第12話 夏合宿その一

 梅雨が明け、季節は本格的な夏になった。七月の下旬からは、夏休みに入る。


 俺は夏休みに週五か週六、アルバイトを入れようと考えていた。週五入れても夏休み中で二十万にはなるはずだった。それだけあれば、ギターを返してもらえる時期が早まる。そう、ワクワクしていた。


 しかし、そんな計画に、冷や水がぶっかけられることになる。この夏休みでの目標は、おいしい水Agua De Beberを完成させるのと、イパネマの娘をある程度まで仕上げる予定だった。


 後はオリジナルを一曲、作詞と作曲をする、と話し合って決めた。オリジナルを一曲というのは彩先輩の要望だ。俺と敦も、カバーだけでは面白みが足りない、と思っていたので、これは良い機会になるのではないか、と思った。


 おいしい水Agua De Beberはツインギターの楽譜しか見つからなかったため、アンサンブル用にアレンジが必要だったが、イパネマの娘はアンサンブルの楽譜が有るので、それを使うことにした。という、準備を夏休み前にしておいたのだがーー


 部長が部室の前方に立った。部長、相変わらず髭が濃い。剃っているんだけど、剃り跡が青くなっている。髭、生やしていた方が良いんじゃないかと、いつも思う。


 それから大谷先生が、部長の隣に椅子を出し、座る。


「あれ?タニーじゃん。なんでここにいるの?」


「大谷先生うちの顧問なんだけど。知らなかったの?」


と彩先輩に言われた。あー。それでオープンマイクの時、すぐ顔バレしたのか。それで、なんで今日はタニーはここに居るの?と、彩先輩に尋ねようとしたら、部長が


「はい注目ー」


「来週の月曜日から、夏休みが始まりますがー正確には、今週の土曜日から、休みに入りますがー」


「今年も恒例の夏合宿をしたいと思います。これは原則全員参加です。よほどのことがない限り、休んではいけません」


合宿と聞いてワクワクしてるのは、一年生だ。どこか海か、山でやる、と思っているに違いない。何故なら俺も合宿ときいて、そう思ったからだ。


「はい、一年生は黙って聞いてください。合宿場所は学校です。海も山も行きません」


部室にええー。という声が響く。しかし、二年三年の、一部の部員からは『よーし、やるぞー』と言う意気込みを感じた。他の先輩からは厭悪気分を感じた。


 結局この合宿というのは、楽しいのか、つまらないのかどっちだ?


 と思ったので、彩先輩の方を、ちらっとと見ると、彩先輩はやる気だった。そこで、手近の、あんまりやる気を見せていない先輩に、この合宿の雰囲気はどうなんだ?と聞いてみたら、


「朝から晩まで、ずっとギター弾いたり、ベース弾いたり、ドラム叩いたりしてるんだぜ、たまんねぇよ」


との答えだった。俺としては、素晴らしい環境のように思えたが、しかし、一つ懸念があった。


「部長、質問があるんですが」


「はいなんですか」


「合宿期間中バイト行って良いですか」


部長は、少しびっくりした顔を、していた。合宿抜け出してバイト行くやつは、今まで居なかったのだろう。


「合宿中のバイトは禁止です。バイトは休んでください」


やはりそうなのか。そうすると、夏休み中のバイト料は二十万に届かなくなる。これは、バイトを週六にして対応するしかないか、と考えていると、彩先輩が


「何考えているか、大体わかるけど、週四十時間以上はバイト出来ないから」


と言われた。


「今年の合宿は八月の一日から五日です。一年の教室を使います。呉々も吹奏楽部と教室の取り合いなどしないでください。お互い譲り合いの精神で、合宿をしましょう」


七月は期末テスト前にも一週間休んだからなぁ。夏休みは精力的にバイトしたかったんだが。


 と俺は考えていた。この夏合宿の認識が甘かったのは夏合宿当日にわかることになる。


「あっつ」


誰からともなく、そんなぼやきが聞こえる。俺もそう思う。部長は集合時間を五時半にして、少しでも涼しい時間帯から、練習を始められるように、考慮してくれたのだと思うが。


 舐めてはいけない、この時間帯は既に空気がぬるいのだ。おれは、六時からバイトのシフトが入っているから、知っている。朝も深夜も汗ばむこと必至だと。


 軽音楽部は大所帯で、二十人くらい部員がいるので、複数の教室に寝場所兼休憩所を、振り分けた。軽音部で一番人数が多いのが、一年生で、次が三年生、一番少ないのが二年生。二年生は、一年生や、三年生のバンドに参加しているので、二年生のバンドは実質存在していない。

 

 そして、扱いに困るのが女子だ。軽音部の男女比は大体、六対四で、男子が多いのだが、女子部屋を、用意しないわけにはいかない。


と言うわけで女子部屋一教室、男子部屋二教室、学校に申請した、部長が。


 部長になると些事で忙しくなるので、誰もなりたがらない、という困った役職だった。


 そんなわけで、朝から気合いを入れて練習をしているのだが、九時を過ぎると、汗だくになった。顎から滴った汗が、ギターのボディを濡らす。フォークやクラシックは特に湿気に弱いので、汗が滴ると、物凄く気になる。滴った汗は都度拭いていたのだが、キリがない。ギターの位置を変えようとすると、ボディの裏に汗を吸ったTシャツが、ベッタリと張り付いている。


「なんでクーラーが無いんだよ……」


敦がボヤく。俺もそう思う。


「今日、夜になったら扇風機持ってくるわ。これじゃたまらん」


家で使ってない扇風機が有るので、それを持ってくるつもりだ。


「俺も持ってくるわ。卓上の小さいやつだけど無いよりましだろ」


「後で部長に聞いてみようぜ」


と敦と話した。


 ところで、彩先輩の精彩がない。というか、ぐったりしている。


「彩ちゃん先輩大丈夫?」

「大丈夫そうじゃ無いんだけど……」


「水、ちょうだい……」


彩先輩は真っ赤な顔をして言った。


「これ、熱中症じゃね?」


と敦が言うと、俺たちは、うわー大変だー、と叫びながらタニーを探した。


 タニーは彩先輩の容態をみると、俺たちに小銭いれを放り、スポーツ飲料を買ってくるように言った。スポーツ飲料を四本ばかり買ってくると、タニーは先輩の脇の下と首筋にスポーツ飲料のペットボトルを挟んだ。


 なんだ、俺たちが飲むために、買ってきたんじゃ無いのか。


 暫く、椅子の上で、横になっていた彩先輩は、顔から赤みが引き、大丈夫そうに見えた。


「彩先輩大丈夫?」


「ん、もう大丈夫。ごめんね、心配かけて、二人とも」


「良かった〜」


と二人で言った。


「これ飲む?私の脇汗ついているけど」


「飲む」


「別に中身の味が、変わってるわけじゃ無いしな」


 三人で緩くなったスポーツ飲料を飲んだ。


 実は、何故だか、彩先輩の脇汗、と聞いて性的な衝動を感じたのだ。付き合い始めて、初めて、先輩の体液を感じて、少し興奮した。


 そもそも、俺と彩先輩は、付き合っているのだろうか。


 部活が一緒、バイトも一緒。でも未だ、手を繋いだことがない。手を繋ぎたいのに、俺は先輩の手を取れるような、男前じゃないし、要するにヘタレなんだ。


 このままでは、キスまで行くのに相当時間かかるぞ、と、俺の性的な感情を司るパートリピドーが、警告を発していた。


 決めた。俺は、この合宿でもっと先輩と仲良くなる。


 まずは手を握るところからだ。


 と、思いながら、自分のギターで、適当にコードを弾いていたら、ん?と思った。


「先輩、マイク、スマホのマイク立ち上げてっ」


と、割と緊急事態のように言った。


 先輩がスマホをこっちに向けて、


「じゃ、録るよ」


と言うのを合図にして、さっき弾いてたコードをなるべく再現して、演奏した。三分程の曲を録音し、ちゃんと録音されているか、確認するために再生してみた。


「へぇ、曲になってら」


と敦が感心するように言った。


「うん、良いよこの曲」


すごいすごい、と彩先輩が言ってくれる。


「でもなぁ、ちょっと平坦というか、薄っぺらいな、この曲」


敦は、コードを並べただけの曲に、早速注文をつけ始めた。


「どうしたら良いと思う」


「うーん。ずーとシンコペーションなのが、聞いてて辛いというか、飽きるというか」


「どっかでアンティシペーションを入れて疾走感出すか」


「リズムもなー。もう少し早くても良いんじゃないのか」


「リズムを早めにか。こんなんなるぞ」


と4/4拍子で弾いてみた。


「少し忙しないか……テンポを早くしてみては?」


「それはありだな」


「試しに裏打ち入れてみね?」


「まあ、四小節くらいなら、入れても良いかもな」


「あと、優吾、アルペジオ得意だべ。アルペジオ入れると良いかも」


「あと、少し暗めの方が良いと思うわ。それで、歌詞を思いっきり明るくするの」


「うわー。要望が多すぎてわからーん」


彩先輩が、黒板に、曲に対する注文を、箇条書きにしてくれた。


「じゃ、今回の合宿のテーマはこの曲を仕上げる、って事で」


黒板に、完成と大きく書いて丸で囲んだ。


 俺は苦労して、二人の要望を入れて、曲作りをしていた。敦は、俺の作った曲を聴きながら、ベースのアレンジをしている。


 彩先輩は、机に向かって、何か書いている。たぶん作詞しているんだ。どんな彩ワールドが聴けるのか、少し楽しみだな。


 彩先輩の作詞が終わる前に、夕食の時間となり、一旦曲作りは中断した。


 夕食は何かと思ったら、仕出し弁当だった。俺と敦の失望は大きかった。


 せめて、合宿めしの定番、カレーを作れば良いと思ったのに。と言うことを三年の先輩に聞いたら、以前は、自分たちで作っていた、とのこと。しかし、作っている人達の練習時間が少なくなって、折角合宿して練習しているのに本末転倒だ、という話になって、去年から仕出し弁当になったそうだ。


 飯を食い終わると、夜練組は、借用した教室に戻って音を出し、教室に行かない部員は、トランプやUNOで遊び始めた。俺たちは、彩先輩が、廊下が、暗くて怖い、というので、部長の許可を得て、家に扇風機を取りに戻った。


 扇風機を取りに戻ったつもりなのに、蚊取り線香を持たされた。あの缶のやつだ。こんなに使わんだろう、と思ったが、他の部員には重宝がられた。


そうして、合宿一日目は終わった。

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