この想いが届くまで

朱珠

第1話

「……なあ、お前が殺したわけじゃないよな……なあ答えろってば!」


 ——人狼は物語に登場する満月の夜に狼へ変身するとされる獣人である。

 今その名を聞いて恐れ慄いた者は居ただろうか。


「そんなの居ないに決まってる、怖くない」

「人狼? したことあるけど難しかったかな」


 なんて誰ひとりとして居ないと信じて疑わない、その程度の認識なんだ。

 だが認識されていないだけで人狼は実在している。人々の生活に溶け込み、人として生きているのだ。

 他の人間と何ら変わらない生活を、職を、家庭を手にして。



「どうせまた嘘付いてんだろ?」

「鳴川さん人騙して楽しい?」

「よっ狼少女ーっ」

「違……っ!嘘なんか私は……!」


 鳴川凛祢なるかわりんねは他の生徒から狼少女と呼ばれている。 皆の刺々しい声と鳴川の涙混じりの悔しそうな声が聴こえ、教室に入るなり、重々しい空気が漂っていて腹わたが煮えくり返りそうだ。


 人は寄って集っては弱いものをいじめる習性がある。人は嫌いじゃないがそういうところは大嫌いだ。


「おはよう鈴木、石田、あと鳴川も!」


 話を逸らす為に普段は出さない大きな声で挨拶をしてみる。

 言っておくが目立つのは嫌いだ。

人の目に付けばそれだけ俺の素性がバレる可能性だって増えるのだから、本当は学校にだって通いたくない。


「よっ斗賀!」

「遅刻ギリギリだな! なんだそのぼさっとした髪の毛!」


 そう言って鳴川を囲っていた同級生達の視線と関心は俺へと移る。

 なんのメリットがあるかは俺にもよくわからない。バカにされれば腹は立つし、注目されるのは怖い。


「うっさいな! 寝坊したんだからそんな時間ないに決まってんだろ。もうホームルーム始まるし席戻れよ」

「ぺいぺい」

「悪いなスマホ決済は対応してないんだ」


 途端に険悪な雰囲気だったクラスに笑いが巻き起こる。

 ちなみに俺はこれっぽっちも面白いとは思わない。でもさっきの空気よりは悪くない。こうして周りに合わせて溶け込むことが現代に生きる人狼の賢い生き方だと俺は思う。


 やがて放課後になり我が家であるアパートの前に着いた。

 誰かは知らないが俺の後をつけているのか、校舎を出てからずっと同じ視線を感じる。


 流石にそのまま家に入る訳にも行かないので視線のある方へUターンして向かうと、鳴川凛祢が塀の影に隠れてこちらを伺っていた。


「なんだ鳴川か。尾行してまでなんか用?」

「ひゃぅっ……!? あ、朝斗賀くんに助けてもらったお礼……言ってなかったと思って……」


 尾行が見つかったのが余程恥ずかしかったのか、制服のスカートの裾を掴んで露骨にもじもじし始める。


「そんなの学校で言えばいいのになんでわざわざつけてきたの?」

「まずはその、朝ありがと……」

「俺が好きでやったことだし別にいいよ」

「なにそれ……でも助けられたのは事実だから、それだけ!」


 押し付けるように吐き捨ててその場を去った鳴川は、どうやら左折したトラックに気付かずにいる。


「鳴川走れっ! 急いで!」

「え、なに?」

「いいから走れ……っ!」

「あっ……」


 俺の怒鳴り声を聞き、急いで駆け出すがこの速度じゃ間に合わない。

 この姿は見られたくない。それに誰が見ているか分からないのに屋外で使うなんて以ての外。だけどんな事言ってられる状況じゃないのはわかる……っ!

 ——ギィィィイ。


「……間一髪だったな」

「え……なんで私まだ生きてるの?」


 トラックは俺の背中をスレスレで通り抜けて止まった。

 危うく俺まで死ぬところだったが、二人とも助かったし結果オーライかな。

 鳴川はなにが起きたのかわからない様子でキョロキョロ周りを見渡している。


「おいどういうつもりだ! 危ねぇだろ!?」


 トラックから小太りの中年が降りて怒声をあげながら近寄ってきた。


「……なさい」

「もし引いちまってたらどうなると思ってんだ! あん責任取れんのか!?」

「ごめんなさい……」


 鳴川は怯えた様子でひたすらそう繰り返す。


「じゃあこれで許してやるよ。今どのくらい持ってんの?」


 男は指を立ててニヤニヤと不気味な笑みを浮かべたまま鳴川に歩み寄るので、気付いたら鳴川を庇うような形で男の前に立ち塞がってしまった。


 そもそも不注意だったのは向こうも同じだし、引かれそうになったのはこちらなのに鳴川だけ謝んのも癪に障る。


「こんなに謝ってんだし事故にならなかったんだから謝ってそれで終わりでいいじゃないですか」

「なんだテメェ。俺がなんで謝らないといけないんだ!?」

「じゃあいい、行こうぜ鳴川」

「でもまだ怒ってるし」

「いいっていいって」

「ダメに決まってんだろゴラァ!」

「逃げるぞ鳴川!」


 鳴川の手を引いて追っかけてくるおっさんから逃げて、傷の手当ての為に俺の家に入れた。


「いや、怖かったね」

「はぁはぁ……流れで部屋入っちゃったけど何されちゃうんだろ……」

「あのなあ……応急処置の為に入れただけだから変なこと言うな」


 救急箱を引き出しから取り出しながら話を進める。


「私が生きてるのってまたあなたが助けてくれたんでしょ。それに……ううん……いつもその、ありがと」


 たしかに言われてみれば知らず知らずのうちに鳴川のことを気にかけていたかもしれない。

 実は心の中では鳴川のことが気になってしょうがないとか。恋してるとか。そういうわけでも今んとこないんだが。


「謝るよりそっちの方がしっくり来るよ。それより鳴川に聞きたいことがあるんだけど」

「う、うんっ痛たっ……! なに?」

「さっき君を助けたときなんか変わったことってなかった?」

「私の見間違えでしょ?」


 見間違え、か。絶対見られてたってことだよな。これは言ってしまってもいいものなんだろうか。


 無論ルールとしてはNGだ。でもあの姿は既に見られてるワケだし、今更誤魔化せないともなると話は違う。


 説明もせずに根も葉もない噂を流されるよりはいっそ鳴川には全部話して口止めしといた方がいいんじゃないか。

 口止めと言っても野蛮なことはしないが。


「あのさ、鳴川のこと信用して話したいことがある。別に断ってくれても構わないけど、でも知ったら絶対俺以外に話すの禁止」

「私狼少女だから……」


 狼少女とは嘘つきの少年、狼少年から派生して付けられた蔑称だ。

 去年の今頃、俺はこっちに転校してきた。

 その頃には既に鳴川はみんなにそう呼ばれてた。


「人狼は酷いことなんてしない……! 人狼はいい人だから。普通に暮らす私達と変わらない人間なんだから知らないくせにそんなこと言うな!」


 同級生から聞いた話によると、その頃この辺りで噂になっていた話の中に家出をした子供が次々に狼男に捕まっているというものがあり、その噂を聞いた鳴川が突然大声を出してそう叫んだらしい。


 みんなは揃ってそれを否定し、ウソツキな上に狼男を援護することから狼少女と呼ぶ奴がでてきたと聞いている。


「みんなはそういうけどさ、俺が見てる限りじゃ嘘ついたことないでしょ」

「信じてくれるんだ」

「ああ、鳴川を信用してるからこそ話したいことがあるんだ。さっきの約束、守ってくれる?」

「うん、守るから斗賀くんのこと知りたい」


 よし、準備は整った。意外とあっさり整った。俺の心の準備はまだなのに。

 はぁ。鳴川のことは信用してる。けど不安で仕方ない。


 それでも俺は秘密を共有できる仲間が欲しい、一人で抱え込むのはもう疲れた。

 でももし鳴川を巻き込むことになったら俺に責任がとれるのか。


「気が変わったなら大丈夫だから」

「もう一回だけ確認してもいい? もしかしたら鳴川を傷付けることになるかもしれないし危険も伴う。それでもいいなら首を縦に、嫌なら横に振ってくれ……」


 2、3秒考える素振りを見せた後に、野花から雫が滴り落ちるように淑やかに首を縦に揺らした。


「ま、まず前提として俺は狼男、所謂人狼だ。文字通り普通の人間じゃないし狼の姿に変わるときもある」


 そう告げて恐る恐る鳴川の様子を伺うと、先程と変わらぬ様子で話を聞いている。


「鳴川を助けた時もその力を使って鳴川を助けたんだ。でも人狼がこの街で暮らしているなんて知れば、最悪迫害され住む場所をなくすどころか命の危険だってある」

「だから基本的にその生き残りは静かに人として暮らしていると聞いている。俺が知ってるのはこのくらいしかないけど」


 話してしまった。 俺とは違う普通の人間に初めて話してしまった。

 鳴川だって一度知ってしまったら知らなかった頃には戻れない。


 怖がられたらどうしよう、暴れられたらどうしよう、もし通報されたら。

 言ってしまったあとにそんな不安が俺を襲う。


「嘘じゃないんでしょ?」

「全部本当だ」

「やっぱり……幾つか聞きたいことあるんだけど聞いてもいい?」

「あ、ああ。できる限り答えるよ」


 鳴川の表情を見れば心から安堵していることが分かる。鳴川が過去に言ったあの言葉、あれが嘘ではなかったのだとわかって少し気が楽になったのかもしれない。


 そしてまた俺も鳴川に拒絶されなかったことに安堵していた。

 俺も俺以外の人狼についてはほとんど接触したことがないのでわからないが、1年前鳴川が狼少女と呼ばれるきっかけになった時の発言から考えて鳴川は過去に人狼と接触したことがあるということだろう。

 

 人狼がいい奴だなんて何の根拠もなしに言えるようなことじゃない。


「普段斗賀くんは普通の男子だけど、狼に

変わる時の条件は決まってるの? あ、変な意味じゃないから!?」


 それに目の前に人狼が居るというのに怖がりもせず、俺に、いや何をつけあがってるんだ。人狼にこんなに興味を示してくれるなんて。


「大丈夫分かってるよ」


 一人で自爆して赤面しているが話の流れからしてそうはならないと思う。


「順を追って説明するが、俺の中の人狼の血は四分の一程度に満たないらしい。だから基本的に人となんら変わらないが、さっきみたいに意識的に変わることはできる。見られたらまずいからしないが」


 と補足を加える。自慢どころか公言すらできたことじゃないのに、鳴川が嬉しそうに聞いてくるせいで自分でも少し得意気に答えてしまっているのが悔しい。


「そっか。なら斗賀くんはクォーターなのね」

「まあそういうことになんのかな。それと満月見ると勝手に変身するから満月の日の夜は外を出歩けない」

「なるほど、満月の日は斗賀くんの危険日っと……」

「合ってるけどもう少し言い方を……さ?」

「ごめん。でも人狼はいい人だったのね」

「……ありがとう。けど鳴川の為にももう他では言うな」


 みんなが憎む人狼という種を鳴川は二度も肯定してくれた。

 でも俺を肯定することで再び彼女が酷い扱いを受けるのは許せない。


「……うん。いつかこのこと隠さないで暮らせる世界になればいいのに」

「ああ、そうだな」


 鳴川はどこか寂しそうな顔で呟いた、

 だけどそれはきっと叶わない——。

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