第9話 労働讃歌
「彩先輩、何処までいくんですか」
「246号沿いにお店あるからちょっと歩くかな。っでも20分も歩かないから」
「うわー。自転車で学校来てればよかった」
「歩いても大丈夫な距離だって」
こういうのをイチャラブというのだろうか。
しかし、俺の心は面接のことで一杯で、不安でどうしようもなく、ラブな気持ちなど持てるはずもなかった。
勉強どころか体育もダメな俺は、この頃の、夕方の気温も手伝って、じんわりと額から汗が吹き出していた。
「先輩、もうそろそろ着きますか」
「もうちょっとだから。ほらあそこ」
指さされた先は道路の反対側で、立体交差点で渡らなければならない。
ええぇ、と、心の中で思い、スロープを登る。
「あーなるほど。だいぶ大きい?コンビニですね」
「駐車場が大きいんだよね、トラックが何台か止まれるスペースがあるから」
どうしよう。店長怖い人じゃないと良いな。大声出す人だとちょっと厳しい。
でも先輩の紹介だから、あんまりしょうもない理由で、不採用にされるわけにもいかないし。
よし、決めた。俺は玉砕覚悟で店長に話しかける。
カウンターにいる五十代くらいの男性に
「今日面接を受けにきた高木と申します。よろしくお願いします」
と言った。
するとその男性は、
「店長、面接の人が来ましたよ」
と品出ししている男性に声を掛けた。
店長と呼ばれた男性、は声を掛けた男性よりもう少し若く見え、四十歳前後ではないかと思われた。
あ、こっちの人が店長か。間違えたなんてちょっと恥ずかしいぞ。恥ずかしさで俯きそうになるのをグッと堪え、側までやってきた店長に
「本日面接を受けにきました、高木と申します、よろしくお願いします」
挨拶しなおした。
「店長の斉藤です。それじゃ面接しますから、バックヤードに入ってください」
それから彩先輩を見つけると、
「ああ、島村さん来たね。じゃ、着替えたらそのままレジ入っちゃって。米山さん、島村さんに引き継ぎよろしく」
と指示を出していた。労働するところだな、学校とは違う。そう思うと不安と緊張が高まってくる。そんな俺を見た店長(斉藤さん)は、
「そんなに緊張しなくても大丈夫だから」
と笑いかけてくれて、その様子が、店長の体型と相まって、カートゥーンによく出てくる様なクマに見えた。
少し親しみやすい人だと思った。
「それじゃ、面接始めますけども」
「あ、り、履歴書もってきてます」
噛んだ。大丈夫か、俺。
「はい。じゃ拝見します」
と言って暫く履歴書を眺めていたが、
「原付の免許は持ってないのね」
「はい。まだ十六になっていないので。あの、取った方がいいのでしょうか」
「ん?いや、うち宅配もやるから、あったら便利だな、と思っただけだから」
そんなことを店長が言ったので、十六になったら原付の免許取ろうかな、と思い始めた。うちの学校、原付とって良いんだっけ?
「で、高木、優吾くん、で良いのかな?高木くんは、なぜうちの店を志望したの?」
「はい。実は、島村先輩から紹介されました。それでお電話しました」
「あれ?島村さんの知り合い?」
「はい同じ学校で、島村先輩の一個下になります」
「ふーん。これは面接とかとは全然関係ない質問なんだけど、高木くんはお給料を貰ったらどうするの?」
「はい、ギターのレッスンを受ける費用にして、残りはギターを買う為に貯金します」
「なるほどねぇ。島村さんもギター欲しいから、って言ってたもんねぇ」
と、途中から面接とは関係ない話が続き、俺は少しリラックスしてきた。
「いいよ。採用します。それでは今日からよろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
ん?今日から?
「それで今日はバイト入れる?なるべく早く慣れて欲しいんだけど」
え、あ?はい。早すぎる。でも今日はもうやることは無いし。バイト入れても良いかな。
「はい、大丈夫です」
「じゃ、制服出してあげるからそれ着て、今日はレジの方やってもらうから島村さんに教えてもらって」
「は、はい」
早い。そんなに人手が足りないの?それなら、レッスンのある金曜日を除けば、バイトし放題?なるべく早くギター欲しいもんな。頑張って働こう。
「先輩、あのここっていつ給料出るんですか」
「え?店長から説明受けてないの?」
「はい、今日働ける?って言われてそのまま」
それを聞いた、彩先輩はバックヤードの方へ行き
「ちょっとてんちょー」
と店長を呼び出していた。あ、やっぱり給料とか支払日の説明を受けなかったのはまずかったのだろうな。なんだろ?説明義務?みたいなものが有るのかな?
店長は説明しなかったことを謝ってくれた。単純に気が急いて忘れただけらしい。店長の説明によると時給千百円、月末じめの十日ばらいということだった。
ということは、一日四時間やるとして、土日も八時間づつやれば……四万四千円。四週間で十七万円?すげぇ。三ヶ月もすればそこそこのギターが買える。
俺は舞い上がった。バイトでそんなに自分で自由にできる金が貰えるなんて。よし、十七万円分きっちり働かなきゃな。
「家に電話した?今日からバイトするってこと」
「してない。しなくていいですよ」
「それは駄目。ちゃんと家族の了解を得なきゃ、バイト辞めさせられちゃうよ?」
それは大変に困るので、仕方なく家に電話することにした。ちゃんと、家に電話すること、店長にことわった。
「今日バイトだから遅くなるから。十時くらいになる」
とだけ伝えて、切った。折り返しに何度も電話かかってきたが無視した。どうせ勤務中に電話なんかできない。自分の荷物の中にスマホを放り込んだ。
家に帰ったらめちゃめちゃ詰問された。何のバイトだ、と言われたので、コンビニのバイトだ、と素直に答えたが、何処のコンビニかは言わなかった。
ご飯が出されていたが、バイト先で食ったからいらない、といって下げてもらった。実際は、食べてはいないが、これは意地だ。
そういうわけで、俺のバイト生活がはじまったのだが。
世の中そんなに甘いわけでも無いわけで。月末締めの十日払い、ということは来月の十日まで給料は無い、ということに気がついた。いや、気がついたのは小遣いの残りを確認したからだ。
今残っている小遣いで来月の十日まで暮らすとなると、一日の食費は二百円になる。思わず、飯ぐらいは家で食べても良いかもしれない、などと考えるが。
それは出来ない。それが出来たらバイトなんかしていない。一日二百円で頑張ってみよう。要は、二百円で嵩のある食べ物を選べば良いんだ。バイト先で売っている食パン一斤。あれを一日朝、昼、晩に二枚づつ食べる。そうすれば来月まで持つはずだ。
俺は早速実行した。正直言って、この時のテンションはおかしかった。極限に挑む高揚感の様なものを感じていた。それは徐々に冷めてゆきーー三日もすると肉が食べたくて仕方なかった。バイト先の揚げ物コーナーは目の毒だった。
しかし、バイト中の気が張っている時はまだいい。問題はベッドに横になっている時だ。飢餓感で全く眠れない。これはまずいかもしれないな、と思っていたが、一週間もすると体が慣れた。それ程、空腹を感じなくなったのだ。これは、俺の意思の勝利だ、とまた変なテンションになっていた。
母さんは、多分、俺がおかしいことに、気がついていたと思う。何故なら俺が朝三時に起床して、七時半に登校するのはやはり変だと思うだろう、普通。そのくせ帰りは十時をすぎる。やっていることはギターを弾くことだけ。家族との会話もめっきり減った。俺がしなくなった。
朝食は食べない、昼食は食べているのかわからない、夜はバイト先で食べている、とは言っているが、本当かどうか分からない。だが、確実にやつれている。
家に帰るとバイトと学校の事について小言をもらう。それが煩いので、すぐ自分の部屋に引っ込む。この部屋には俺が日曜大工でつくった鍵がかかる様にしてある。まぁ南京錠をつけただけなんだが。
そうして、来週にはバイト代が入る、と思っていた矢先。三限の体育の時間に千五百メートル走を走っている最中に、ばたーん、と倒れた。意識を失い、気がついたら病院に搬送されていた。何処だこりゃ?と思い、ベッドから降りようとすると、母さんがいた。
なんかすごい心配しているっぽい。母さんは俺が意識を取り戻すと、ナースステーションに俺の状態を伝えに行った。暫くすると父さんもやって来た。なんで家族で集合しているのか、意味がわからない、腹が減って倒れただけなのに。
「なぁ、優吾。お前が倒れたの、何でだかわかるか」
「腹が減ってたからでしょ、わかってるよ」
「そうじゃ無い、極端な低血糖だったんだよ、お前の年頃ではあり得ない数値だったそうだよ」
「ふーん」
やはり、一日食パン一斤生活で、学校生活は無理だったか。俺もちょっと無理っぽいとは薄々思っていたからな。
「なんで、家でご飯を食べなかったんだ?」
「もう金輪際、母さんの世話にはならないと思ったから」
と答えつつ、なんでそんなに頑なに思っていたんだっけ?とよく分からなくなってしまった。
「やっぱりギター取り上げられたのが原因かい?」
「それも有るけど、レッスン辞めさせられたのも。でも一番は、何でも母さんのいう通りにしないと、何にもできないから。それが嫌だった」
ああ、そうだった。家でご飯食べないのは、母さんを象徴する物を、拒絶したかったからだった。
「父さんには何か思うことは無いのかい?」
「だって父さんは、母さんに丸投げじゃん。特に何にもないよ」
「そうか」
と答えた父さんは、何かを考えここんでいる様子だった。
正直な話、父さんには何もいうことがないんだ。いつも忙しくして、たまに家にいるだけの人。そんな認識だったから。不倫をしていても、へー。くらいの感想しか無いと思う。
父さんとの会話も途切れて、居た堪れない沈黙が続いていたところへ、担当医が来た。
「高木くん、気分はどう」
「え、普通です」
「お腹はへってないかな。いま点滴で葡萄糖入れているからね。今日はあと一本入れたら帰って大丈夫」
「今何時ですか」
「今二時だよ」
それを聞いて少し安心した。バイトに遅れることは無いだろう。
「点滴っていつ終わります?」
「点滴一本で二時間だね。でも今日は安静だよ。バイトには行けないからね」
「え!それは困ります」
と思わず答えてしまった。バイトに行けないと、給料が貰えなくなってしまう。
「だめだめ。今日は安静だよ」
というと担当医は他の患者を観にいってしまった。
代わりに管理栄養士のおばさんがやってきて、俺の食事内容を聞きに来た。俺が、朝昼晩、食パン二枚づつ、と言ったら猛烈に怒っていた。主に父さんと母さんに。
「成長期のお子さんにそんな食事取らせるなんて」
ということらしい。母さんは俺がどういう食生活を送っていたか、今気がついたようだ。ポロポロ泣いている。嫌だ、止めてくれみっともない。
一頻り栄養士のおばちゃんの説教を受けた後、俺はバイト先に電話する事にした。
「スマホ取って」
「なにするの?」
「バイト先に電話して今日休むっていう」
「母さんが電話してあげるわよ」
「いい。自分でする」
それで電話、バイト先に電話して、斉藤店長に
「すみません、今日授業中に倒れてしまい、今日一日安静になってしまいました。今日休みます、すみません」
「ん。わかった。店の方は心配しなくて良いから。明日元気な顔見せてよ」
と言ってくれた。優しいな店長。はぁ、と一つ片付けないといけないことを片付けたので、一眠りしたくなった。
「ちょっと寝る」
と言って眠った。
ああ、彩先輩に会いたいな。
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