第21話 彼の記憶を取り戻す方法
「ええ。そうです。陛下は戴冠する以前、15歳より前のユリアローゼ様の記憶の一切を失っています」
オトテールの言葉に、ユリアローゼは息を飲んだ。
「陛下には一応、ご自分がどういう経緯で帝位を望んだかお話ししてはいるんですよ。ですから、具体的な出来事はともかく、幼少のみぎりよりハイリヒトゥーム王国でユリアローゼ様と過ごされたことや、ユリアローゼ様の代わりに替え玉の王女として我が国の宮殿で過ごしていたこともお話ししました。
ですが、陛下はお認めになられませんでした。男が女の恰好なんて出来るかと仰せになって……思春期でしたので仕方ありませんね。
そんな訳で、陛下はユリアローゼ様のことを意識しないように努めていらっしゃるようです。
記憶を失う前の陛下の悲願でしたので、先帝からユリアローゼ様を奪う形で婚姻を結んだり、替え玉のことを持ち出してハイリヒトゥームからユリアローゼ様の身柄を預かる手配は僭越ながら私が務めさせていただきました。
ところで、陛下がどのような経緯で帝位に就かれたか、ユリアローゼ様はご存知ですか?」
問われて、ユリアローゼは震える声で答えた。
「3年前、伝説の魔剣エクリプスの力でドラゴンを操り、先帝を廃し宮殿を制圧したと。……戴冠した後は、15歳という若さで侮られ、傀儡にしようと企てる帝国貴族たちをはねのけ、オトテール侯爵様を筆頭とした若い世代を味方に付けて、たった1年で議会を掌握した、と」
「ええ、概ねその通りです。そして、今回私がお話ししたいのは、陛下の華麗な
ユリアローゼが真剣な表情でオトテールを見つめると、彼は珍しく真面目な顔で話し始めた。
「陛下……まだ戴冠前ですので陛下とお呼びするのもおかしいですね。若き日の、まだ姫の装いをしたリーンハルト様は、我が国の国宝であり、呪われた魔剣でもあるエクリプスを呼び覚まし、剣の所持者に与えられる権利によって緑竜ミストラルと主従契約を結びました。
ミストラル君曰く、エクリプスが呪われた魔剣だといわれる所以は、剣が持ち主の魔力を吸い尽くして枯死させてしまうから。その反面、エクリプスを持った者は天候を司り嵐を呼ぶ力を持つ緑竜の力を思うままに使うことが出来ます。
リーンハルト様は、帝位簒奪という野望を前に力を欲していました。失敗すれば命はないと知りながら、万にひとつの可能性に賭けたのです。結果、晴れてリーンハルト様は魔剣を
「では……、ハルトが記憶を失ったのは、わたくしのせいですね。わたくしを守るためにハルトは命を懸け、記憶まで差し出した……。わたくしとの思い出なんて、リーンハルト様には必要なかったのかもしれませんけれど」
拳が白くなるまで握りしめて震えるユリアローゼに、オトテールは優しく微笑んだ。
「いいえ。リーンハルト様は、ご自分のエゴで行動されたのですよ。決して、ユリアローゼ様のせいなんかではありません。それに、リーンハルト様にとってユリアローゼ様との思い出は何にも代えがたい大事な宝物。必要なかったならそもそも魔剣との取引に使えません。そこを誤解させてしまうと、過去のリーンハルト様に私は叱られてしまいます」
「ですが……」
「貴女はそもそも替え玉作戦も反対なさっていたのでしょう? リーンハルト様は嫌われてしまったと嘆いていらっしゃいましたよ。それを振り切って、記憶まで奪い、ハイリヒトゥーム国王に根回しまでして、用意周到にことに臨んだのはリーンハルト様ご自身です。あなたを他の男に渡したくないという、男の嫉妬、独占欲、束縛が動機なのですから。姫は気持ちを受け止めてあげるだけならいざ知らず、気に病む必要はありません」
「…………はい。お気遣いありがとうございます」
涙をためた瞳を伏せたユリアローゼに、オトテールは苦笑した。
「そのような可憐な姿で心配されては、リーンハルト様もたまらなかったでしょうね。少しくらい脈はあると考えてよいのですか?」
「えっ! それは、その……。はい、わたくしは、記憶を失って数年と待たず、ハルトのことを夢で見るようになっていました。記憶を奪われていても、忘れなかった日はありません。……お慕いしています」
「それは……。あの夜のリーンハルト様に教えて差し上げたかった。それはお喜びになられたと思います」
しみじみとした調子で呟かれ、ユリアローゼはきりきりと胸が痛んだ。
「リーンハルト様は、もう、わたくしのことを思い出してはくださらないのでしょうか?」
問いかけると、オトテールは視線を落とした。
「ひとつだけ方法があるにはあるそうなのですが、難しいでしょう」
「方法があるんですか!? 教えてください! どうすればリーンハルト様はわたくしのことを思い出してくださるのでしょう!?」
「……ミストラル君を、エクリプスから解放すれば、おそらく」
「ミストラル君を、魔剣から解放、ですか?」
「ええ。ミストラル君は、数百年前に邪悪な闇魔法使いによって剣に封じられた緑竜です。魔剣によって存在を縛られています。
魔剣には製作者の闇魔法使いの意志が込められており、また、魔力を吸収するという特性を持っています。それらを維持するために、ミストラル君の魔力は常に魔剣に吸い取られ続けている状態です。
眠らせたままの状態で保存するならいざ知らず、魔剣を呼び起こし、ミストラル君と契約して魔剣の主になるためには、本来であれば代償として大量の魔力が必要です。
しかし、リーンハルト様は、先帝によって魔力の一部を封じられてしまいました。そのせいで魔剣を降伏するのに3年もの時間を要し、さらに、魔力の不足分を一番大事な記憶で補わなければならなかったのです」
「……そうだったのですか。では、ミストラル君を解放するためには、わたくしは何をすれば良いのでしょう?」
「それは、私にもわかりかねます。私は魔法使いではありませんので、魔法に関する知識はさっぱりです。これに関しては陛下も教えてくださいませんので」
肩をすくめたオトテールに、ユリアローゼはあからさまに気落ちした。
「……そうですか」
「お力になれず申し訳ありません」
「いえ……。いろいろ教えていただき、ありがとうございます」
ユリアローゼは何とか取り繕ってはみせたが、その口元は引きつり、瞳は虚ろなままだった。オトテールも苦し気に眉を寄せるほかない。
「そろそろ紅茶も冷めてしまいましたね。あまり長く貴女を引き留めていると、リーンハルト様に叱られてしまいます。そろそろお開きにしませんか?」
雰囲気を変えようとオトテールは殊更明るく振舞ったが、ユリアローゼには聞こえていなかった。
「俺が、嫌なんだ。ユリアが他の男の、しかも好色なおっさん皇帝なんかのところに嫁がされるなんて我慢できない」
「俺を誰だと思ってるんだ? 不死鳥の子、天才魔法使いリーンハルトだぜ。皇帝を弑して帝国を乗っ取ってやるよ」
「好きなんだ!」
「俺、ユリアのことが好きなんだ! 誰にも奪われたくない。奪われるくらいだったら、俺が行く」
「だから、俺にユリアを守らせて」
小さな騎士の言葉が脳裏にリフレインする。
ユリアローゼは我慢できずに涙をこぼしていた。
「ハルトは……。ハルトは、わたくしのために命を懸けてくださいました。それなのに、わたくしは守られるばかりで、リーンハルト様のために何も出来ません。いつも、ただ怒らせてしまうばかりで……」
顔を覆って泣き始めたユリアローゼに、オトテールも困り果てた。
「そんなことおっしゃらないでください。リーンハルト様は、ああ見えて皇妃様のことを気に入ってらっしゃるのですよ」
「でも! お話しもしてくださらないではありませんか!」
「……皇妃様、そのおっしゃりようでは、陛下のお役に立ちたい、恩返しがしたいというよりも、ただ記憶の中のリーンハルト様のように接してほしいと聞こえますよ」
オトテールの指摘に、ユリアローゼは虚をつかれて固まった。そして、瞬時に開き直った。
「そうです! わたくしは、わたくしのハルトに会いたいんです! わたくしのハルトに会うために、希代の魔法使いと謳われる皇帝リーンハルト様に輿入れしたんです! 気の乗らない政略結婚をしてまでも、魔法使いと縁を持ち、古代魔術を教えていただいてハルトを捜そうと思ってました。
全部、全部、わたくしのハルトにもう一度会うため! それだけのためにわたくしは、毎日毎日、辛い魔力増幅訓練にも耐えて、魔導書を読み漁ったんです!」
ユリアローゼの碧眼から、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。叫ぶように気持ちを暴露したユリアローゼに、オトテールも驚き固まった。
「わたくし、こんなことでは諦めません! 絶対に、リーンハルト様にはハルトだった頃の記憶を取り戻していただきます」
決意に燃える瞳を前に、オトテールは口元を押さえた。
「皇妃様って、こんな性格をなさっていたのですね。意外……でもないのでしょうか。陛下にどんな扱いを受けてもめげませんでしたし」
「当然です! ハルトがわたくしのために命を懸けてくださったように、わたくしだって、ハルトのためだったら何だって出来ます」
「わかりました。確かに陛下は、魔剣エクリプスの影響でろくに睡眠も取れていないようです。喫緊に必要な戦争の予定もありませんし、魔剣の出番も当面ないでしょう。陛下の体調面を考えるなら、エクリプスからミストラルを解放することに私も異存はありません。私でご協力できることであれば、お力添えさせていただきます」
「ありがとうございます!」
ユリアローゼにやっと笑みが戻ってきて、オトテールも苦笑した。
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