第22話 宝物庫

「何か当てがあるのですか?」


「……そうですね。当てというよりも疑問なんですけど、先ほどのお話で侯爵様は、リーンハルト様は、先帝によって魔力の一部を封じられてしまったとおっしゃいましたよね。詳しくご存知ですか?」


 ユリアローゼの問いかけに、オトテールは首をひねった。


「その件については、何故か陛下はお話ししてくださらないのですよね。ですから、経緯などは私も把握していないのですが、何でも心臓の一部に魔力の澱があって、魔力をうまく扱えないのだとか」


 オトテールの言葉に、ユリアローゼは何かを思い付きそうになったが、喉まで出かかっているのにそれが何かが掴めない。ユリアローゼは歯噛みしたくなる気持ちを押し殺し、口を開いた。


「ハルトだったら、魔剣なんかに絶対に負けませんでした。ハルトの魔力は無尽蔵と言っても差し支えない程でしたもの。リーンハルト様が魔法陣を使わなければならなくなったのも、ハルトよりも魔力値が少なかったのも、すべて先帝のせいだったのですね。許せません!」


 ぎりぎりと奥歯を噛みしめるユリアローゼに、オトテールも同意した。


「私も彼には辛酸を舐めさせられました。私だけでなく、帝国貴族のほとんどが、それどころか市井に至るまで帝国国民のほとんどが、先帝を恨んでいると思いますよ」


 しばらくの間、ふたりで故人をこき下ろした後、再び沈黙が降りる。


「……魔剣を調べれば、何かわかるでしょうか」


「皇妃様。また大胆な。陛下は常に魔剣を手の届く場所で管理されています。他人に預けたりはなさいません。陛下に事情を話しても協力は見込めないでしょうから、陛下に気づかれないように秘密裏にことを運ぶしかありませんが、そんなことは不可能です」


「夜中にお部屋に忍び込んで、寝ている隙に少しばかりお借りすれば良いではありませんか」


「まさか。陛下は寝室に他人が近づけばすぐに飛び起きます」


「え? でもわたくし、以前陛下とお話がしたくて夜中にお部屋に伺ったことがありますよ。陛下はご就寝中でしたので、ミストラル君の勧めでベッドをお借りして3人で眠ったんです。陛下は朝までぐっすり熟睡されましたよ?」


「ええっ! それはまた……」


 驚いて思わず目を見開いたオトテールである。


 オトテールは上司が自分の妃を気に入っているとは思っていたが、まさかそこまで事態が進んでいるとは想像もしていなかった。現在のリーンハルトのユリアローゼに対する感情・執着度合いを秘かに上方修正して、心に留め置く。


 それと同時に、少しばかり気が抜けた。


 あれだけ女嫌いをこじらせてきたリーンハルトだ。妃の座を狙う令嬢たちに寝室に忍び込まれたことも数知れず。その度に激怒して令嬢の親を破滅に落とし込んで来たような男が、ことユリアローゼに関してはお咎めなし。それどころか、側近であるオトテールに報告さえしない。


 戴冠前のリーンハルトの悲願だからと、他の貴族の反対を抑え、無理やり何も覚えていない皇帝とユリアローゼとを結びつけたのはオトテールだ。もしかして、自分のエゴなのではないかと不安にかられた日もあった。


 しかし、蓋を開けてみれば。


 リーンハルトは妃のことを口ではこき下ろしながらも憎からず思っている様子。また妃の記憶は戻り、リーンハルトの記憶を取り戻さんとひとり奮闘し始めてもいる。


 オトテールは、微笑んだ。いつもの胡散臭い笑みではなく、心からの微笑である。


「皇妃様。それが本当でしたら、魔剣をお調べになってみてください。きっと何か分かります。私もそれを信じましょう」


「そうね。やってみます」


 オトテールの感慨など知る由もなく、ただひたすらにリーンハルトだけを想い、真剣な顔でうなずいたユリアローゼだった。







 オトテールとの密談より数日後の深夜、ユリアローゼは飛行術を駆使して、再びバルコニーからリーンハルトの寝室へ忍び込んだ。


「……ユリア?」


 オトテールによって事前に来訪を告げられていたミストラルが首をもたげた。


 ユリアローゼは人差し指を唇に当てるジェスチャーを返答に代えて、室内に滑り込む。ミストラルはこくりとうなずくと、素知らぬふりで再び丸くなった。


 天蓋付きの大きなベッド、そのヘッドボードに、大きな魔石がいくつも付いた鞘に収まった一振りの剣が立てかけられている。


 妖しい存在感を放っているのは、魔剣エクリプス。


 ユリアローゼの今夜の獲物である。


 そろそろと足音を忍ばせて近づき、そっと触れる。何事も起きない。ちらりとリーンハルトの方に目をやれば、あどけない表情を浮かべ熟睡しているようだ。それらを確認した後、ユリアローゼは魔剣を掴んだ。両手で抱え直してからは、振り返らずに部屋を後にする。


 来た時とは違い、執務室の方へ抜け、そのまま廊下へと出ると、オトテールが待ち構えていた。


「まさか、本当にやってのけるとは。さすがです」


「急ぎましょう」


 うなずいたオトテールに案内されて、宝物庫へ向かう。


 仰々しい細工の施された金の鍵を使って扉を開けると、500年の栄華を誇る帝国の遺産が整然と並ぶ壮観な景色が広がっていた。高い天井までうずたかく積まれた金銀財宝の数々。オリハルコンやヒヒイロカネで出来た武器や、歴代皇族の冠、錫杖、魔装具など、それひとつで城が建つほどの価値を持つ国宝が山のように並んでいた。


「そんなに見ないでください。先帝が放蕩の限りを尽くしたせいで、最盛期の半分になってしまったんですよ。全くお恥ずかしい」


「……これで半分ですか」


 実家の宝物庫と比べて目を白黒させるユリアローゼである。絶対に帝国と敵対してはならないと父王に言い含めなければ、と密かに心に誓いながら、宝物庫を先へ進んだ。


「こちらのケースです。エクリプスが封印されていたのは」


 オトテールに促されて、ユリアローゼはケースに近づいた。


 魔物の透明なガラス質の外殻を利用したドーム型の上蓋が付いたケースは、ユリアローゼの腰ほどの高さがある。台の中の隠された部分に魔石が仕込まれていて、台座に置いた宝物を封じることが可能。さらに、透明な上蓋によって中を確認することもできる、実用にも鑑賞にも対応した便利な代物だ。このケース自体も国宝級の価値がある。


「単純に、ケースに剣を戻すだけじゃダメですよね」


「そうですね。陛下とミストラル君の主従契約を破棄したことにはならないでしょうから、魔剣の所有者も変わらないでしょう。下手なことをしてケースから出せなくなると陛下に見つかってしまいますので、ケースを触るのはやめておきましょう」


 オトテールの助言にユリアローゼはうなずいた。


 目を皿のようにしながら、改めてケースを観察してみるが、特に気になる点は見当たらない。魔剣とケースとで対になるような魔法陣のひとつでも刻まれていないかと期待していたのだが、当てが外れた。


 ユリアローゼは、胸に抱いていた魔剣エクリプスをオトテールにもよく見えるように持ち直した。


「闇属性の魔力の波動を感じること以外は、差し当たって不審な点はありませんね」


「皇妃様、剣身は確認なさらないのですか?」


「わたくしもそう思って、さっき一度鞘から抜いてみようと試みたんですけど、ダメでした。鞘と剣が一体になっているように固くて、わたくしには引き抜けません」


「やはり、持ち主以外は使えないと謳われるだけあって、魔力があっても陛下以外の人間には抜けませんか」


「侯爵様も挑戦なさったことがあるんですか?」


「ええまあ。戴冠して間もない折りに。もちろん抜けませんでしたけど」


「そうですか」


「あまり進展はありませんでしたね」


「はい……」


 期待があっただけに、魔剣について何の情報も得られなかった現実にユリアローゼは意気消沈してため息をついた。


「そう気を落とさないでください。古い文献がないか部下に調べさせています。そちらの線でまた新しい情報を得られるやもしれません。気長に行きましょう。……といっても、そう簡単に切り替えられないですよね。私はもう戻りますが、皇妃様はもう少しここにいらしても構いませんよ。扉は部屋を出ると自動で鍵がかかるように陛下が魔法をかけてくださっていますのでお気になさらず」


「ありがとうございます。……そうします」


 なんとか微笑みを浮かべて、ユリアローゼはオトテールの背中を見送ろうとして――その刹那、宝物庫の中に突風が吹き荒れた。


 金貨や銀貨が巻き上げられた後、重力に従って落下し、盛大な金属音を響かせる。


「お前たち――、こんな所で何をしている?」


 地を這うように低い、怒気をはらんだ声に問われる。


 突風と共に現れたのは、凍てつくオーラを身にまとったリーンハルトその人だった。驚いたユリアローゼは、思わず魔剣を取り落としそうになり抱え直す。


「ほう。――気配を追って来てみれば、やはりお前か。我が妃」


 身も凍るようなエメラルドブルーに睥睨され、ユリアローゼは縮みあがった。そんなユリアローゼから視線を移し、怒れる皇帝はオトテール侯爵を睨め付けて嗤った。


「よもや、腹心の部下まで俺を裏切っているとは思わなかったが」


「そのようなことは、決して! 断じて違います! 裏切るような気は毛頭ございません!」


 即座に否定したオトテールは、リーンハルトに駆け寄ろうとして逆方向に吹き飛ばされた。ダン! と壁に背中をぶつけて、宝物をぶちまけながら床に倒れた。


「うるさい。お前は、この女を俺に押し付けようとしていたな? ハイリヒトゥームから裏金でももらっていたか?」


「そのような事実は……ありません」


「この状況ではそう否定するしかないか。しばらく寝ていろ」


 皇帝が命じると、侯爵は意識を失い微動だにもしなくなる。ユリアローゼは震える身体を叱咤してリーンハルトを睨みつけた。


「リーンハルト様。やり過ぎです。オトテール侯爵様は、リーンハルト様のことを一番に考えていらっしゃいます。疑われるなんてあまりに不憫です」


「やつが俺を裏切ったかどうかは俺が決めることだ。お前にとやかく言われる筋合いはない。――それに、お前こそ、その手にしているものは何だ? お前は俺を裏切っていないと証明できるのか?」


 ユリアローゼは両手に抱える魔剣エクリプスを握りしめ、リーンハルトを睨みつけた。しかし、うまく返事をすることができない。


 裏切っていないことを証明することは悪魔の証明に近い。少なくともこの場ですぐに出来るものではない。他の誰でもないユリアローゼ自身がリーンハルトの寝室に忍び込み、魔剣エクリプスを盗み出したのだ。獲物を手にしているユリアローゼが何を言ってもリーンハルトは信じてくれないだろう。


「――お前、実家から俺の武器を盗み出して来いとでも命じられていたのか?」


「違いますっ」


 ユリアローゼは後ずさった。しかし、リーンハルトが近づく方が速かった。あっという間に背後をケースに塞がれて、退路を断たれる。目前に迫ったリーンハルトに、氷のような視線で見下ろされて、ユリアローゼはすくみ上った。


「信じられないな。――お前、最初から気に入らなかったんだ。ここで死ね」


 その性質は冷酷無慈悲。周辺国まで悪名が轟き渡っている皇帝の、その右手が、ユリアローゼの細い首にかかった。

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