第15話 夏合宿その四
とそんな合宿三日目がおわり、俺はいつもの通り三時半に起きた。これはもう、習慣だな。
俺は安心してギターを弾けるところを探しに、校内をふらつく事になった。立派な防火扉を見かけると、これ、閉じて弾けないかなぁ、でも確実に先生が怒るな、とか、この際、椅子だけあれば良いんだ、折り畳みの譜面台持ってきてるし。と思っていたのだが。
家庭科調理室に丸椅子があった。
ここOKじゃね?合宿部屋からは程よく遠くて、椅子があって、多少防音効果がなくも無い部屋になっている。
俺は手早く譜面台をセットすると、持ってきた楽譜を開いた。
基礎練習をたっぷりする。何故だか、昼間より、起き抜けの方が指が動かないのだ。だから基礎練習はたっぷりと時間をかけて、指を起こしてやらなくてはならない。
基礎練習の音階練習の出来が気に入らないので、そればっかりやってたら、三十分以上経ってしまった。
それから、習った曲を一通り演ったのだが……ブエノスアイレスの春、をどうするか。今日は楽譜があるが……長いんだよな、この曲。前半だけやる事にしよう。
と楽譜を開く。めんどい。初っ端からセーハで、ずっとセーハが続く。リズムが取れない。この間、雑魚先輩とやった時には実は、リズムが揺れ揺れで、よく誰も気が付かなかったもんだ、と思っていた。
そうして、一通り練習を終えると、寝室と化している教室に戻る。間も無く誰かの目覚まし時計がなる。一つでなく五個とか六個だ。これで起きない奴はいないだろう、というすごい騒音なのだが。起きてこない奴はいる。疲れているんだろうな、と思いつつ、起きてこない先輩と、一年を揺すって起こした。
流石に敦も、疲れが溜まっているようで、普段の快活さはない。スマホを弄って目を覚まそうとしている、のか?それ位は起きている。
「敦ー練習だぞー。朝練いくぞー」
「優吾は元気だな。いや、言わなくても良い。理由はわかってるから」
なんだか、不本意な。
敦は寝汗を吸ったTシャツを着替え、ベースを持つと、目をしょぼしょぼさせながら、
「行こうぜ」
と言った。
いつもの教室で待っていると、彩先輩もやってきた。彩先輩は敦と違い、すっきりとした顔をしていた。
「ごめんごめん、待った?」
「いや、それ程でも」
「俺は結構待ちました」
敦よ、寝起きで不機嫌なのか。でも先輩にあたるのは良く無いと思うぞ。
「ごめんねー」
と先輩は言った。あれ、先輩からなにか良い匂いがする。洗顔剤?かなぁ?
「じゃ、軽く、基礎練と発声練習しましょうか」
「ん」
敦はベースを抱えて、人差し指と中指で弦を弾いていた。テンポをだんだん速くしていく。これが、敦の基礎練なんだそうだ。スラッピングとかスライディングはどうしたんだろう?とか思ったが、あれらは基礎練じゃ無いそうだ。
俺と彩先輩は、音階練習をしていた。ローポジションの音階と、ミドルからハイポジションの音階。これ、テンポを速くすると結構難しい。
そうして基礎練を終わると、俺は昨日考えていたことを、話した。
「それだと、私が歌とリードギターになるのね」
「で俺がベース、と」
「それで、俺が、リズムギターやります」
「俺は大丈夫だけど、彩ちゃん先輩が大変じゃ無いかなぁ?
「彩先輩じゃないと、リード弾けないんだよ。俺、バッキングしなくちゃならないし」
「うーん、まぁ、そうだよなぁ」
「いいよ。私やるよ、歌とリードギター。頑張る」
彩先輩は、んふー。と鼻息を荒くして、賛成していた。ほんと、なんか可愛い人なんだよなぁ。
そして、早朝練習は、彩先輩はギターで、メロディを弾く練習。これはギターでメロディを弾いた方が、歌のメロディも覚えやすいのではないか、という彩先輩の提案である。
俺たちも、特に反対する理由もないので、彩先輩の思う通りにしてもらった。
俺と敦は、二人で合わせる練習……なんだけど、敦はリズム感が良いのか、すぐに合わせてきた。
何度か合わせて、敦の癖は掴んだけど……これが曲の障害になるとも思えないし。癖があることだけ、敦に言っておいた。
早朝練習を終えて、朝飯を食べて、少しすると午前の練習だ。
午前練習は、早朝練習と同じく個人練習だったのだが。俺は、彩先輩のギターの練習に付き合っていた。
やはり、ベースで作曲というのは、ギターと違い、ギターの一弦と二弦の音がないので、メロディを作るのは梃子摺るのではないか?と、そんな事を考えていた。
それから、昼食を食べて、午後練習。
この時間も午前と同じ練習をしていた。彩先輩は、勘が良いのか、耳コピでメロディを覚え始めた。この時間も終わりまで個人練習をしていたのだが、最後に一回合わせてみた。
まだ、メロディが弱い。明日で合宿終わりだけど、それまでに何とかなるかな?
夕食を食べて、三十分もすれば陽が暮れる。
「彩先輩、夕食後の練習、する?」
と聞いてみた。
「うん……」
「じゃ、準備します」
「ねぇ。私、足引っ張ってない?」
「どう言う意味ですか」
「だからさ、私がヘボいから皆んな合わせられないんじゃないかと思って」
「まだ覚えてないだけだから、大丈夫だと思いますけど」
彩先輩は少し悩み始めた様だった。確かにこの状態では、彩先輩の出来で完成度が決まる。そう言う意味では、彩先輩の個人練習は、必要だけれども、俺と敦が合わせる練習は、喫緊ではない。
どうしたもんかな。
「先輩はTAB譜あると楽ですか?」
TAB譜というのは、いわゆる音符が連なっている、五線譜と違い、六本の線に、抑える弦と、フレットを記したものだ。
左手の位置がわかりやすく、非常に重宝する。それに頼りすぎると、五線譜が読めなくなるから、あまり勧めないギター教師もいるのだが。
「うん……そうだね。ある方が気兼ねしないで練習できる」
「じゃ、TAB譜書きますから、それで練習してみてください」
「これから?」
「はい」
「じゃあ、私も付き合うよ」
「大丈夫ですか。無理しなくても」
「無理はしてないよ。眠くなったら寝るから」
と言われたので、これ以上何も言えず、ギターと六線譜をを用意して、いつも使っている教室に向かった。敦は、もう寝ていたので、起こすのも可哀想で、今回は不参加となった。
「TAB譜書くだけだから、地味ですよ」
「良いよ。見てるだけだし」
コードを書くのではなく、メロディを書くだけなので、それ程面倒ではないはずなのだが、時々、どの音だったかと、ギターで確認しながら書いていった。
この確認のために、ギターで音を出さないといけないので、寝室部屋ではTAB譜書けないんだよな。眠たい時に、音出されると迷惑だから。
譜面一枚描き終わった。このTAB譜書き、自分自身あやふやな所を、見つけるのに良いかもしれない。
二枚目を書き終わる頃、九時を回っていた。彩先輩は、TAB譜を見ながら運指の練習をしている。
大谷先生が各教室をまわって、練習を切り上げる時間だ、と言って回っていた。
「おーい。島村、高木、もう終わりの時間だぞ。早く切り上げてシャワー浴びてこい」
「島村、お前上級生なんだから、高木に終わり、って言ってやらなきゃダメだろう」
「はい、すいみません、タニー先生」
それを聞いた高木先生は、苦いものを噛んだ様な顔をした。彩先輩のちょっとした意趣返しなんだろう。
「お前たち、それ、誰かに言ってないだろうな?」
「言ってないです。知ってるのは俺ら三人だけです」
とにかく今日はもう上がれ、との大谷先生の言葉に従い、TAB譜書きは、今日のところは終わりにする事にした。
教室に帰るまで、先輩が俺の手を握っていてくれた。単に先輩が廊下が怖いから、なのかもしれないが。
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