第5話 買い物と練習と
日曜日午後。一時に待ち合わせで、彩先輩は少し遅れる、と言う連絡があった。一時前から海老名駅の相鉄線改札で待っていた俺は、少ししょんぼりしていた。
敦はサボった。今日の朝突然、今日行けない、というメッセージが入っていたのだ。おいおい、ドタキャンかよ、と思ったのだが。
最後のメッセージで
「頑張れ」
なんて入っていて、これは敦なりに気を遣ってくれたんだろうな、と良い方に解釈した。
彩先輩は十五分くらい遅れてやってきた。それくらい待つのは全然問題なかったので、先輩が
「遅れてごめんごめん」
って言うのを
「大丈夫です、俺、待つの嫌いじゃないですから」
……あれ?俺また答え間違えた?
「いや、そうではなくてですね」
「良いよ良いよ。気を遣ってくれているのは分かってるよ」
と言って、背中をポンポンと叩かれた。
敦くんは?と尋ねてくるので、
「奴は家の用事があるそうで、今日は来れないそうです」
折角気を遣ってくれているのに、先輩にドタキャンした、とか言えないよな。敦の印象を悪くするような言動は避けたい。
「あー。お腹すいた」
というので、海老名で食べるのかと思って、
「ならマックでも行きます?」
というと、
「新大久保行くんでしょ、そこで食べようよ」
と言うので、そのまま小田急線に乗ることにした。新大久保まで結構距離あると思うんだけどな。
「そう言えば、先輩は何でギターはじめたんですか」
「……友達がね、ギターをやってたの。それで、いつだったかギター触らせてもらうようになって、ね。ドレミの音階ができるようになっただけで楽しくてさ。それでギター買って自分でも弾くようになったの」
始めた理由としては有りがちだなぁとは思う。ギター始めるのは大体親族か友達がやっていたから、って言うのが多い。それから音階やったり、簡単な曲を単音で弾いたりして楽しくなると、ギターも欲しくなる、って言うところまでが定番だ。
俺もそうだった……カエルの歌とかアルプス一万尺を引いているだけで楽しかった。
「わかる、わかるよ、先輩」
と、呟くように言ったら、
「高木もそう?」
「そりゃ勿論」
「いつからギター始めたの?」
「小学校上がるかどうか、って頃だったと思います」
「自分でやりたいって思ったの?」
「うーん。いや、どうだったかなぁ。親にやらされた気もするし、自分からやりたいって言った気もするし」
「ふーん。じゃ、初めは楽しくなかったんじゃない。無理にさせられたんだったら」
いや、俺、一番最初のレッスンがすごく楽しかったんだよな。
良い先生でさ、ドレミの音階から教えてくれた。座り方とか姿勢なんかは徐々に教えて貰ってさ。今から考えると、初めはすごく自由にやらせてもらってたな。
「楽しかったですよ、良い先生に恵まれたし、レッスンも楽しかったし」
「へー。それでクラシックなんだ」
「その時はフォークとクラシックが有るなんて知らなかったから。小学校の間はフォークは歌の伴奏しかなくてジャカジャカ弾くだけ、なんて思って、それじゃやりたくねぇな、って」
そんな話をしているうちに新宿へ着いた。新宿から山手線に乗り換えると、すぐに新大久保だ。先輩、新大久保でガッツリ食べて欲しい。
新大久保巡りをすると、韓国系の飲食店のほかに、タイ料理、ベトナム料理、インドネシア料理の店がちらほらと目に付く。
「先輩、何が食べたいですか」
と尋ねると、
「そうねぇ、フォーが食べたいかな」
ふぉー?ふぉーって何だっけ?
ぐーぐる様に聞きたいよ、今。仕方ないので先輩に聞くことにした。
「フォーって何料理ですか」
「ベトナム料理……じゃなかったかな」
「じゃ、ベトナム料理の店へ」
と言うわけで、ベトナム料理の店へ入った。お店は全体的に落ち着いている感じ。漆喰塗りっぱなしの壁を、落ち着いていると評価できればの話だけど。
「何食べる?」
「先輩はフォーでしょ。俺もフォーにします」
「えー。違うの頼んでシェアしようよー」
そうか。なるほど。先輩は色々なものを食べてみたい人なんだな。よし、わかった、別の頼んでシェアしよう。
「じゃ、俺、バインミーっていうの試してみます」
「そうしよう。あと生春巻き頼んでいい?」
「いいですけど、俺持ち合わせが」
「私バイト料入ったからちょっと裕福。だから生春巻き代は奢るよー」
「では、遠慮なく奢っていただきまさす」
以上を、日本語が怪しい多分ベトナム人の店員さんに伝えると店員さんは厨房に入っていった。ちょっと待っていたら、生春巻き、バインミー、フォーの順で出てきた。
バインミーがサンドイッチのことだとは、知らなかった。フランスパンで、ハムやなんかがサンドされている。美味しそう。
とそうだ。二つに切ってもらわないと、シェアができない。と言うことで、店員さんに日本語とジェスチャーを混じえて、二つに切ってもらった。
俺はバインミーを食べ、先輩が半分残したフォーを食べ、生春巻きを食べた。
「全体的に、匂う草が入っているんですけど、これなんです?」
「ん?パクチーのこと?嫌いだった?」
「匂いが初めてなもんで」
「ありゃー、ベトナム料理やめとけばよかったか。ごめんねー」
「いや、良いです、多分慣れて居ないだけだから、大丈夫」
余計な気を使わせてしまった。確かにこの香り、初心者には厳しいものがある。慣れることがあるのだろうか。いや、あると信じよう。そして先輩の好きなものは、試して、覚えていこう。
それから二人で会計して、楽器屋に向かうことにした。もしかして。ここは俺が奢るところだったのだろうか。やばい、失点一だ。楽器屋で挽回しなければ。
「ここが目当ての楽器屋です」
Ku楽器総本店がここ。クラシックギターは無論、フォークギターやエレキギター、ベースギターも数多く取り揃えている。
本当にね、広いフロアにギターが陳列されているんだよ。壁一面がギター。ガラスケース入りのギターもある。これは高級品だけだけど。
「すごいね、こんな店あるんだね〜」
その感想は、俺も中学生の頃持った。この店でギター見てるだけで三時間は潰せると思った。その感想は、今でも変わらない。
「取り敢えず、安めのギターから見ていきましょうよ。高級品見ると、絶対そこで時が止まりますよ」
あれを見ると、弾いてみたくてたまらなくなり、本当に時が止まったようになるのだ。まぁ時間は進んでるんだが。
「時が止まるとか、なにそれー。止まるわけないでしょ」
と笑いながら返してきた。俺はなるべく低価格の方に誘導して高級品の方に足を向けさせないようにする。
「ところで先輩の予算ってどのくらいですか」
「今日のバイト代足して七万くらいかな」
「OKです」
七万あればそこそこのギター買えるだろう。サービスで少し値引きして貰えば、もうちょっと良いギター買えると思う。
と言うようなことを先輩に話した。
「七万オーバーのギター買えるのは嬉しいなあ」
「店のサービス次第ですけどね」
二人で壁に掛かっているギターを眺めながら、ゆっくり移動する。
とその時、俺は「ん?」と言って足を止めた。変なものがかかっていた。いや、変なものと言っても楽器店なので、あるのはギターだ。
「エレガットだ」
「何エレガットって?」
「簡単に言うとクラシックギターにピックアップが付いたギターです」
「へーじゃあこれ、アンプに繋げられるの?」
「繋げられます」
そう、エレガットがあったのだ、格安のギターのコーナーに。ちなみにエレガットのガットと言うのは、クラシックギターがナイロン弦を張るようになる前に、羊の腸を加工して弦にして居た頃の名残だ。
この羊の腸の弦のことをガット、といい、今でもクラシックギターとは言わず、ガットギターと言うことがある。エレは、エレキのことだ。勿論そうだとも。
「で、問題なのは、なんでこのコーナーにエレガットがあるか、と言うことなんですが」
「あ、わかった。エレガットって本当はもっと高いものなんでしょ」
「正解です。だって値札見てみてくださいよ。六万一千円ですよ。消費税入れても七万でお釣りが来る」
彩先輩は興味深そうに、そのエレガットを眺めていた。
「エレガットの相場っていくら位なの?」
「俺、今までエレガットって十万オーバーなのしか見た事ありませんでした。品数もそんなに多くないし、特にスペインの工房のギターには」
「これさ、ライブの時に便利じゃない?これならアンプ使えるんでしょ」
うーん。と俺は唸ってしまった。確かにPAを使えるのは魅力なんだが。マイクでサウンドホールを狙って貰えば良いんじゃないか?とも思って居たからだ。どうせ派手に体動かしたりしないんだし。
「どうなんでしょうねぇ……」
「これ買う?」
いや、そう簡単に決めてもらうのも困るんだ。当初はエレガット買うつもりは全くなかったし、六万のクラシックギターと、同じく六万のエレガットを比べれば、当然クラシックギターの方がマシなのが多いからだ。
「ちょっと待ってください。まず音を聴いてみないと」
あ、そうだね、と彩先輩が言ったので、俺は少しホッとし、店員さんにギターを取ってもらった。
「ちょっと弾いてみます?」と彩先輩にギターを渡した。
彩先輩は最初、少し戸惑った様子だったが、何となく弾けていた。この曲なんだっけ?と思っていたら、カチューシャだった。そうだった、俺もやったわこの曲。
「どんな感じです?」
「クラシックギターって指板すごく広いんだね、指ギリギリ届く感じだよ」
「指届けばバッチリですよ。音は如何でしたか」
「私にはちょっと分からないや。優吾弾いてみてよ」
おお、ついに名前呼び捨て。素直に嬉しい。なんか先輩とすごく近づいた感じがする。俺も彩先輩でなく、彩、って呼んでも良いだろうか。いや、焦りは禁物なのだ。ここはさりげなく、至って普通に、呼ばれた感をだそう。
「じゃ、俺弾いてみますね」
低音から高音まで満遍なく弾けて、なおかつ「お、やるじゃん」的な曲は。俺の脳、全力で探せ。
と思って居たのに指が勝手に動いた。ギウリアーニのプレリュードだ。ま、これも良い。低音から高音まで満遍なく弾くし、尚且つ弾いている姿の見栄えがいい。アルペジオの練習曲なんだけど。
「どう?」
「なんか胴鳴りがしますね。うちに籠る感じ……ちょっとビビり入るかな。なんだろ?弦高が低いのかな?」
店員さんに12フレットの弦高測ってもらったら3.5mmってことで、低めの設定になているのかな。サドルを作り直して貰って、弦高を4.5mmにして貰うと、多分五千円くらい。うーむ。
「やっぱりビビってる?私もそう感じたんだよね。なんだろ」
「このギター、弦高低いから正確に押さえないとビビりますよ」
そこら辺はクラシックとフォークは共通だと思うんだけど、どうなんだろ。
「で、このギター、買い?」
「うーん、見送り……」
「そっかー……」
と、もう一本エレガットがあるのに気がついた。これもお安い……けど七万七千円だった。消費税入れると八万五千円。予算オーバーだな。だけど未練がましく、弾かせてもらうことにした。
なんとなくラ・クンパルシータを弾いた。うーん。あれ?なかなか良いぞ、このギター。
「女性的な鳴りしますね。甘い感じ。派手に弾いても良い感じです。うーん。ラスゲアードも映えるなぁ」
などと買いもしないギターを弾いて悦に入っていると、
「私にも弾かせて弾かせて」
と彩先輩がいうのでギターを渡した。
彩先輩、弾いているうちに気に入った様子だった。
問題は値段。七万円では少し足りぬ。ここはエレガットを諦めて、普通のクラシックにする事を勧める。
と言うわけで俺は、
「クラシックギター見ません?」とそっちに誘導しようとした。
しかし、彩先輩はぶつぶつ呟いている……
「夏服を一着と新しい靴を諦めればあと一万でる……でも、でも。服はともかく靴は新しくしたいし……」
なんかすごく葛藤している。今声をかけるとどうなるだろう。
「よし、買う。このギター買うよ」
と突然宣言された俺はびっくりしてしまった。え、七万円までしか出せないんじゃないの?
「うん。服とか靴とか諦めた。それでこのギター買います」
「あのー。諦めるともう一万五千円出るんですか」
「出せて一万ちょいくらい。だから値下げ交渉お願い」
と両手を合わせてお願いされたら、やるしかないよなぁ。例えば敦がお願い、とか言ってもやらないけど(多分敦の方が上手い)、先輩の頼みなら断れないよなぁ。
と、値下げ交渉を、と思ったのだが定価七万七千円から五千円を引いてくれた。消費税こみで八万二千七百円、そこから予備の弦を無しにして、八万千二百円にしてもらえた。何と太っ腹。あ、 Ku楽器店のメンバーズカード作った値段にしてくれてるんですね、作ります。
そんなわけで俺たちは楽器店を後にした。
「大丈夫ですか、先輩。後で後悔とかしませんか」
「うん、大丈夫、だと思う」
「じゃあ……帰りましょうか」
「そうね、でも、帰る前に何処かでちょっと弾いていきたいんだけど……」
うーん、と考えて一番に思いついたのは海老名中央公園なんだが、あそこはギターの練習はできない気がする。そうすると、残りは。
「軽音の部室行きませんか。あそこなら鳴らしても問題にならなさそうだし」
ギター買ったら新大久保を散策してデートをするつもりだったのに、ギターみたいなかさばるもの持ってデートしたりしないよなぁ、普通。
と言うわけで、学校デートに急遽変更になったわけ。
今日くらいは学校で二人でギター弾きながら過ごすんでも良いでしょ。此処から関係が深まったら良いなぁ。先輩のこともっと知りたいし、そんな話をしながらギター弾いたりするのって良くない?
と思って軽音の部室に行ったら、日曜日も練習するバンメンが部室にいました。
空き教室探します?って聞いたら、此処でいい、って。
無念。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます