第25話 敦が辞めた日

 オープンマイクから何日か過ぎた後、俺と彩先輩は、部室で次の曲を作り始めていた。


 敦はここの所姿をみせない。用があるから、と帰ってしまうのだ。八月からこっち、大変な事ばかり起こって、流石に疲れたのだろう、と思い無理に部室に誘おうとはしなかった。


 部室の中で、俺と彩先輩の空間だけが、ゆるりとした空気を漂わせる。


「次何やります?またボサノヴァ?」


「それでも良いけど、なんかやりたいのある?」


「スパニッシュやりたいです。ゴリゴリの」


「ゴリゴリのスパニッシュってどんな感じ?」


オープンマイクで黒澤さんがやったでしょ、エル・ビートってやつ。あんな感じ」


「あー。あれ、凄く速く無い?私できるかなぁ」


「まぁそれは、練習次第ってことで」


「フラメンコとは違うのよね?」


「違いますね。俺、フラメンコのコンパス知らないし」


フラメンコのコンパスとは、フラメンコをやる為の拍の取り方だ。大体、八拍子だったり十二拍子だったりする。更に踊り手の個性が拍の取り方に反映されるから、同じコンパスのようでも、微妙に違う。


 その違いを表現できるのが、ギタリストとしての腕の見せ所なのだが。


「でも、コンパスに依らないフラメンコもあるんじゃないの?この間優吾が言っていたような」


「ヌエボ・フラメンコですね。でもやっている人たちって大体フラメンコの素養持ってるんですよね。素養があるから、それを壊してフラメンコを再構築しようってムーブメントですね」


「ふーん。だからフラメンコはやりたく無いんだ」


「あと、演奏技術がクラシックと微妙に被らない、って言うところもあります。クラシック的な表現が通用しないところが度々出てきます」


「ふーん。敦の意見も聞きたいね。敦次なにやりたいんだろう。なんか、敦から聞いてない?」


「それがさっぱり。あいつ最近、すぐ帰っちゃうんですよ。なんか考え込んでいる事多いし」


「友達としても、そっとしておくしかない、って感じ?」


「疲れているでしょうし、今はそっとしておこうかと」


そんな話をしていると、敦が久しぶりに部室にやってきた。部員達に挨拶しつつ、俺と彩先輩の方にやってきた。


「彩ちゃん先輩、優吾、ちょっと話があるんだけど」


「なに?」


 俺は快活そうな、あるいは何か吹っ切れたような敦の様子を見て、またライブの場所を見つけたのか、それとも、悩みが解消した報告をしにきたのか、どちらなのだろう、と思った。


 敦は開口一番


「おれ、このバンドスワロウズ・ネスト辞めるわ」


と言った。全く深刻さげもなく言ったので、俺と彩先輩はすぐに反応することができず、


「は?」


と間抜けな返事をしてしまった。


「まあ、いきなり言われたらそんな反応するよな。俺も考えなしに辞めるわけじゃないよ。暫く考えてのことだ」


「辞めるって、ベース辞めるってことか」


なんか、また間抜けな質問をしたような気がする。でも、敦がベースを止めるとしたら。敦が音楽から逃げた、ってことだと思ったのだ。


「ベースは続けるよ。実は、他のバンドから誘いを受けていたんだ。バンドっていうか、レーベルからな。優吾にも接触したはずだぜ。あのモヒカンのおねぇさんだ」


ああ、そういえば、そんなこと言われたな。バンドやめたら連絡してくれって。でも敦のところにも勧誘に行ったって?


「で、敦はそのレーベルのバンドに参加するってことか」


「どうなるか、わかんねぇけどな。でも誘いを受けてみたい気持ちはここ数日、持っていたんだ。それで、これで逃したらずっとつまんない日常を送るって思ったら、居ても立ってもいられなくなってさ。今日、連絡を取ったんだ。そしたら、明日会おうって話になって。それで、まだ伝えてない優吾に話をしなけりゃ、と思ったんだ」


そうか。敦は行き先を決めたんだな。少し早いような気がするけど、それは敦の人生だもん、口出しはできない。


「で、学校はどうする?辞める?」


「今の所辞めるつもりはないかな。留年はするかもしれない。それは覚悟している」


「そっか。そこまで決めたら何も言えないな。バンドのメンツはどんな感じ?」


「それは明日顔合わせしてからだな」


「バンドがダメダメだったら帰ってくるのもアリだぞ」


「一度巣立っちゃったら、帰るのなしだろ、バンド名的に」


苦笑いして言った敦に、相変わらずとぼけたやつだ、と思った。


そして、「そうだな」と俺は言って、敦を送り出そうとした。


 彩先輩が言った。


「そんなに簡単に決めて良いのかなぁ。もし、バンドの人たちが学校を辞めなければ一緒に活動できない、って言ったらどうする?」


「そのときはー。バンド次第かな。一緒にやりたいと思うバンドだったら、学校辞めるし、それほどでもないなら、辞めない。どっちにしても学校は、今の俺には重要じゃないんだ」


「そっか。そこまで決めているのか。でもご両親には?話していないんでしょ」


「まぁね。今日話すつもり。色々言われるんだろうと心構えしているよ」


「で、二人は、俺の決心に賛成?」


「賛成というか、応援はするよ。敦の人生だしな」


「私はまだ納得してないけど。学校は卒業するべきだよ。学校がつまらない所だなんて思わないで」


「うん。なるべく学校は辞めない。彩ちゃん先輩に約束するよ」


じゃあな、といって敦は部室を出て行った。残された俺たちは、少なからず動揺していて、敦の決めたことを消化できずにいた。


「敦がバンドマンになる事に賛成?」


と彩ちゃん先輩が聞いてきた。


「賛成というか……敦の決めた事だし。それは尊重します。だから、応援もしますね」


「そっか」


それから、彩先輩は言った。


「正直、敦が羨ましいという気がしなくもないんだ、私。進路調査で、県内の女子大の名前書いているけど、その大学行きたいわけじゃないし。優吾は音大行きたい、って言ってるし、敦はバンドに参加しちゃうし、私だけ何も決めてない」


と言いながら、先輩は目を潤ませていた。


「じゃあ、今度の休み、やりたい事見つけにデートしましょうよ。きっと見つかりますよ」


そんな事を口走っていた。自分でも驚いた。見つからないから、悔し涙を流しているのに。そんなに簡単に言ってよかったのだろうか、と少し思った。少しだ。俺はなぜか見つかるっていう妙な確信を持っていた。


「優しいね。優吾は」


彩先輩は涙を流さず、ただ微笑んだ。


 彩先輩が、何かを見つけられますように。


 それが俺の願いだ。

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軽音部の幽霊部員だったはずがいつのまにかバンドを組む事になっていた かほん @ino_ponta

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