第2話 放課後の奇想曲
島村彩子のことが気になったまま、午後の授業にも身が入らず、悶々として過ごしていた。島村先輩と会うのは良いんだけど、軽音の部室に行くのがなぁ。なんとなく気まずい。
対して、連れて行け、と言っていた敦は、気負った感は無い。羨ましい、見習いたい。
いや、俺がナイーヴ、と言うかセンシティブなだけなんだろうか。敦を見ていると、もっとポジティブにならなければ、という気がしてくる。
絶対敦はポジティブに物事を捉えているはずだ。でなければ、あんなに物事に積極的になれるはずないから。
ホームルームが終わり、帰り支度をして島村を待っていると、やはりやってきた。あと十分待って来なかったら帰ろうと思ってたのに。
島村はずかずかと教室に入ってくると、勇午の所にまっすぐきた。
「じゃ、行こうか、高木くん」
「はあ」
なんだか気の抜けたコーラのような返事をしてしまった。ポジティブに、ポジティブにだ。
「じゃ、行きましょう」
と言ってから、淳のことを紹介するのを忘れていた、と思い出し、島村先輩に紹介した。
「こいつ、友人の石橋敦って言います。今日軽音部を見学したいそうで」
敦は笑顔を浮かべながら、
「どうもー。石橋です。気軽に敦、って呼んでください」
敦は、初対面の相手に対してもこうやって普通に接することが出来る。見習いたいところだけど……シャイな俺には無理だ。大体、俺が敦と友達になったのも席の近かった敦が話しかけて来たのがきっかけだからだ。
そう、俺はシャイなんだ。だから人前で話すとか、ライブでギターを弾くとか本当に苦手だ。どんなに練習していても、いざ本番になると、右手が思うように動かなくなる。一回ソロでレッスンクラスの発表会に出たことはあるが、本当に散々だった。
そんなことを、敦に言うわけには行かない。敦は俺の気持ちと葛藤を理解してくれるはずもないのだ。
葛藤と憂鬱と否定的な自己について考えてるうちに軽音部の部室に着いてしまった。
軽音部の部室には、既に何人かの部員が集まり、スコアを読んだり、ギターやベースの子等は運指の確認などをしていた。多分、これから重たいアンプや、ドラムセットを担いで、空いている教室に行くんだろうな。ロックな人たちは大変だ。
と、自己逃避的なことを考えていると、視線が痛い。誰の?もちろん軽音部員の目だ。なんかチラチラこっちの方を見ている気がする。
これだけで気まずくなる。敦の方をチラリと見ると、全く気にした素振りもない。凄い強心臓だ。そんなに強い心臓、俺には無理だ。
敦と比べると卑屈になっていく自分が居た堪れない。
「それで、先輩、今日はなんで俺、呼ばれたんですか」
「そうだねぇ。その前に」
と言って部室の奥の方へ行った。そこにはギターラックがある。現役の部員の私物や、OBが置いていったものなど、雑多な種類のギターが置いてあった。
とはいってもエレキが多い。ストラトキャスターのコピーが一番多くて、テレキャスターとレスポールのコピーがちょぼちょぼかな。それからフォークにエレアコ。そんなところだった。
だから島村先輩が、クラシックギターを引っ張り出して来た時は驚いた。そんなものが部室にあるなんて知らなかったから。それを手渡されたけど、なんだか妙に汚い。埃だろうか。これだけ汚いと傷も多いだろうな、と思ったが、まず埃を払うところから始めた。
「先輩、ウェスって有りますか」
「あるけど、そのギター綺麗にするの?」
「なんか小汚いのが許せなくて」
島村先輩は備品箱を探して、ウェスを見つけてくれた。乾いたウェスで丹念に磨くと、ギターのボディは殆ど傷のない、綺麗なものだった。指板も拭きたいが……弦を外さなくてはならない。外したら、このサビサビの四、五、六弦と、爪で弾かれて傷つき真っ白になっている一、二、三弦の交換もしたくなる。
「先輩、ナイロン弦の予備ありますか」
「弦、交換するの?ちょっと探してみる」
しばらく探してくれたが、結局なかったようで、
「フォークの予備の弦はあるけど、ナイロン弦は無いわね」
と残念なお知らせをしてくれた。ま、弦交換までするのは面倒くさいな、と思っていたから、いいか。と思いなおした。
このギター、YAMAHAのギターでサウンドホールの奥に貼ってあるラベルを見るとGC70Aと書いてある。ラベルのヨレ具合から相当古いギターだと思われたのだが。
「これ、だいぶ古いですね。こんな型番知らないですから。へーボディ乾いて、良く鳴るようになっているかな」
「じゃあ、なんか弾いてよ」
それじゃ、と一曲弾いてみることにした。大好きなタレガのエチュードにしよう。この曲は前半はそれほど難しくはないんだけど、後半のトレモロがずっと続くので、集中力が切れてしまってはならないんだ。速く、音の粒を揃えるように、トレモロを弾く。
俺が引き終わると、島村先輩は小さく拍手してくれた。
「やっぱり高木くんはうまいねぇ」
「いや、それほどでも」
いやね、有るんですよこれが。
ストイックに毎日何年も基礎練やって、覚えた曲を片端から演って、更にレッスンに通ってる教室の先生から新しい課題が出されて、それもやらなきゃならない。俺だって頑張ってるんですよ。
「へー。クラシックでも現代音楽みたいな曲あるんだな、てっきりワルツとかカノンみたいな曲ばっかかと思っていたわ」
と敦が言った。そう思うかもしれない。クラシックギターに現代音楽の要素が入ったのは、ここ百年ほどのことで、タレガという作曲家が創る楽曲がスタンダードになる様になってからだ。
「今の曲は『キリング・フィールド』って映画のサントラに入ってるよ。クラシックに現代音楽的な要素が入ったのは百年くらい前からかな。それ以前は敦の言う通りワルツや古いエチュード多かったね」
と、タレガの説明をちょっとした。二人とも興味深く聞いていたみたい。
「ねぇ、お願いがあるんだけど」
「はい」
何故か居住まいを正してしまう。多分大切なことだろうって思ったから。
「高木くん、わたしとギターデュオ、一緒にやって」
敦は、ああ、ああ、なるほど。とか言っているが、俺はなんだかよく分かってない。先輩とデュオ?音楽性も技術も合わないんじゃないか?
「へー二人でギターデュオ組むの。じゃあおれも参加していーい?」
「敦くんは何の楽器やるの?」
「はーい、俺ベースやりまーす。ベース要るでしょ、打楽器ないなら」
え、おまえ、中学の時にやってたバンドって、ベースだったんか、意外。リードギターかヴォーカルだと思ってたわ。そっちの方がモテるだろうに。
「意外だな。敦がベースだなんて。何でベースにしたんだ」
「ベースって人気ないしさぁ、誰もやりたがらないのよ。で俺がやることにしたんだけど、やっぱヴォーカルとギターの方がモテたね。だけど、ベース、面白いなって思って続けてたよ。ここ半年ほどは弾いてないけど」
「意外だ……敦がバンドのことを考えたなんて。無理にヴォーカルやるんじゃないかと思ってた」
敦は苦笑いをしていた。
「そう言う気はちょっとはあったけど、ベースにも興味があったんだ。それだけだよ」
敦を加えても三人でやるのか。二人でやるよりは良いけど、やっぱりちょっと気が引ける。多分、すごく緊張するだろうな。そして何処かで失敗する。失敗するのが怖いっていうのはすごくある。
「私と組むのは嫌?」
「そうじゃ無いんですけど。すごく緊張するだろうな、って思って」
「場数だよ場数。場数を踏めば、緊張にも慣れていくもんだよ。後ね、これは私の持論なんだけど。本番ではね、練習した六割が出ればいいの。それで及第点なんだって思えばいいの。だから練習をバンバンしてさ。六割をもっと高い六割にして行けばいいの」
六割か。でも人に聴かせるなら十割聴かせたい。欲張りなんだろうか。
「先輩はどんな音楽をやりたいんですか」
ちょっと聞いてみて、納得いったら少し考えてみよう。考えるだけね、考えるだけ。
「私はやっぱり、ボサノヴァとかフレンチポップがやりたいかなぁ」
「へぇ。ポルトガル語にフランス語ですか。凄くハードル高く無いですか」
ちょっと意地悪だったかな。でも、外国の曲をやるって言うのは、その言語固有のイントネーションを、曲の持つリズムやちょっとした装飾音、メロディの強弱で表現しないと、歌詞と曲が合わないって何かで読んだ。
うーん。出来るのか?
「全部日本語でやるつもり。歌詞も日本語にするしね、フランス語もポルトガル語もわからないし」
「そうするしかないですね」
まだ高校生だもんなぁフランス語やポルトガル語を勉強する暇ってないだろうし。と思っていると。
「じゃあ、私が書いた曲やってみるね」
島村先輩は、自分のギターケースから自分のギターを取り出し、先日の野外ライブで披露した曲をやった。ボサノヴァっぽい曲なんだけどなんか違う。拍が違うんじゃ無いかな、と思って敦の方を見ると、奴も微妙な顔をしている。お互い微妙に揺れるリズムに気持ち悪さを感じていた。
島村先輩は一曲弾き終えると、
「どうだった?」
と聞いてきた。どうだったと言われても……正直に答えていいもんなのかね。と悩んでいると、敦が助け舟を出してくれた。
「まず、詩が良かったっす。これならボサノヴァじゃなくてフレンチポップスに乗るんじゃ無いかなって。あと、ギターだいぶ練習したみたいで、楽譜に追いついていましたよ。俺からはそんな感じかなー。勇吾なんかある?」
く、やっぱり俺に振ってきたか。先輩を褒めつつ問題点の指摘をしなければならない。
「そうですね、まず曲を一曲かけたのが凄いです。俺、そんな事したことないですから。
詩も良かったでした。難があるとすれば、曲の拍子がなんか変でした。ボサノヴァだと2/4拍子か4/4拍子が多いんですけど、今いくつで弾いていました?」
6/8拍子で曲書いてた、って島村先輩から聞いて、それが問題点の大元か、と納得した。
「何でそんな早いリズムで」
「曲のかける先輩に聞いて回ったんだよね、そしたら先輩が先頭の四小節書いてくれたからそれ真似して書いてたの。やっぱり変だった?」
「聞いててなんか急かされているような」
と言うと、敦も頷いていた。
島村先輩は、そうか、これ没かぁ、と泣きそうな声になって言うので、
「いやいや、2/4拍子に書き直せばいいんですよ、それ位は手伝いますよ。それにフレンチポップスやるんでしょ。敦が言うように、詩はそっちで使えば良いんじゃないかと」
「それはデュオをやってくれるってこと?」
「其方はちょっと考えさせてください」
「……わかった。ちょっとだけ待つわ。でも早く返事してね。わたし、あんまり待つのは嫌だから」
わかりました、と答え、敦の方をチラリとみた。敦が乗り気なのかそうでないのかは顔の表情からは伺えなかった。
どうしたらいいの?俺。
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