第13話 夏合宿その二

 夏合宿二日目を迎えた。


 起床時間は決められていて、全員五時半起床だったのだが、俺はいつもの癖で三時半に目が覚めてしまった。この時間、まだ学校の中は暗いのだが……起きてしまったものは仕方がない。


 ギターを持って、俺たちが音を出すために使っている教室に向かう。廊下が暗い。もうこれだけで、教室に向かう事を、諦めてしまいそうだ。しおりに、懐中電灯が持ち物に含まれていた理由がわかった。これ無かったら、絶対宿泊している教室から出なかったわ。


 練習に使っている教室の前でうろうろ。扉を開けるのがちょっと怖い。


 こんな所で佇んでいても、仕方がない。勇気を出して、扉を開けて、速攻で教室の電気をつける。別に幽霊もいないし、ゾンビもいないし、吸血鬼もいない。当たり前だ。


 怖いと言う思いが、怪異を作っているんだ、と改めて思った。


 ギターを持ってきたのは、何時もの練習をする為だ。基礎練習、クラシックの楽曲を一通り。それから、教室の先生から出された、新しい課題と、前に雑魚先輩と対決した時にやった、ブエノスアイレスの春。ブエノスアイレスの春は、楽譜を持ってきていなかったのが、失敗だった。楽譜がないと、曲の解釈ができない。


 仕方がないので、一曲通して終わりにした。


 時刻は四時半。もう少しすると明るくなる頃だ。


 と、先生が、教室へ飛び込んできた。すごくびっくりした。何事かと思った。いや、そんな話より、先生の話を聞いた方がいい、と思ったら、女子生徒の一人が、俺のギターの音を聞いて、パニックになってしまったらしい。


「あれ?教室からは随分離れていると思うんですけど」


「夜中だと、音が通るんだ。悪いが、練習を止めてくれ。明日からは、練習できるようにするから」


不承不承、俺はギターをケースにしまい、宿泊してる教室に戻った。教室に入る前に、パニックを起こした女子に謝って、怖いことなんか無いんですよ、とアピールした。その女生徒は、俺の話を聞き、ギターを見たことで落ち着きを取り戻したようだった。


 なんだろうなぁ。この場合、俺が悪いのだろうか。なんだか、もやもやしていたので、もう二度と練習しません、とは言えなかった。明日やる時は、もっと遠い教室まで行こう。宿泊している教室に入ろうとすると、彩先輩が俺の腕を取り、「夜中に何してるのよ」と注意しにきた。


「すいません。ただ練習がしたかっただけなんです」


とだけ答えた。


 あれ?この状況、チャンスじゃね?右手を伸ばして先輩の手のひらを、軽く握った。先輩の手は、暑さのためか、少ししっとりしていた。指を絡めると、先輩も絡めてきた。先輩は、俺の肩に頭を預けてきた。


 なんだ、簡単なことじゃん。何で俺こんなに悩んでいたんだろ?と思っていたら、抑えた笑い声が聞こえてきた。先輩の肩越しに三人ほど、こちらを見てる、女性生徒の顔が見えた。


 先輩は、笑い声を聞いて、ビクッとすると手を振り解き、


「違うの、これはただのスキンシップだから、」


と言い訳らしからぬ言い訳をして、女子部屋に戻っていった。


 んーと、俺は第一難関をクリアしたってことで良いんだよな。


 次の難関を考える。やはりキスだろうか。しかし、キスと言っても、レベルがあるような気がする。おでことか、ほっぺにするキスは、欧米人には挨拶だ、と聞いたことがある。これが第二難関だろうか。次は唇同士でキス、しかし触れ合う感じで。これが第三難関。最後が……言えない、俺には言えない。そこまでは無理だ。無理無理、俺のメンタルにそこまで耐性はない。


 しかし、思いも寄らないチャンスが訪れ、その時になったら。俺は迷ったら駄目だ。その時こそ俺の勇気が試される。


 なんだか、ゲームしているみたいな気分になってきたから、逆に冷めてきた。まだ五時になっていないし、今から眠ることも出来ないし、仕方ないから朝日が昇るのを眺めることにした。


 とは言っても、外は薄明るくなってきていて、もう間も無く、日が昇るだろう。俺は屋上へ登り、東の方を眺めた。朝日は頭をだすと、直ぐに全体を現し、地上を照らした。こんなに、まじまじと日が昇るの見たのは、初めてかもしれない。


 時間も丁度良さそうだ。あと十分もすれば、皆んな起きだす時間だな。


 俺は教室に戻った。


 朝食前に、練習時間が一時間半、あった。この合宿、本当に音楽漬けにするんだな。


 全体練習というのが無いのも嬉しい。俺、吹部みたいな、ああいうの苦手なんだよな。


 朝の練習は、各バンドに分かれて、始めた。バンドじゃない、弾き語りの人達も分かれて練習をする。俺はああいう弾き語りの人たちに、とても好感を持っている。彩先輩に出会わずに、軽音にいたら多分弾き語りの人たちのようなスタイルで、音楽をやっていただろうと思うのだ。


 それはそうとして、俺たちの曲は、朝から行き詰まっていた。俺のシンプルな曲に、二人の感覚を入れようとすると、ごちゃらぁ、としてしまうのだ。何が言いたいかというと、楽曲として成り立たない、只のテクニックのカタログにしかならないのだ。


 俺は、早朝練習の間に、他二人の意見をなるべく取り入れようとしたのだが、最終的に根を上げた。二人とも、それは了承してくれた。


「曲の構成を、もう一度見直さないとな」


と敦。敦は、この合宿ですごくやる気になっている。敦は、曲のコード譜を起こそうか、とまで言っていたが、それは敦の負担になるので、やめてもらった。取り敢えず、録音した音源があれば演奏は可能だ。


 朝ご飯のマーガリンとトースト二枚食べると、午前の練習を始めた。因みに朝食は三年生が用意したものだ。この合宿では朝食の用意は、三年生がすることになっている。とてもありがたいが、些か手抜きではないだろうか、と思わなくもない。


 午前練習とは言っても、やっていることは、俺の作曲、いや、すでに作曲ではなくアレンジ(と言っても良いと思うのだが)、と、敦のベースによる、ボサノヴァスタイルのアレンジ、彩先輩の作詞、などを行っていた。


 要するに曲ができてないから、全員がバラバラなのである。これは、俺は焦った。だって俺の進捗次第で、バンドとしての練習が、止まってしまうかも知れないのだ。俺はアンティシペーションとアルペジオを入れ、それから曲を短調に書き換えるだけにとどめた。


 昼食の仕出し弁当を食べた後、腹休みをしてから午後の練習を始めた。午後も、午前中から相変わらず……出来ないものは仕方がない。俺は、何度目かのテイクを二人に聞かせ、意見をもらった。


「私は、良い感じだと思うけど、どうかな」


「そうだなぁ、そろそろ彩ちゃん先輩の、詩のメロディ作らなきゃならないし」


「それには、彩先輩の詩が必要で、」


「ごめん、まだ出来てない」


「出来ているところまで、見せて貰えないもんでしょうか」


「えー。……わかった。笑わないでよ」


「踊りましょう

 踊りましょう

 ワルツのリズムで

 あなたと二人、

 電信柱の上で

 愛しましょう

 愛しましょう

 自転車に乗って

 あの人の家へ

 しろちゃんと

 遊んで

 遊んで」


「こんな感じなんだけど」


微妙な空気が流れた。


「えーと。まず、これボサノヴァでワルツじゃないんだよな?」


「だって、ボサノヴァじゃ、語感悪くてリズムに乗れないんだもん」


「なら、ボサのリズムに、に変えたら如何でしょう」


「あ、そうか。それなら乗るね」


「あとしろちゃんって誰ですか」


「それは、あの人が飼ってる、猫のしろちゃん」


「ああ、なるほど」


俺と敦は顔を見合わせ、


「俺たちは先輩が納得するまで、作詞してくれてOKです」


と俺が言った。彩先輩はその言葉で


「更によくするわ。待ってて」


「二拍の曲に合うやつでおねがいします」


「頑張る」


「……」


「どうした、敦」


「メロディ、俺が作って良いかなぁ?」


「それは構わないけど……ベースで出来るか?」


「なんとかなるだろ」


「ギブアップは早めに言えよ」


「わかった」


こうして、二日目の夕方が、過ぎていくのだった。


 翌朝、朝ではないな、俺は再び三時半に起きる。誰も起きていない時間ていうのは良いもんだ。


 俺は、誰かの腕や脚を、踏まないように気をつけながら、ギターを持って部屋の外に出た。あの部屋から一番遠い教室を探していると、理科室が一番遠い教室らしかった。


 理科室か。ちょっと嫌な教室だ。ここには不気味な物体が沢山ある。それに囲まれてギターを弾くのか。仕方がない。腹を決めて入るしかない。懐中電灯の光の中に怖い物体が見つかると、すごく嫌な気分になるので、懐中電灯を消した。


 壁を弄ってもスイッチが見つからない。おかしいな、と思って、懐中電灯をつけたら、直ぐ脇に、裸の男の姿があった。思わず、「っひぃっ」と変な声を出してしまった。よく見れば、ただの人体模型だったが、真夜中に、懐中電灯でみる人体模型というのは、不気味の一言に尽きる。


 俺は検討の結果、理科室で練習することを諦め、他の部屋を探すことにした。


 教室を探しているうち、俺は、声を潜めている話し声を聞いた。またビクッとしたが、変な声を出すことは避けられた。あんまりびっくりしていると、心臓に悪い。妙な動悸がする。俺は懐中電灯で声の方向を照らすと、

人の姿が二人、あった。またビクッとする。もう、勘弁してくれよ、と思ったのだが。


 あれ、男の方、雑魚先輩じゃん。女の方は、二年生の先輩だ。Tシャツを脱いでブラ姿になっている。ガールズバンドに入っているけど、あんまり目立たない人だ。キーボードっていうか、電子ピアノ担当。あーそういうこと。この時間なら、タニーも寝てるだろうしね。


「いや、俺は何にも見てませんから」


当たり前だ、こんな事でこの合宿が終わるなんて嫌だ。おれはもっと音楽をやりたいんだ。


 だから誰にも言わない。ただ、雑魚先輩はそうは思わなかったらしく、「ちょっと待て」

と俺を呼び止めた。


「なんでしょう」


「これは、あれだ。彼女の、持病を説明してもらってたんだ」


なんだよ、持病って。雑魚先輩、テンパってるじゃねぇか。


「だから、俺は何にも見てないですって」


「本当だな」


「だってこんなことで、合宿終わるなんて嫌だし。来年も合宿やりたいし」


「わかった。俺たちは今日はここにいなかった。それでいいな」


「はい。それで良いです。もう帰ったほうがいいんじゃないですか?まだ起きてくる人いないとは思いますけど」


「そうだな。部屋に戻ろう。お前はどうするんだ」


お前というのが俺のこと、と仮定して、


「練習場所を探している途中なんで。五時半までには戻ります」


「そうか。このことは、俺たちだけの秘密だからな」


「はい。判ってます」


そう言って雑魚先輩たちは、教室に戻っていった。結局俺は練習場所を探せぬまま……そうだ、音楽室使えばいいんじゃん。あそこなら軽く防音してあるし。怖い物体ないし。女子の教室からもある程度、距離あるし。


 そういうわけで音楽室にきたのだが、椅子と譜面台が吹部仕様になっている。つまり、指揮者を中心として、扇型に椅子が並べてある。譜面台もそれに沿って一緒。譜面台があるのは、得をしたような気分になり、音楽室を、有り難く使わせてもらうことにした。


 五時半前まで音楽室まで練習をして、教室に戻ると、直ぐに目覚ましがけたたましい音を立てた。


 今日の早朝練習は、少し気分を変えるため、別の曲をやるのでは如何か。と提起してみた。二人とも賛成のようで、それならと、イパネマの娘をやる事にした。


 この曲、ギターは基本的にシンコペーションしかしてないんだよな。俺が持っている音源が、古い録音だからかも知れないけど。


 イパネマの娘の完成度は八割くらい……俺がコード進行に、ついて行けずにもたつく箇所があるのと、彩先輩が歌詞を完全に覚えていないのと、敦のベースのアレンジが、まだ途中までしか、出来上がって無いところが、課題だな。でも、夏休み中には仕上がる、て感触は得た。


早朝練習が終わり、朝食を食べた。今朝のメニューも、トーストにマーガリンだったが、流石にこれでは貧相だと思ったのか、ハムが一枚ついていた。あまり代わり映えしないんだが……。


そして三日目の午前の練習が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る