第23話 皇帝から見た彼女
皇帝リーンハルトが初めてユリアローゼと対面した時、彼は驚いた。ユリアローゼの容貌があまりに自分の幼少期の姿と酷似していたためだ。
プラチナブロンドの髪。常夏の海のようなエメラルドブルーの瞳。背格好も当時の自分と同じくらい。これだけ似ていれば、オトテールが言ったように、自分がこの娘の影武者だったという話も眉唾ではなくなる、と思った。
リーンハルトが主催した絢爛豪華な舞踏会。
ボールルームの中心でふたり、臣下の視線をいっせいに集めながらダンスを踊っているうちに、リーンハルトは彼女の手の小ささ、支える背中の華奢なことにすぐに気づいた。じっと顔を観察していると、鼻は自分のものより小ぶりだとか、果実のように瑞々しい唇は自分のものよりぽってりとして女性らしいことにも気づく。
あまりに熱心に観察し過ぎたため怪しまれてしまい、リーンハルトは内心焦りながらも適当な言い訳を並べて誤魔化す。すると彼女は顔を真っ赤にして照れて慌てた。しかし、男慣れしていないだけで、決してのぼせ上がることはない。すぐに義務的な態度に戻りダンスに集中し始める。
それが、リーンハルトは面白くなかった。
オトテールによれば、自分は彼女を命懸けで守る騎士だったという話だ。リーンハルトは女装までして身代わりとして帝国へ乗り込み、宣言通り帝冠を奪い取った。しかし、彼女はその経緯を何も知らず、過去のリーンハルトの存在さえ忘れ去っているという。高貴な生まれの彼女にとって、どこの馬の骨ともわからないリーンハルトなど眼中にないと思い知らされるようで、不快だった。
政略結婚を求めてくる貴族たちを牽制するために開いた舞踏会だったため、言い訳が立った。妃との仲を周りに見せつける、そのための舞台だ。自分が用意できうる限りで最上級に甘いマスクをかぶり、リーンハルトはユリアローゼを何かとかまって甘やかした。そして、彼女の反応を確かめてみる。しかし、ユリアローゼは自分に心を開く様子はない。
それどころか、仕事だからと身体に鞭を打ち、長旅の疲労を抱えたまま長時間舞踏会の茶番に付き合ってみせた。それは、リーンハルトの目には政略結婚で嫌々ながらに来たという態度そのものに映った。
オトテールからも、記憶を失くす前の自分はユリアローゼに片思いしていたと聞かされている。彼女はリーンハルトに興味がない。それなのに、彼女の反応に一喜一憂していることが莫迦らしくなって、リーンハルトは向き合う気をなくした。
何故俺が、このような恩知らずの機嫌を取らなければならない? 子供の頃の俺は何故こんな女に執着していたんだ。全くもって理解不能だ。
美しいには美しいが、それを言うなら俺だって負けていない。皇妃に相応しい作法は仕込まれているようだが、生まれを考えれば当然だ。魔力はある程度あるようだが、術を知らなければ意味がない。それ以外に特筆した点のない女だ。少し冷たい言葉を吐いておけば近づいて来なくなるだろう。
その時はそう思っていた。
しかし、リーンハルトの予想に反してユリアローゼはしつこく対話を求めてきた。面倒で追い返すのだが、諦めずに毎日毎日執務室にやって来る。リーンハルト自身に興味がある訳ではない。リーンハルトの持つ魔法の知識にだけ用があるのだ。まったくもって面白くない。リーンハルトはユリアローゼを無視することを決め込んだ。
そんなある朝、回復薬を作るため、朝焼けの雲を採集に行った。いつものようにミストラルに乗って出かけると、ユリアローゼが追ってきた。古代魔術のひとつ、飛行術を使ってだ。
自分以外に飛行術を使う者を見たのは初めてだった。気になって話を聞けば、A+ランクの魔石を生成できるという。宮殿図書館の魔導書を全て読めなどという時間ばかりかかる面倒な課題を与えれば、半月でこなしてみせた。それも古代魔術の速読術を使ってだ。
オトテールの話では、過去のリーンハルトは、ユリアローゼは魔法使いとしては未熟だと話していたと聞いていた。しかし、18歳に成長したユリアローゼは古代魔術をいくつも操る、立派な魔法使いだ。身分が違えば国家魔法使いとして一線で活躍していただろう人材である。
リーンハルトは、ユリアローゼを無視できなくなっていった。
さらに、彼女は、リーンハルトの寝室に侵入し、ミストラルを手なずけてベッドに忍び込んで来た。
朝、まどろみの中で、聖女の魔力の清廉な気配を感じた。心地よくて、それをもっと感じようとして、気づいた時には腕に彼女を抱きこんでいた。腕の中にすっぽりと納まった暖かなぬくもり。不思議と落ち着く甘い香り。
しばらく夢うつつのまま堪能していると、頭の上からミストラルのとぼけた声が聞こえてきた。覚醒した瞬間、リーンハルトは腕の中にある女の肌の柔らかさに慄いてユリアローゼを放り出した。
リーンハルトの心臓の鼓動がばくばくと音を立ててうるさく鳴り響く。それを彼女に知られることを怖れて、柄にもなく慌てて「男の寝所に入るとは何事か」と怒鳴りつけたリーンハルト。対するユリアローゼはマイペースで、顔に疑問符を張り付けてきょとんとした。彼女は男女の閨の作法をまるで知らない子供だったのだ。
女ひとり侵入させて何も気づかず朝までのん気に熟睡してしまった自分も自分だが、男の寝室に侵入してとぼけたことを抜かすユリアローゼも大概だ。まったくもって非常識な女だ、とリーンハルトは憤った。
リーンハルトはユリアローゼを強烈に意識せざるを得なかった。
さらに数日後、宮殿内の研究室で巨大スライムが発生するという騒ぎが起こった。
被害は少なかったが、ミストラルが不調だったため対応が後手に回った。助けたユリアローゼはもっと強くなりたいと言った。
「わたくしだって皇妃です。いざというとき、帝国のために力になりたいです。見ているだけの姫でいるのはもう嫌なんです」
スライムに捕食されかけて恐ろしい思いをしたばかりだ。顔を青く染めて震えながら、それでも健気に帝国のため、などと力を望んだ。
リーンハルト自身にも、何故そんな気になったのかはわからない。しかし気づけば、古代魔術の一端を彼女に教えることを約束していた。
執務室にユリアローゼを招き、魔力増幅のための講義を開いた。
ユリアローゼにガラス玉に魔力を込めさせ、魔石に形質変化させるように促しながら、リーンハルトは魔力を込める手順に間違いや悪い癖がないか確認した。
予想通り、ユリアローゼは魔力を全身に巡らせるという基礎的な手順を知らなかった。
「お前に飛行術を教えた者は何故こんな初歩を教えなかったんだか」
リーンハルトのほんの軽い気持ちで吐いたからかいの言葉に、ユリアローゼは酷く反発した。
「む。師匠を悪く言うのはおやめ下さい!」
ユリアローゼの口から「師匠」という単語が出てきたのはこれで2度目だ。
しかし、王女に飛行術を伝授した人物がいるとは、リーンハルトはオトテールから報告を受けていない。過去のリーンハルトはユリアローゼを弟子にとった等とは一言も言わなかったという。
それならば、リーンハルトとは別に、古代魔術を知り、ユリアローゼの気を惹いた男がいたということだ。
しかし、どうせたいした人物ではないに違いない。現に彼女はいま、俺に魔術を師事しようとしている。その男がユリアローゼを満足させることが出来なかった証拠だ。
リーンハルトは気を取り直した。
魔力を全身に巡らせる感覚を口で説明するのは難しく、また面倒だ。リーンハルトは手っ取り早く、ユリアローゼの手を握り、彼女の身体の中の魔力を操作して眠っている魔力を引っ張り出してみせた。
どうだ。これでお前も俺の実力を認め、感謝するだろう。
得意げになって彼女の顔を見れば、しかし、彼女は泣き出した。
「わたくし、嬉しくて。リーンハルト様の魔力と、わたくしの師匠の魔力がとても似ていて――。とても似ていて、それでわたくし、懐かしくて、嬉しくなってしまったんです」
ユリアローゼはそう言って、綺麗な涙をこぼした。
気づいた時には、リーンハルトはユリアローゼの唇を奪っていた。
驚いたユリアローゼが目を見開いたまま固まる姿が、初で可愛いことにリーンハルトは気をよくした。
もっと自分を意識させたくて、柔らかい唇を自分のそれで挟みこんで吸ってやる。
そして、息も出来ずに見つめてくる自分の妃のはずの女に、苛立ちを隠しもせず「他の男の事は忘れろ」と命じていた。
「で、ですが、リーンハルト様はわたくしと愛し合うつもりはないと」
「そうだったな。ではもう、俺と関わりを持とうとするな。目障りだ。それとも、ここに残るなら口づけの続きでもするか?」
挑発的な態度で、顎をすくおうとすれば、ユリアローゼはすくみ上った。
「あの、わたくし。――ごめんなさい!」
ユリアローゼは震える足を叱咤して、リーンハルトから距離を取ると、一目散に執務室から逃げ出した。
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