇の波動を感じる。


 リーンハルトは、今度こそ迷いなく剣身を女の首めがけて振り下ろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶喪失の王女は政略結婚で初恋を取り戻す みさと みり @misatomiri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ