第3話 本物とそれっぽい物
時計がそろそろ六時を過ぎようか、と言うところで、島村先輩は
「私、これからバイトだから帰るけど。二人はどうする?まだ部室にいる?」
と聞いて来た。
俺は部室にいてする用事もないしなあ、と思ったので素直に、帰ります、と言った。敦は、
「優吾が帰るなら俺も」
と言った。付き合いの良いやつと言うのか、俺が残るって言ったら残ってくれてたんだよなあ、有難い友人だな。目当てが軽音部の女子だとしても、だ。
校門前で、先輩とは道が違う方向だったから、そこで別れ、敦と一緒に途中まで帰ることにした。
「それで、バンドやんの?」
これは本当に微妙な問題だ。原因の八割から九割は、俺の腰が引けてることにある。やるって言えば島村先輩も敦も一緒にやるんだろうが、正直、先輩の期待が重い。もし俺が失敗したら?と考えると迂闊には一緒にやれない。
「あのさあ、考えすぎじゃね」
敦が言った。確かに今は考えすぎているのかもしれない。でも何で俺が思い悩んでいるってわかったんだろ?
「だって優吾って時々そんな顔してんじゃん。それで理由を聞くとたいした事ない事で悩んでたり。今もつまんない事で悩んでるんだろ。大方彩ちゃん先輩とバンドやる事でさ」
ぐうの音も出ない。敦ごときに指摘された。そんなにわかりやすいのか、俺。それにしても彩ちゃん先輩って、敦。
「音楽はさ、楽しんだもん勝ちだよ。特にプレイヤーはさ」
「俺、プレイヤーになるのか」
「充分プレイヤーだよ」
「そうか」
「それでどうしてもやらないって言うなら、俺が彩ちゃん落とそうかな」
こいつ、とうとう彩ちゃんと呼び始めやがった。何処までフレンドリィなんだよ。
「何でそうなるんだよ」
「優吾、お前彩ちゃん好みだべ」
図星をつかれた。俺は確かに島村先輩に好意を抱いている。あの明るくてよく笑うところが好きだ。音楽に真摯なところもいい。
「明日自分のギター持ってこいよ」
「何でだ」
「自分のギターの方が引きやすいべ」
それはその通りなので、ギターを持ってくるのは異論はなかったが。
「明日も軽音の部室行くのか」
「明日も行くんだよ」
分かれ道で二人で別れたが、敦は別れ際、
「ギター忘れんなよ」
と言って帰っていった。
家に着いたのは、だいぶ日が暮れてのことだったが、まだ外は明るかった。自室に入ると、少しギターを弾こう。と思って、ギタースタンドからギターを手に取った。ギターを構えると、基礎練から始めて、曲をやる。ギター教室の課題曲をやって。ふと、以前買ってそのままにしていたボサノヴァのCD付きのレッスンテキストを手に取った。
このレッスンテキスト、楽譜がついていないから、そのまま放置していたんだけど。改めて見ると良いこと書いてあるな。
そういえば、ボサノヴァってよく知らなかったんだよなぁ、と思って、このテキストの練習をした。テキストの内容は、コードを一つづゝ解説して、パターンを組んだり組み替えたりして習っていく感じ。ただ五弦ルートだとDメジャー7(9) が必ず最初の音だったりとか、六弦ルートだとAメジャー7が最初の音になっているとか、とにかくこのテキストの、コード進行のルールは厳しい。
ボサノヴァ、奥が深そうだけど、ボサノヴァっぽく弾けば良い、ってやると、それほど悩まずにそれっぽくなりそうだな。今日から少しづつ練習してみるか。
島村先輩、本気のボサノヴァやる気あるのかなぁ。それともそれっぽいのでお茶濁しちゃう?本気でやるなら、一緒にやっても良いかな。
しばらくそんな事を考えていた。
スマートフォンにかけた目覚ましがけたたましく鳴ると――曲は大好きなスガシカオだ――くっそ、もう少し寝かせてくれよ、と思った。
昨夜は英語の小テストの勉強と、今日当てられるはずの数学の問題を解いていたら、寝るのに遅い時間になってしまった。ベッドの上でしばらく眠気と戦いながら、ようやく起きると、ギターを手に取った。少しだけ朝練をする。朝練は基礎練だけする、なんせ朝は忙しいから。
朝練を終えて学校に行く準備を整えた。あ、敦がギターもってこいって言ってたな。持っていかなきゃ。値段が高い方と安い方のギターを比べて、
「あんた、またギターばっか弾いて。ちゃんと勉強やってるの」
と母さんから小言を言われた。
「やってるよ。昨夜も十二時過ぎまでやってたんだから」
「ギター弾いていたから遅くなったん違う?」
「うっせーなっ。ごちそうさま」
急にイライラしだしたので、半分食べたところで、箸を投げ出し、少し早いけど学校に行った。
教室に着くと、敦がいたので
「はよ」
とだけ声をかけた。先程の母さんの小言が原因で、気分がクサクサする。
「いーす。なんだひどい顔しているな」
「出掛けに親から小言言われたので、まだ気分が悪い」
「あんま気にすんな。親なんてそういう生き物なんだから。あ、動物がまたなんか鳴いているなー位に聞き流しとけ」
「わかった。今度からそうする」
敦の言葉でだいぶ気分も楽になった。それよりも何よりも、敦の言った事が面白かったので、少し笑みが溢れた。
「で、ギターは。お、持ってきてるな。じゃ、放課後また軽音の部室行こうぜ」
「やっぱ軽音の部室行くのか」
「なんだ、まだ嫌なのか。昨日行ったじゃん。もう俺なんか部員だと思ってるんだけど」
「羨ましいな、その性格」
本当に羨ましい。グイグイ来るところとか、他人の会話に割り込めるところとか。
でも本当に割り込んでも雰囲気悪くしたりしないし、グイグイ来る時でも引くところは考えていたりとか、ただの陽キャじゃない、気配りができる奴なんだよな、こいつ。
「でも、放課後になれば、また彩ちゃん先輩が呼びにくるだろ」
彩ちゃん先輩とか。何処までフレンドリィになれるんですか、ですよ。まぁ島村先輩そんな事気にしなさそうな気もするな。
取り敢えず、朝のホームルームに、終わったら直ぐ英語の時間だ。今日の小テストは頑張るぞ。
そんな訳で放課後になった。英語の小テストと数学は聞かないでほしい。放課後になると、やはりというか、島村先輩が軽音の部室に行こうと誘ってきた。
敦は清掃道具入れのロッカーの上に置いておいたブツをとり、背負った。
「なにそれ」
「ベース。重かったぞ」
え、本気でベースやるつもりでいるのか、コイツ。いや、それは良いんだけども。
「へー。ベース持って来てくれたんだ。やる気になってくれてありがたいなぁ」
と島村先輩は敦が真剣にバンドをやる気になっている、と勘違いしているようだが、それは違う。敦は島村先輩狙いなだけだ。気がついて欲しい。
軽音部の部室に着いてしまった。島村先輩の誤解を解けなかった。解くのはおれの仕事で、その俺はといえば、なんにもしていなかったからむしろ当然と言えなくもない。
「そういえば、入部届書いてないけど、それは良いんすか」
と敦。
「あ、一応書いておいて。あとで先生に提出しておくから」
と言って用紙を敦に手渡す。敦はそれを受け取って、少しの間、用紙を眺めた。
「今書いた方が良いっすか」
「今書いてくれた方が、手続き楽かな」
という事なので、敦は用紙に記入を始めた。
その間に俺は、島村先輩にバンドやることについて確認することにした。
「島村先輩、先輩がやるボサノヴァって、真剣な、マジなボサノヴァですか。それともボサノヴァっぽいポップですか。マジなボサノヴァならやります。でもそうじゃないなら、もう少し考えさせてください」
やりません、と言わずに、考えさせてくれ、と言ったのはもう少し考えて、ボサノヴァっぽいなにかでも、もしかしたらなにか意味があるかもしれない、と思ったからだ。
「マジなボサノバヴァとポップなボサノヴァって違いあるの?ごめん、私ボサノヴァやりたいって思ったの最近だから、何も知らなくて」
うーん。これは全体の意識統一するにはだいぶ時間がかかるかもしれない。
「優吾は、あれだろ。他人と合わせた事がないから引っ込み思案なんだろ。今日合わせてみようぜ。俺のベースとさ」
敦のベースとか。合わせられるだろうか。
「合わせるって何の曲にするんだ」
俺はクラシックしか弾けないし、敦はロックかJ-POP位しか出来ないはずだ。どっちも重なる要素がない。
「ボサノヴァについてさ、彩ちゃん先輩にそんだけ言うってことはやって来ているんだろ、ボサノヴァ。やってみようぜ」
ボサノヴァの曲は全然やって居ないんだが、やってるのはコード練習。でも面白いかも。
「曲をやっている訳じゃないから難しいかもしれないけど。ボサノヴァで使ってるコードで十六小節ひくよ。それに合わせてくれ」
んーわかったー。という気の抜ける返事を敦から聞き、五弦ルートのコード進行で弾いた。コレだけでボサノヴァっぽくなるんだよな。リズムとシンコペーションだけ気をつけてやれば。
敦は一回聞いた後、
「やってみようぜ」
と言った。
敦がベースでリズムを刻む。普段はリズムを刻むのも自分でやって居たので、リズムを他人に任せるのは不思議な感じだった。
敦が四小節引いた後、俺が入って弾き始めた。敦はリズムキープをしてくれる。お陰でだいぶ弾きやすい。
と、十六小説なので直ぐ終わった。
「どうよ」
「面白い」
「だろ?」
多分この時、俺は笑顔になって居たんじゃないかと思う。なぜって敦が笑って居たから。
「で、本気のボサノヴァが何だって」
と敦に言われてしまった。
「うーん………………やります。やりましょう」
こうして、何ちゃってボサノヴァをやっちゃうバンドが結成されたのだった。
「ところでさ」
と敦。
「昨日大変なことに気がついたんだけど」
と敦。
「フレンチポップってさ」
と敦。
「フランス語で歌わないとフレンチポップじゃないんだよ」
な、なんだってー。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます