第7話 富豪→革命→貧民

「好きです、先輩。彩先輩のこと、好きです」


そう俺は、掠れた声で言った。緊張して声が出なかった。いつもそうだ、緊張すると失敗する。 


 さっきから彩先輩は顔を伏せたままだ。先輩の顎あたりからポタ、ポタ、と雫が垂れている。


ーーもしかして泣いてる?ーー


暫く俺と彩先輩は固まったまま、時間だけが過ぎていた。


そのうち、彩先輩が顔を上げ俺の顔を見た、見上げた。


「私も優吾のこと、好きだよ」


そうしていつもの様な快活な笑顔でない、悲しげの笑顔を見せた。


「でも、付き合うことはできないよ」


そう言われて、俺はびくっとした。俺はまだ彩先輩に付き合ってくれ、とは言っていなかったから。


 彩先輩に付き合えないって言われるのが怖くて、付き合ってください、って言えなかったんだ。俺の気持ちを伝えるだけ、なんて自分に言い訳して。


 俺はすごく弱くて、それで卑屈だ。人の心を動かそう、なんて事は言えない。


「付き合えないですか……」


「私、学校終わったら部活出て、それからバイトで、休みの日もバイトで。デートする時間もないでしょ」


だから付き合えないという。だけど、部活の時間は一緒に居られる。だから決して会うことができない、なんてことじゃないんだ。


「部活で会えるじゃないですか」


「それは、優吾がたくさんのものを持っているから言えるんだよ」


沢山のものって何だ?俺が持っているのはギターくらい。ギターを取り上げられたら、ただの勉強のできない子でしかない。


「あの、俺が沢山のものを持っているってどういう」


「優吾はギターがすごく上手い。それが出来る練習時間がある。ギター教室に通って、指導を受けている。そのレッスン料はどこから出てるの?自分で出しているわけじゃないでしょ。私には出せない。私にはそんなもの何にもない。ギターが弾けるのは部活の間だけ。2時間ぽっちだよ。だから優吾は沢山のものを持っている」


俺は何にも言えなかった。何を言うことが出来るだろう?彩先輩の言葉を動かすことが出来ない。


 俺が恵まれているから?そんな事考えたこともなかった。俺の家はごく普通の家で、親父はサラリーマン、お袋は主婦で、週に三回スーパーにパートに出ている、そんな家だ。


 確かにギターを弾く時間は多いと思うけど、その時間は自分で作っているし。


 そんなに俺の環境が羨ましい?妬ましい?どっちだ。だけどそれを考えるだけ無駄だ。先輩だってどっちなのか分からないんだろうから。


何も言えずにいる俺の傍を、彩先輩が通り過ぎていく。すれ違いざま、彩先輩は


「ごめん」


と言って通り過ぎて行った。


 あの、ごめん、の意味は何だったのだろう。先程の彩先輩の言葉が耳について離れない。胸にナイフが突き立てられたように痛む。


 あれ、俺振られたのか……。


 今ごろそんなことに気がつくなんて。明日から、彩先輩にどんな顔をして会えば良いんだろう。


 部室に戻ると、敦が待っていた。待っていたとうか、ガールズバンドのメンバーの誰かと、楽しく話していた。俺は、その女子に「こんちは」と挨拶した。


「あ、ギターの上手い一年の、何くんだっけ?」


「高木です、高木優吾」


「そうそう。あー。高木くんが女の子だったら、うちのバンドに誘うんだけどなぁ」


「おれ、エレキ弾けませんよ」


やっとそんな事を言った。ショックが大きすぎて頭が廻らない。


「じゃ、帰るか」

 

と敦に言われたので帰る準備をした。


「先輩、さよならー」


と名前のわからない女子の先輩に挨拶して、部室を出た。


「その様子を見ると派手に散ったか」


と敦が俺に声をかけた。


「どうなのかな、よくわからない」


「話せることは話して良いぞ」


「うん……」


それで、俺はあらましを話した。それを黙って聞いていた敦は、


「あちゃー。彩ちゃんも面倒な性格してるなー」


と言っていた。


「俺、振られたの?」


「まだ目はあるだろ」


「何をしたら良い?」


「そうだなぁ。とりあえずなんかバイトしてみたら」


「今特に小遣いに困ってないんだけど……」


「労働に勤しんで、彩ちゃんと労働の喜びを分かち合いたまえ」


バイトか。あまり気乗りしない。ギターを弾く時間が取られるんだろうな、と思った時、これが恵まれている、ってことなのか。と妙に納得してしまった。


じゃあ、また明日なー、と言って敦と別れ、家に帰ると、母さんが待っていた。


「あんた、ギター教室辞めなさい」


いきなり何を言い出すのか、この人は。もう十年は通っている教室じゃないか。まだ続けたい、と言うと


「教室に、一体いくらかかっていると思っているの。今の月謝幾らか知っているでしょ。一万八千円よ。今まで我慢して出してたけど、もう出さないわ。それからギターも止めなさい。全然勉強できてないじゃない」


「ギターは止めないし、教室もやめない」


と言うと、


「じゃあ、あんたが月謝払ってくれるの。出来ないでしょ。今月の月謝は払ってあるから今月は通って良いけど来月からは辞めるのよ、いいわね」


「なんだよ、金金ばっか言いやがって。俺が払えば良いんだろっ、良いよ払ってやるよっ」


と叫んで、二階の自室に戻った。あー、アッタマきた。なんだよあれ。ギターを弾いて心を落ち着かせようとして、ギタースタンドを見ると、ギターが無い。このギタースタンドに立てていたギターは俺には高価な方のギターなのだ。


 すぐにリビングに行って母さんに


「ちょっと、ギターどうしたんだよ」


と聞いたら、


「あれ、欲しい、って言う人がいたからあげたわよ」


と、桃をいっぱい買ったから半分あげたわよ、みたいな調子で言われたので、尚更頭にきた。


「ふっざけんなよっ。取り返してこいよ」


「本当に大事なものなら、あんたが返してもらいに行きなさい」


またこの親は理不尽なことを言う。大体誰にやったんだ?それを聞かないと取り返しにもいけない。


「大体あのギター、父さんと母さんが買ってあげたものでしょう。最初にあんたが勉強を頑張っている間は、使わせてあげるって約束だったはずよ。最近は勉強しないでギターばっかり弾いて。勉強の邪魔になるならギターなんて要りません」


俺はこの時、怒りすぎると目の前が真っ暗になる、って言うのを実地で体験した。本当に怒った。と同時に視界が利かなくなったので体がふらつき、ダイニングテーブルに手をつく事になった。


「わかった。月謝は俺が払うし、ギターも俺が買う。なら文句ないね」


「出来るならやってみなさい」


足で床を踏み抜く勢いで部屋に戻った。


 ああ言ったけど、どうしよう。レッスン代は小遣いでは足らない。ギターなんてそれこそ買えない。


『労働の喜びを分かち合え』か。くそ、バイトしてレッスン代と、新しくギターを買うしかないか。


 幸い、安い方のギターアリアは残っている。鳴りは高い方のギターアントニオ ロペスに及ばないけど、練習はできる。これ、取り上げられない様にしなくちゃ。後で部屋に鍵をつけよう。いない間に入られてはたまらない。


 バイトのこと、彩先輩に相談してみるか。というか、明日顔を合わせることがあるのだろうか。明日部室に来て欲しい。


 切実に。

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